『支配(5)』 








 圧迫されていた唇をようやく解放されたときには、逆らう気力も全て奪い取られていた。
 かなり強い力で掴まれていた右腕は、離されても肩から指先にかけて重く痺れたようになっていた。
 こんなはずではなかった。
 突然使いを寄越して呼び出され、それを任務だと言われても、それすら名誉に思ってここに来たはずだった。
 この眼前の男に名指しで呼ばれたことに浮かれて無邪気にはしゃいでいたのだ。
 けれど今、こちらに向けられるのは、あからさまな敵意ばかりだった。
 先程畏怖の中にも垣間見た親しみや理解のようなものは全て作り物の嘘だった。
 それとも単に自分が甘かっただけなのか。
 所詮、自分など虫けら程度の存在にしか認識されていないのか。
 甘く見ていたのだ。この大貴族の正規軍将校を。
 最低だ。迂闊だったのは自分であり、階級制度の頂点に居る眼前の男を目の前にしては、どれほどの屈辱すらも、無知で浅はかな自分への報いと思わなければならないのか。
 せめて無様に怯えた顔だけは見せまいと、サレは可能な限り強くミルハウストを見返した。

 向かい合った一瞬一瞬が長く重く感じた。
 でも何で僕なんだ。
 『王の盾』が、この王宮内で相当の異端的存在なことはもう分かったし、フォルス能力者を疎ましく思っている連中が多いことも、もう散々思い知った。
 けれどだからと言って、何でそこの見習い兵士の僕なんだ。
 こうやって唐突に向けられた敵意はあまりにも理不尽だったが、それよりもミルハウストに対する落胆と恐ろしさの方が勝っていた。
 もうこの部屋から出してくれ、そう口に出して言ってしまいたい。
 けれど、それをミルハウストにうまく伝える適当な言葉が思い浮かばない。
  見下ろすミルハウストからは、まだ話は終わっていないのだと、まだ出て行くことは赦されないのだという気配が伝わってくる。
 ミルハウストが再度手を伸ばしてきた。それだけで全身が竦む。
 サレの反応を見てミルハウストの唇があからさまな侮蔑の笑みの形になった。
「珍種が。」
 そう言われた。
 その言葉が頭の中を駆け巡り、後ずさったが、かくんと膝から力を失い体重すら支えられずにサレはよろめいた。
 倒れる、そう思ったが、背中に扉が当たった。
 背に当たった硬い感触にサレは我に返り、反射的に扉の取っ手を握った。
「どこに行く。例の『フォルス研究室』か。さっき言ったはずだが、あそこは今、正規軍による取り押さえの最中だ。今、お前が行けば余計に面倒なことになるだけだ。無駄にあがけばあらぬ疑いをかけられて今度こそ只では済まなくなるぞ。」
 高圧的な言い方と、全て無視したその一方的なやり口に、サレは怒りを爆発させた。
「…僕だけッ!、いくらなんでも僕だけ何も知らないなんて、ありえないでしょう?!。2年もあそこに通ったんだ。知ってたさ、色々知ってたよ!。僕以外の 能力者がどんどん入れ替わって、二度と研究室に来なくなったこととか。知らないフリなんかするものか!。でもあなたはご存知ないだろうけど、研究所のス タッフの人も、医療センターの人も、皆すごく研究熱心だった。確かに結果的には行き過ぎたことはあったかもしれないけど。フォルスは学問として未開発の分野だから、その解明には犠牲だって当 然あるさ!。それをいきなり犯罪組織扱いするなんてあんまり一方的だ!。ヒューマ能力者がそんなに珍しいって言うんなら、原因は僕にだってあるじゃない か。それに僕がこれからどうしようと、あなたに指図されるいわれはない!。」
 自棄になってそう言い放つとサレはすぐに踵を返し、扉の取っ手を掴み力を込め、重い扉を引いた。
 しかし即座に背後から腕を掴まれ、無理やりそこからもぎ離された。
「お前がそこで何を言おうとも無意味なことだ。私がさっき尋問した通り、お前の無知は既に立証済みだ。只の研究サンプルだったのだからな。追ってそう私が報告しておこう。」
 サレはなおも「だって僕が」と言いかけたが、その言葉は背後から前に回された手に遮られた。
「まだ解らないのか。研究所の実体も知らなければ己のフォルスをどう使われるかについても考えもしなかったお前の全く客観性の無い言葉など誰が信用するか。」
 前に回った手が隊服のボタンの位置にかかった。
 一瞬、そこに引き千切るような力が加わり、服の布地が破けた音がした。
 ボタンが一つ飛び、フローリングの床に転がった。
「な…ッ!。」
 胸元に掌が滑り込んでくる。
 そうする相手の意図を知りサレは身をよじらせて暴れた。
 腕を振りほどこうとしたが、背後から巻き絞められ、動きを封じられる。
 背後から体重を掛けられ、重みに耐えられず、サレは身を前に折り曲げた。
 前かがみになるその身の動きすら利用し、手はさらに奥に伸ばされた。
 乱暴に肌をさすり上げられ胸の突起に爪が当たった。
「嫌ッ!。」
 逃れようにも目の前の扉に逃げ場を封じられる。
 背後から前に回された手が今度はズボンのファスナーにかかった。
 扉に押し付けられた姿勢を強いられたまま、サレはファスナーが下ろされるときの音を聞いた。
「やッ!」
 覆いかぶってくる身体から一層の暴力の気配を感じる。
