『TSUKADA Lab.的CP観』  ジューダス ver.

注:ウチのサイト限定のCP観ですぞ。



■ロニ×ジューダス
 
断崖に咲く花と通りすがりのロッククライマー。〜

 ロニと居るとジューダスは明らかに表情豊かになっている。
 セリフが辛辣で、ニコリともしない無愛想さはリオン時代と大して変わらないようにも見えるが、まるで取っ組み合いの喧嘩も辞さない、傍から見ていてヒヤ ヒヤもんの、あの態度はロニだけに向けられたものであり、トゲトゲしい会話の中にも、そこはかとなくゆとりが漂い、かなり気を許しているさまがゲーム中か らも窺える、なんともオフィシャルなケンカップルだ。
 さてしかし基本的なところ、本来死者であり、生あるものを一歩離れたところから静かな眼で見守りつつ、自らの消滅の宿命も受け入れて、確実に終焉に向 かって歩を進めるジューダスと、スタンに心酔しルーティに憧れカイルを甘やかし、出所不明の女性崇拝をあちらこちらで振り回す、極めてマトモ(?)な青年 男子であるところのロニは果たして真の意味において相容れられるのだろうか。
 この二人の場合、とりあえず、お友達から始めよう。二人っきりイベントもかなりの量、用意されているぞ。夜に布団並べて等身大で男同士の話をしたりさ (牛歩)。そうすれば、リオン時代は決して見ることができなかった、ちょっぴりワイルドで、少年ぽくも男くさい表情すらも見せてくれるかもしれない。
 一度死んだ身であることは何も悪いことばかりじゃない。リオン時代の重く苦しいしがらみから一切開放され、ジューダスは、もう、かつての『ガラス細工の ようなヒューゴの芸術品』ではないのだ。皮肉にも一度死を経たことによって、本来の人間らしさを取り戻せるかもしれないのだ。
 素直じゃないのはお互い様。よって妥協と譲歩を知り、しかも面食いらしい兄貴の方から動かないことにはナカナカ先に進まない。ここは一つ兄貴に大人に なってもらってだな、一緒に風呂など入ってガンコなあのコをどろどろに融かしてやってくれよ。
 そうやって物事を同じ視点で見ることができるくらいになれば、あとは一気に加速するはず!。
 煮るなり焼くなり押し倒すなり、思いのままだ。なんと言っても、ロニの魅力はそのオスくささにあるんだからな!。
 この二人の強烈な接点は『リオン・マグナス』と『家族の仇』なんだが、ロニジュを語るにやはりこのポイントは抜かせない。難題を絡めて、どこまで魂を寄 せ合え、理解し合えるかは時間との勝負であるのだが、最終的にロニの存在が、この世界に生きとし生ける者への穏やかな感謝や憧憬、そして自分が歩んできた 人生への、ほんのわずかな未練や懐かしみに通じる位になれば、ロニはジューダス(リオン)の華やかな男遍歴の頂点に立つかもしれない…。友を超えろ、恋す ら超えてみせろ。
 その美貌と色香に惑わされ脱線した青春を謳歌するのも結構だが、共にいられる時間は長そうで短い。ぐずぐずしてると花は風に飛ばされてしまうぞ。


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■ウッドロウ×ジューダス  〜英雄王と裏切り者。孤独な勝者はかつての恋を再燃させる。

