『支配(4)』 







 
 正規軍の兵舎につくと、先ず入り口で身分証明書と入門許可証の提示を求められた。
 サレが王の盾メンバーの証明書を差し出すと、衛兵が露骨に眉を顰めたのがわかった。
 ヒューマの王の盾メンバーをめずらしがる相手の反応には慣れてはいたが、ここでもやっぱりそうなのかと少しがっかりな気がした。
 建物内でも、すれ違う数人の正規軍兵士たちが、ちらちらとこっちを見ていく。
 正規軍の軍服に比べれば、かなり質素なこのグレーの隊服が彼らの目にどう映っているのかは知らないが、いかにもこちらを「場違い」と決め付ける彼らの視線には、正直気が滅入った。
 王宮内の連中は、どうしてこう、どいつもこいつも自分と他人の匂いの違いに敏感なんだろう。
 面倒くさいな、どうだっていいだろ?。
 しかしサレがいくらそう思っても、そういう「他人どうでもいい」の考え方こそ王の盾内でのみ通じるものであり、そこから少しでも外に出てしまえば全く通用しない。
 それこそ一歩間違えば大変なことになりかねないというのが、カレギアの階級社会だった。
 ここの一般的尺度から言えば、あの感じの悪い文官など、結構マトモな常識人というわけだ。
 これまで配属前の立場の身軽さから、他の組織のことなど頭の片隅にかすめる程度で、実質的に関わらずに済んでいたのに。
 あと一月もして正式な兵士になれば、そうも言っていられなくなる。
 頭では分かっていたことだったが、いざこうやって現実に直面してみれば、相当つまらなさそうで、途端に憂鬱になってきた。 
 サレは周囲をなるべく見ないように前だけ向いて、指示された道順に従うことに専念した。

 入り口からいくつか渡り廊下を経て、中庭を通り抜けて、ようやく目的の東南の棟までたどり着いた。
 ここまで来ると、周囲の雰囲気も、建物の内装も、最初の方とかなり様子が違っている。
 正規軍といえど、一般兵の兵舎ならば王の盾の兵舎とさほど差は無く、構造もシンプルだし、軍隊らしい殺風景さすらあったが、高級将校しか出入りしないこの建物は、壁が全て白く統一され、磨きこまれた大理石の内装は美しかった。
 建物の周囲に、落葉樹の木立が広がっているのが見える。
 ここの建物の最上階。奥の角の部屋がミルハウスト将軍閣下の私室であると教えられた。

 賓客を迎えるための豪華なエントランスから、幅が広くて傾斜の緩やかな階段を昇っていくと、踊り場ごとに花や絵画が飾ってあった。
 廊下や階段に敷き込まれた毛足の短い暗色の絨毯は、手入れが行き届いていて、壁や柱の彫刻も、少し丸みを帯びた天井の装飾も、調度品も。
 これら全てで、いかにもここは城の中といった、宮殿の雰囲気を創り上げていた。
 この建物の前の中庭を隔てて、すぐ向こう側が、ラドラス陛下や王族の居室の建物になっている。
 サレがこのあたりに来たのは、もちろん初めてだった。
 こんなところを部外者がうろつけば、やはり相当場違いに見えるのも仕方ないかと、サレは思った。