 扉に強く押し付けられ、サレは痛みに呻いた。
 逃げられない。唇で襟元の髪が掻き分けられ、そこに舌が触れるのがわかった。
 下げられたファスナーから、指が侵入する。
「…い、」
 サレの体がびくん、と小さく弾むような動き方をした。
 首筋に歯を立てられ、そこに鋭い痛みが走った。その状態のまま指は下肢の奥に伸ばされてくる。
「…や。」
 直に触れてくる指が淫らに蠢き始めた。
 途端に身体は反応し、突如として強いられたその覚えの無い感覚にサレは必死に身を固くして抗った。
「や、め、…嫌だ、い、嫌ぁあ!」
 声はもう悲鳴に近かった。懸命にもがくと、膝が脚の間に入ってきて、開かされた。
「…いや…ッ、やめ、て、…下、さい。」
 サレは懇願した。声が完全に震えていた。
 こんな状態になってまで、なおもこんなことを言わなければならない自分という立場の矮小さがひどく惨めだった。
 けれど何か言葉を声にしないと、すぐにでも突き崩されてしまいそうで、半ば縋るように懇願を言葉にした。
 背後から含み哂いが聞こえる。拘束する腕に一層強く力がかかり、さらに奥に伸びてきた手が掌と指で追いたててゆく。
「や…、だ…あッ。」
 膝の後ろがガクガクと震え始めた。
 煽り立てられた身体は意志に反して勝手に反応し、もう火がついたように熱くなっていた。
 耳に温かい舌が這う。耳元に貶める言葉が囁かれた。
 いくらもたたないうちにあっけなく相手の思惑通りに無残に掌の中で昇りつめさせられ、サレは押し付けられた扉を伝って膝から崩れ落ちた。
 羞恥に打ちのめされ、床に膝をついて俯き荒い呼吸を懸命に殺す。
 視界の端に、たった今、無理やりに吐き出させられたものが、相手の指を伝って床に滴り落ちるのが見えた。
 たまらず眼を逸らし身を竦ませた。それしか己を守る術が無かった。
 だがすぐに右腕を掴まれ、抗いようもないまま強引にひっぱり上げられた。
 肩に鋭い痛みが走り、思わず苦痛の声を上げそうになった。
「…ッ。」
 サレはよろめきながら奥の部屋へと引き摺られるように連れて行かれた。
 物のように荒く掴み、サレの身体を引き摺りながらミルハウストは隣室のドアを開けた。
 扉をひとつ隔てた部屋の中の、見たこともないくらいに大きなベッドを目の前にしたとき、サレは絶句しその場で凍りついた。
「なんだ、さっきの威勢はどうした。」
 身を竦ませて俯きサレはもう一度、嫌だ、と必死に首を振った。
 すると背後から両肩に掌が置かれた。
 まるで幼い子供を宥めるように、掌は両肩を包み込み、2、3度、軽くはたく。
 限界まで緊張していた気が僅かに逸れ、ようやく『やめてください。』という言葉を口にしようとしたとき、突然、両肩に置かれた手に力が込められた。
 拘束の恐怖が先走り、サレは小さな叫びのような声を上げた。
 足が縺れてうまく逃げられない。
 よろめき、どこかにぶつけたのか、ガタンという椅子が倒れる音がして、続いて何か陶器のようなものが床に落ちて砕ける音がした。
 無我夢中で扉に手を伸ばしたとき、今度は背後から二の腕を掴まれ、そのまま引き戻され、次の瞬間、ベッドに投げ込まれた。
 不自然な体勢で受身も取れずスプリングに胸部を打ちつけた衝撃にサレは小さく呻いた。
 打ち付けた胸をかばいながら、目前のシーツを必死に掴んで身を起こして這いずった。
 すぐ傍に男の気配を感じる。
 涙が目尻を伝って下りる。視界が曇り恐慌状態に陥って何も考えられない。
 ぎし、とベッドの軋む音とともに、ミルハウストがこちらに近づく気配がする。
 瞬時にひどい貧血になってしまったように身体が震えてひどく重い。
「何をやっている?。」
 逃げ惑うこちらの反応を愉しんでいる声だった。遊んでいるのだ。
 腕が伸ばされてきて、服の襟を掴まれ身は簡単に反り返る。
 次の瞬間、引っ張られた服に喉を圧迫され、身体がぐらりと浮き上がり、反対側に引き倒された。
 背中から叩き付けられ、一瞬呼吸が止まった。
 必死に身を捩らせて咳き込みながら身を起こすと、今度は上から肩を押さえつけられた。
 うつ伏せに押さえ込まれ、喘ぐように身をもがいてもビクともしなかった。
 自分の荒い息遣いばかりが耳のすぐ傍で聞こえる。
 呼吸すらままならない状態で後ろ首を掴まれ、隊服の襟元に力がかかった。
 上着が乱暴に剥ぎ取られ、すぐにズボンが下肢から引き摺り下ろされ、裸の脚が外気に触れた。
「…『王の盾』の兵士は随分と粗末な服を着ているんだな。生地も薄い。それに、サイズもお前に合っていなかったようだ。採寸もしないのか。」
 剥ぎ取った服を見ながらそう言って、ミルハウストはサレの隊服を無造作に放り投げた。
 ばさっと音がして隊服はベッドの隅の方に落ちた。
 上から押さえつける手に一層の力が篭った。指が関節に食い込むその痛みが、これは紛れも無い現実だと告げている。
 ミルハウストはサレの身体を引き起こすとそのまま仰向けにし、身体の下に組み敷いた。
「あきらめろ。」
 冷たく言われ、膝で無造作に両脚を開かされ、間に入られてしまうとサレの抵抗は終わりだった。
 どうもがいても、どう抵抗しても、力でかないそうになかった。
 ただ固く眼を閉じて、この恐怖に耐えるしかなかった。