 18年前に、あの『海底洞窟』で直接戦い、死によって分たれた悲劇のCPだ。
 ヒューゴを
斃し、ミクトランをし、ダイ クロフトから凱旋したソーディアン・マスター達。
 温室育ちで世間知らずの23歳の若者だったウッドロウを待ち受けていたのは、『英雄王』の呼称と、そして近隣から流入した難民の受け入れや、混乱した国 内の建て直し、各国との国際的な協力、援助と難問が山積したファンダリアの国主としての立場だった。
 一年中、深雪に封じ込められたような城に篭り、日々の激務に押し流され、疲弊しきって若さを吸い取られていくような、そして決して終わることのない、一 生逃れることのできない国王業の孤独はどれほどのものだっただろう。
 リオンの死により恋を失い、一個人として愛を得ることも諦め、伴侶も娶らずに、たった一人国と向き合い、己に課された運命の鎖に囚われたような18年間 だったことだろう。
 そんなおりに、はからずも当時の姿のままの彼と再会してしまったのだ。
 18年前の禁断の恋。若く無謀で一途で限りなく純粋だった恋。己の無力に嘆き、ヒューゴという巨大な力の前に屈した悔しさ、そして運命という残酷な別れ を経て、痛恨の記憶に押しつぶされそうになった精神の根底に表れるのは、もはや憎しみと区別が付かなくなりそうな激しくも悲しい愛しさではないだろう かッ!。
 愛しさも懐しさも執着も、抑圧の18年間の末に失われた若さへの未練なんかも、全てひっくるめて一ぺんに、それこそ怒涛のように押し寄せてくれば、歳を 重ねて分別ざかりの大人になったとて、男はやっぱり男なのだ。男、四十にして惑う。「今度は絶対逃がさねえ〜!!。」
 片やジューダス、過去裏切って勝手に敵になり、さっさと死を選んだことへの後ろめたさはあるものの、それは決して流されたわけでなく、ただ一人の愛する 人を守るため。その選択に後悔の余地はない。ヒューゴに逆らうようにして、互いに魂を寄せた愛に偽りは無かったが、それはそれ、これはこれ。
 過去の重く苦しいシガラミから一切開放されながらも、本来、死者であるのだと自覚し、今後必然のようにしてやってくる自己の消滅すらも、静かに淡々と受 け入れて、そして、新たなる生を与えられたことに対して、自分で定めた目的を達成し、自分が確かに存在したことの真なる意味を自らのものにするためだけに 行動している今となっては、あいかわらず『リオン』として扱おうとし、昔そのままの情熱的アプローチを繰り返すウッドロウに正直少しだけ引いてしまってい る。
 このジューダスの合理主義こそが、ウッドロウ(41)にとっての最大の難敵となるのだ。
「今夜は帰さないよ。」「…勝手にしろ。だが、あとで辛いのはお前なんだからな。」
 かつての恋は遠い昔の記憶の中の出来事だったことを分かっていながら、歪められ、誤った歴史の中で果たされた、束の間の逢瀬に耽溺するウッドロウ、一歩 下がって冷静に、それでも優しく見ているジューダス。そのすれ違いが悲しくもおいしいCPだ。
 だが中年はイジケると暴走するので、その取り扱いには注意が必要だ。
 出会いは期限付きであること、ウッドロウの愛はあくまでも『リオン』に対してであること、そしてジューダスは今、まさに『リオン』ではなく『ジューダ ス』として生きていること。このことから、ウッドロウは焦り、混乱し、必然的に王子×リオンだったときよりも、エロ度アップ鬼畜傾向となっていく。
 その執着、剥き出しの独占欲たるや、ある意味ヒューゴ化、と言える…!。


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■カイル×ジューダス  〜天性の素直さと血縁の特権。憧れも思いやりもガラス越し。〜