 ##
 
「お前が、サレか。」
 初めて聞いた、ミルハウスト中将閣下の声だった。
 低くよく通る声で自分の名を呼ばれると、いよいよ緊張が高まってくる。
 招きに従って、サレは数歩、ミルハウストの方に歩み寄る。
 互いの距離が縮まるにつれて、明らかになる。これがミルハウスト将軍閣下。
 なんて見事な金髪なんだろう。第一印象としてサレは素直にそう思った。
 肩を少し越すくらいに長く伸ばされたミルハウストの髪は、室内の照明の灯りを吸い込んで金糸に輝くようだった。
 カレギア随一の名門の、大貴族出身の、20歳の正規軍中将。
 けれどそういう肩書きだけではない。間近で見る印象は、噂で聞いていた以上だった。
 強烈な、あまりも強烈な存在感、気品。
 容貌が端正だから、それについては俗な噂も、もちろんあるにはあったが、直接会ってみればわかる。単に美しいなどという範疇に収まるものとは、まるで別物だった。
 あたかも生まれながらに備わる他を圧する雰囲気がそこにある。
 正面に向かい合って伝わるのは、カレギア城で遠目で見た貴族達や部屋に来た文官から感じた、あの偏見に満ちた偽の品格や薄っぺらい虚勢などでは到底なかった。
 わずかに笑みを湛えたような表情からは、目下の者への軽侮などかけらも感じられない。
 静かな表情はあくまでも気高くて、気安く近づくことなどできないくらいの威厳が感じられる。
 こんな人が本当にいるんだ。
 サレは、初めて会ったミルハウストに見とれていた。
「僕に、御用だと聞いたのですが。」
 サレは緊張を懸命に抑えてそう言った。
 ここに来るまでは、名高い将軍閣下に名指しで呼ばれたことがひたすらうれしかったが、実際に会ってみれば、それどころではなかった。
 これほどの人に、名を覚えてもらえたのだということは、一介の兵士の身としては、かなりのプレッシャーで、正直怖かった。
「…お前に関する資料を読ませてもらった。稀に見るくらいの、スケールの大きい、フォルス能力をもつそうだな。にわかには信じがたいくらいの。」
 僕のフォルス能力を評価してもらえたのか。
 それは、サレがこのバルカに来て、何よりも頼りにしてきたもの。
「お前のその、『嵐』のフォルス能力は、軍一個小隊の兵力にも匹敵すると聞いた。最初、それを聞いたときには、到底信じられなかったが、私なりに調べてみ たら、どうやら本当らしい。驚いたが、事実は事実として認めねばなるまい。お前はその素養に加え、『王の盾』での二年間の成長ぶりも素晴らしい。厳しい訓 練にもよく耐えて将来が楽しみな人材、それに、剣の方も随分と素質があり、上達振りもかなり早いというのが、総じて上の評価だ。」
 ミルハウストがそう言うと、サレの表情の中に、明らかに恐縮したような朱が昇った。
 サレは思わず俯いた。
 そのため、このときミルハウストに、まるで狙った獲物に照準を合わせるかのような視線を向けられていることに気付かなかった。

 あの簡素な証明写真ではなく、間近で見たサレは、肌が透けるように白く、この年頃の少年期にありがちな荒れが一つもなく、線の細さやそのしなやかな痩躯も相俟って、一層、少女めいて見えるものだとミルハウストは思った。
 懸命に礼を尽くそうとした緊張からその長く揃った睫にピリリと震えが走ったのがわかる。
 ミルハウストはそれを見るや、いよいよ内面に悪意の焔が灯るのを感じていた。
 本当に。
 こんな珍種を見つけてきた『王の盾』には感心する。