 『獲物』を見下ろすと、その組み敷いた体は『王の盾』期待の戦士というには、あまりにも細く華奢だった。
 肩も胸も線はまだ幼く、首など片手で軽く絞められそうだ。
 日に晒されない肌は透けるように白く、日頃の訓練のせいなのか、それとも幼少の頃から日常的に受けていたという虐待のせいなのか、小さな傷痕が身体中に残っていた。、
 ふいに組み敷いた体が小さく身じろいだ。
 自分の身体の下に手を敷きこみ隠そうとしているらしい。
 右手。例のあれか。
 ミルハウストは一瞬、その右手を引きずり出して、乱暴にその手袋の中にあるものを暴き立てたい衝動に駆られたが、伸ばした手を寸前で止めた。
『…おっと。』
 焦る必要など少しもない。それはこの少年を征服してからでも遅くはない。
 最初からいきなり壊してしまってはつまらないではないか。
 必死に眼を閉じて抗おうとする顔を見るだけでも充分に愉しい。
 これまでどんな相手に対しても、そんな感情をもったことがなかったはずなのに、ミルハウストは今の自分が不思議でならなかった。
 掌を少々乱暴に這わせてみる。
 たしかに痩躯ではあったが、それなりに鍛えられた体だということが掌を通じて伝わる弾力から解った。
 しなやかな骨格と薄く良質の筋肉の感触を確かめる。
 肌に唇を落とした途端、組み敷いた身体がびくんと跳ねた。
 小さくくぐもった声を上げてサレが顔を逸らした。
 拷問にでも耐えているつもりなのか。
 大きく開かせた腿を掴み、膝を立てさせて、ぐっと力を入れて押し開いた。
 腰を上げた無理な姿勢を取らせて、最奥を暴く。
 屈辱的な体勢と次の苦痛の予感に必死に耐えようとするサレを嘲笑うようにわざとそこには触れず、腿の内側に掌をことさらゆっくりと這わせてやる。
 敏感に反応する箇所を探り当てると、そこばかりを弄り、同じルートを幾度も繰り返した。
「本当に初めてのようだな。」
 昨晩読んだ『サレ』に関する個人資料には、『失われた辺境の村』でどんな少年期を過ごしたかが、推定を含めた形で詳細に記されていた。
 キーワードは『悪魔』、『化け物』。おそらく他人とまともに触れ合ったことすらない。
 そして王の盾の資料には、メンバーが捕虜になり尋問の際に暴行を受けることとなった場合の対処法も書いてあった。
『第一に機密の漏洩の防止を最優先すること。第二に生還すること。』
 随分と大雑把で、およそこの王宮内の組織とは信じがたいくらいの野蛮さだ。
 無駄な抵抗は意味が無いだけでなく、敵の心理状態を煽り生還の確率を著しく低下させるだけ。
 これがサレの行動マニュアル。対処パターン。 
 サレはこの行為の意味すらも知らない。
 だから今、健気にもこの項目を頭に念じて抗っているというわけだ。
 類稀なポテンシャルを秘めたフォルス能力者で、学科も剣も成績優秀な優等生だそうだが、実戦の経験も無ければ、ろくに知識も無い分、マニュアル通りで随分と分かりやすい。