 厳しく辛辣な口調の中にも、明らかに他のメンバーとは一線隔てたように、カイルを特別扱いしているジューダスがいる。
  一見すると、臆面も無く「好き!。」と言ってくる相手に果たして不快になれるはずもなく、ついついカイルに甘く過剰に世話をやきがちな叔父馬鹿、なほほえ ましい関係にも見えてくる。
  しかし、さて、ジューダスは何故、カイルにここまで尽くすのか。
 そもそもジューダスは、エルレインに命を与えられ、その手駒になるべく復活したのであるが、エルレインが目的とする歴史改変や、それに伴って『生き返っ たリオン・マグナス』に与えられる恩恵(愛も名誉も手に入るというやつ)に、「これは間違っている。」と判断して離反したとき、エルレインに対抗するべく 手段を考えた際、対になる聖女の存在を知ったのであろうから、ジューダスの接近すべき本当の目的は、『スタンの息子』ではなく、むしろ『聖女リアラ』の方 だったのだろう。
 でもって、現世を幸福に導く存在の聖女であるはずのリアラが、着々と手段を講じるエルレインと違って、自分自身としてはどう行動したらいいのかも分から ない、展望も見出せない状態で、『世界を変えてくれる力を持っている英雄』を求めて迷い、その中で、カイルと出会い、恋を区別がつかない状態で英雄をカイ ルと決めてしまったものだから、ジューダスは成り行き上、カイルに尽くすことになったのだ(オフィシャルだと思う)。
 そんなジューダスの思惑も知らずに、カイルは、しばしばピンチになると現れて助けてくれるという、最初のインパクトもさることながら、仲間になってから というものは、スゴ腕で頭が良くて毒舌で美人でカッコイイ彼の純粋なファンになってしまう。
 しかも『リオン・マグナス』正体発覚後は、初めて見たジューダスの弱点、過去の汚点、寂しげで儚げで華奢な雰囲気に、すっかりノックアウトされ、『あの ジューダス』に対しての、自分の居場所を見つけ、「俺が傍に居て守らなきゃ。」という、カイルにとって極めて新鮮で単純で激しい思い込みが急成長するに 至った。
 外見はコピーしたように父親に激似なカイルであるが、スタン→リオンのときと違って、カイル→ジューダスの、「好き」という感情は、決定的なキッカケが あった分、しっかりと恋愛の要素として色濃く確立した。
 オフィシャルでの彼女、リアラと一緒にいるときの、あのいかにも少年少女の淡い想い、こそばゆい思いやり、なんて生易しいものじゃなく、もっと生々 しい独占欲や性欲がジューダスに向けられているのだ。
 しかもこういう感情自体、カイルにとっては初めての経験であるので、ジューダスの出現、存在感たるや、まさに『家族の意味さえ変わってしまう』という奴 だ。
 カイルにとって、少年から男になるキッカケ、それがジューダスなのだ!。
 どんくさかった父親よりも格段アッチの才能はあると言えるが、しかしこれは、カイルが周囲に愛され支えられまくった、パーティのお姫様的英雄だったから こそ、周囲の人間にも目を向け、ヨコシマな妄想に胸ときめかせる余裕が生じたからに他ならない。
 他の男共がリオンやジューダスに向ける男としての欲求、とも少し違う。
 他の男たちは、「リオン(ジューダス)が欲しい、それは○○だからだ。」と一応の理屈があるのに対して、カイルの、欲しくてたまらないものに向けられる 猛烈な執着は、もっと原始的で動物的本能っぽくすらもある。「ジューダスが欲しい。だって、ジューダスだから。」
 しかし甘え上手さはだけは天性。
 周囲から愛を受け、メンバーの『タラちゃん』的ポジションにいるからこそ、恥もてらいもなく、周囲がヒヤヒヤするようなスキンシップもお手の物。
 他の男共が、あれはリオンだジューダスだ、と気負ってアプローチに試行錯誤するのを尻目に、ストレートに「させて。」と言っても、もしかしたら「仕方な いな。」とか言ってもらえるかもしれない。
 その純粋培養的な素直さ、人に好かれる天性もさることながら、リオン(ジューダス)の泣き所である肉親、甥であるという特権もおいしすぎ。
 だが、半身『シャルティエ』をも手離しちまうような、ジューダスのとんでもない献身ぶりは、カイルの恋としての気持ちや動物的好意に応えているわけでも ないし、もっと言ってしまえば、残念なことに『英雄』としてのカイルに尽くしているわけでもない。
 ジューダスはジューダスの目的に従って行動していて、それに伴う優しさのような形をしたものが、たまたま『英雄』になったカイルに向けられている状態が 出来上がっているだけなのだ。
 当然ながら互いの気持ちは、本質的にはそれぞれ一方通行、ものの見事にすれ違っているのだ。
 一見してほのぼのとした関係も、真の意味において実を結ぶためには、道は相当険しい。
 いまいち深く関わりきれなかった父親の二の舞にならないためには、カイル君にはキビシーイ修行と人生経験が必要なのは言うまでもないのだ〜。




 
 
次回…?!、もう一人いるんだけど、 解釈できるかな?。