「…過分な評価、身に余る光栄です。」
 ミルハウストの内面にどれほどの暗黒が潜んでいるかなど、少しも思い至らないサレは、緊張に少し上ずった声で答えた。
 目の前の少年『サレ』は、ミルハウストにとって『獲物』であり『標的』であるには違いなかったが、それ以前に、ミルハウストは王の盾という組織が、武力組織として名乗りを上げたことに本能的な嫌悪感を抱いていた。
 王の盾は、到底信用できない要素が多すぎるのだ。
 元々、兵や将が振るう武力とは、忠誠心の衣を剥ぎ取れば、所詮、人殺しの暴力なのである。
 軍隊とは、一切の自己を排した忠誠心や国に対する信念無しには、大義で結束した組織として成立し得ないものであるとミルハウストは固く信じていた。
 にもかかわらず、ジルバが国王や重臣の前で、堂々と『武力組織』として名乗りを上げた王の盾は、構成メンバーが皆フォルスという超常能力をもつがために、忠誠心などとは無縁のところでその力をふるう、言わば只の殺戮集団なのだ。
 そしてその、本来ヒトとして不相応な力と精神とのバランスに勝手に苦しみ、多くは自己抑制を失い、すぐに感情面から力を暴走させて自滅する。
 全ては蓄積データが物語る、いかにも不安定要素を多分に抱えた不忠者たちの集団を、この伝統あるカレギア王国の武力を担う組織と認めるわけにはいかない。
 ましてや『正規軍』と同等の格と権力を手に入れようとするなど。
 到底許せるはずがなかった。
 そしてその忌々しい『王の盾』は、この目の前の少年『サレ』を、フォルス能力者部隊の先兵に仕立てようとしているのだ。
 ミルハウストはいよいよ残酷に内心が揺らぐのを感じていた。
 さて、次なる言葉には、どう反応するか。

「だがお前は。」
「…?。」
「もう少し、『考える』、ということをした方がいい。」
「…考える?、僕が。」
 思いもよらぬといったサレの反応に、ミルハウストは案の定とばかりに冷たく唇の端を僅かに吊り上げ、座っている肘掛け椅子の脇のサイドボードに、持っていたグラスを置いた。
 グラスの氷がカラン、と乾いた音をたてた。
「お前は毎日、それこそ休む隙すら与えられず、過密なスケジュールをこなしているようだが、それはお前の思考能力をマヒさせて、何も考えなくなるようにさ せるためのものであり、それが『王の盾』のやり口だ、ということだ。この種のやり方は、主にカルト宗教集団で常用される初歩的な洗脳手段なのだが、お前は ただ日々、目の前にぶら下げられた訓練メニューに没頭するばかりで、それに気付きもしない。例えばデータ上、お前のフォルス能力は、既存の能力者たちと は、桁違いの破壊力をもつらしいが、『王の盾』が今後、お前をどう使っていこうと目論んでいるのかと、そういうことも考えないのか?。」
 ミルハウストの言葉に、サレは咄嗟に顔が真っ赤になるのが解った。
 サレは急いで「僕は」と言いかけたが、ミルハウストはそれを遮って言葉を続けた。
「お前は他の能力者とは全く別枠で余分な訓練カリキュラムを組まれているだろう。特にフォルスに関しては、専門の研究スタッフまでつけられている。そこま で特別扱いされていながら、しかもその力を使うのは、他の誰でもない、お前自身だというのに、おまえはその力の有りようについて、何も考えない。」
「それは。…僕が、『王の盾』の兵士だから…ッ。」
「兵士だから?、上から言われたとおりにしていけば間違いないと?。すなわち『王の盾』が養成しているのは、『フォルス兵器』であって、フォルスを使う能力者ではないと、そういうことか。」
「…違う。」
 そうじゃない。
 サレは懸命に否定しようとした。
 僕はこの力をもって生まれたがために、一度は全部否定された身だけど、それを『王の盾』は認めてくれて…。色々な言葉が頭の中をめぐったが、これをミルハウストにうまく伝えるための言葉が浮かばなかった。
「違わない。『王の盾』はお前をやがては幹部に育成する計画らしいが、それは、単に、お前を大量破壊兵器に仕立てようとしているだけだ。それにもかかわらず、当のお前は、訓練に思考を全部吸い取られるばかりで、しかもそれを良かれと思っている。」
 だってそれは。
 訓練に没頭していれば、あの、つらいことも悲しいことも。
 思い出さずにすむじゃないか。
「日に三度の食事を保障されて、着る物と温かい寝床を与えられて満足し、そしてせいぜい良い成績をあげて、『よくやった。』と誉めて貰えれば、お前の自尊 心は満たされる。大量破壊兵器に養成されるお前の実体は、所詮、食と寝床と褒め言葉で満足する程度の存在だ。お前は『王の盾』に舐められ騙されている。そ れはお前が何も考えないからだ。」
 ミルハウストが唇の端だけで哂っていた。
 目元は少しも笑っていなかった。
 その冷たい笑みに、サレは自分に向けられているのが、明らかな敵意であるということに気づいた。
 それは背筋に冷たいものがつたうような恐怖だった。
 たまらずミルハウストから目を逸らした。
 でも何故、日頃、下級兵士の存在など視野にも無いはずの正規軍中将のミルハウストから、こんなことを言われるのか解らなかった。
 何て答えればいいのか、どんな返答をのぞんでいるのか。どう説明したらいいのか解らない。
 サレは両の拳を強く握り、必死に言葉をしぼりだした。
「僕の、フォルスのあり方については、…、それについてはここで意見を述べるまでの答えを用意してきませんでした。…少し、お時間をいただけませんか。次には、僕は、その答えを用意してきます。」
 やっとのことでそう言うと、すぐに「失礼します。」と短く言い、くるりと踵を返し、扉の方に向かった。
 どうでもいいから、いますぐこの部屋から出たかった。
 ここから出よう。
 すぐに。
 今日は本当は、8時から『フォルス研究室』に行くはずだったんだ。
 そうだ、そこで聞けばいい。
 そこに行けば、きっと分かる。
 僕がこの2年間、訓練してきた意味も。
 これから僕が、この力でどうすればいいのかも。
『食事を与えられて、温かい寝床を与えられて、…誉めてもらえれば自尊心は満たされる』
 たしかにその通りかもしれない。
 だって僕には、本当に何も無かったから。
 けれど、この惨めさはどうだろう。
 身体の奥底から、到底言葉にならない冷たい棘が出てきて、それに次々と身体を刺されるようだった。
 自分が懸命に努力したもの。
 ここで手に入れたもの。目指していたもの。全部とてつもなく惨めに思えた。