 音がした。
 硬質の金属の軋むような音で、何か蓋を開けるような音。
 何なのかと身をよじらせたが、薄暗くてよく分からない。
 何かの匂いがした。ひどく甘ったるくて、鼻腔に絡みつくような。
 香水の匂いに似てたが違う。
 サレが身じろぐと、下肢の奥の誰にも触れられたことのない箇所に突然冷たいものが塗り付けられた。
「…ッ!やぁ!。」
 馴染む間も無くすぐにそこに痛みが走った。
「…ッうぁ!。」
 身体の内部に食い込み、それは奥の方に伸ばされていく。
 蠢きながら、奥へと侵入する他人の指を感じて、そのたまらない羞恥に決して赦されやしないと知りながら、サレは必死に「やめて下さい!。」と懇願した。
 その言葉をも無視して指は奥で動き、内臓を抉られる。
 そのひどい嫌悪感に吐き気が込み上げ、また涙がにじんだ。
「う、…ぐ。」
 本数が増やされ、圧迫感が一気に増した。
 苦痛の呻き声に相手が余計に興奮する雰囲気を感じ取り、サレは恐怖を覚えた。
 塗りつけられた液体のぬめりを借りた湿った音が耳につき、異様な痛みと、その覚えのない感覚への恐怖と驚愕で鼓動が一気に早まった。
 散々にかきまわした後に指を乱暴に引き抜かれると、そのあまりにも鋭敏な感覚に腰が大きく跳ね上がった。
 耳につく含み哂いの中、その行為は幾度も繰り返された。

 ぎし、というスプリングの軋む音がし、弄ばれ放心したサレの視界にミルハウストがシャツを脱ぎ捨てる姿があった。
 重くなった下肢に手が触れ、膝からすくい上げられ、大きく開かされる。
 首を動かして顔を逸らそうとすると、前髪を掴まれ仰け反るような姿勢を強いられ、上からのしかかる相手の熱い息が顔にかかってきた。
 何を強いられるのか判断するよりも早く、次の瞬間、視界が赤く染まるような激痛が下肢を貫いた。
「あああぁっ!」
 悲鳴がほとばしった。
 反射的に肉が侵入を拒む、その最後の抵抗をも突き破るようにして熱いものが入ってきた。
「…嫌あぁ!、」
 痛みに痙攣する身体に圧し掛かり蹂躙する男の顔が涙で曇った視界にかぶる。
 逃れようと必死にずり上がると、指が食い込むほどの強さで腰を掴まれ引き戻され、そのまま揺さぶられ幾度も貫かれた。
 その何度目かにサレは、確かに肉が裂けるような音を聞いた。
 強く噛み締めた唇が切れて血がにじんだ。
 鉄錆の味がして視界が赤くにごり、突き上げられて意識が一瞬失われても、また新たな激痛に意識を無理に戻される。
「ちゃんと息を吐かないと裂けるぞ。」
 からかい哂う声が耳元で鳴る。
 片足を高く折り曲げ直し、下肢の間に手が伸ばされてきた。
「あ、あ…。」
 もう抵抗も哀願も無かった。散々に傷つけられながら、濡らされた身体を弄られて、ぼろぼろになるのだ。
 塗りつけられた液体の甘ったるい匂いと、身を貫く激痛に気が遠くなりそうになりながら、サレは身体の奥に湧き始めた、到底抗い難いある鋭敏な感覚に縋らねばならなかった。



 蒼白の顔を半分突っ伏して、サレはしばらくシーツに横たわっていた。
 行為は身体をひどく傷をつけ、乱れたシーツには決して少なくない血が赤い染みを作っていた。
 身体をかばいながらサレが身じろぐと下肢に鋭い痛みが走った。
 小さく呻き、きしむような動作で身を必死に起こし、ベッドの端に放り投げられたままになっている隊服に手を伸ばした。
 指が震えてうまく動かない。
 ボタンがいくつか取れていたが、今はどうせ留めることなどできない。
 一刻も早くこの部屋から出たかった。
 服を羽織っただけでベッドから降りて、ふらつく足取りで扉に向かう。
「どこへ行くつもりだ。」
 背後から強い口調で呼び止められた。
「…。」
 その声は恐怖となってサレを呪縛のように拘束する。
 その場から一歩も前に踏み出せず、振り返ることもできない。
「帰っていいと誰が言った。」
 何故。
 どうしてなんだ。
 なんで、こんなふうに。
 なおも服従を強いようとするミルハウストに対し、恐怖の中に、ある別の感覚が芽生え出した。
 標的。
 咄嗟にその言葉に思い至り、サレは背後のミルハウストを振り返った。
 ミルハウストが真っ直ぐにこちらを見据えていた。
 何故という問いに対し、無理に答えを言葉にしようとするのなら、これは標的なのだからと言う他はない。
「まだ終わっていない。」
 抑揚の無い声。けれどその瞳にはさっきまでの軽侮の光が無かった。
 その瞳の中にあるもの、それは一見憎しみと錯覚しそうだったが、明らかにそれとは異なる。
 『捕えようと』しているのだ。
 この凄みとも言うべき力を内包した視線は、その力をもってこちらを『変えようと』しているのだ。
 だが果たしてどう捕まるのか、どう変えられるのか、最後のところは解らない。
「バスルームは部屋を出て左だ。泣くならそこで泣いてこい。気が済んだらこの部屋に戻って来い。続きをする。」
 二人を隔てる空間の、沈黙の中に何かを察したように、ミルハウストが低く命令した。


 追い詰めても足りない。
 振り返ったサレの瞳の中に光を見つけたのだ。
 窮地に追い込こまれてなおも、決して服従しない光を見たのだ。
 その目が光を失わない限り、とことん追い詰めて捕えていたぶって征服し尽さなければならない。
 何者にも屈しない瞳の中の光が、ミルハウストの中に、これまで一度も味わったことのない、目的を確信させた。
 追い詰める衝動。
 少年兵ひとり、いますぐにでも潰すことができるはずだ。
 だがそれでは駄目なのだ。
 追い詰めて、逃げ惑わせて。最後に捕らえる。
 どうやって支配するかは、それからゆっくりと考えればいい。
 先ずは恐怖、次に従属。
 絶望と微かな希望とを交互に与え、混乱させてがんじがらめにしてやろうか。
 そこにあるのは純度の高い嗜虐。そして紛れも無い愛しさだった。


 











2006 110  RUI TSUKADA




 読んでいただいてありがとうございました。