 重く足を引きずるような気持ちで扉の前まで来て、取っ手を掴もうとしたときである。
 背後からミルハウストの声がかかった。
「『フォルス研究室』は取り潰しだ。」
 その言葉に驚愕し、振り返ると、ミルハウストがこちらに近づいてきた。
「…。」
 扉を背にしたサレの目の前に立ってミルハウストが見下ろしてくる。
 睨んでいるような、怒っているような顔だと思った。
「あの研究室で2年も訓練を受けていながら、お前は本当に何も知らなさ過ぎる。いや、日々小さな自尊心を満たされ、満足していたお前なら当然と言うべき か。ならば教えてやろう。あの研究室の実体をな。あの機関は、お前という『ヒューマ能力者サンプル』を研究し、それを立派な大量破壊兵器に育成する ための、言わば人体実験場だ。お前のフォルス能力を確実に高めていくために、ここ数年間でざっと50人ほども能力者がモルモットのように扱われ最終的に 「廃棄処分」になっている。」
「…。」
「これは重大な組織的犯罪であり、そんな組織を、これ以上、伝統あるカレギア国の兵力養成機関として存続させるわけにはいかない。だから私が、今日限りに あの研究施設は取り潰すことにした。今後は、正規軍があの研究施設を管理し、その実体を全て明らかにしていく。研究員たちは、その罪状に応じて相応の処罰 を受けてもらう。先程、通達と同時に全ての研究員の更迭を行なった。50件の殺人はおそらく氷山の一角だ。証拠の隠滅は一切許さん!。」
 愕然とした。
 部屋で『フォルス研究室』に電話したとき、誰も出なかったのは…。
 こういうことだったのだ。

「『フォルス研究室』は言わばお前専門の研究機関であり、悪質な犯罪組織だ。」
 サレは言葉を失って放心したように立ち竦んでいた。
 が、次の瞬間、正面からずしりと肩を捕まれた。
 咄嗟のことに対応できずによろめいたが、顎を掴まれ、そのまま強引に顔を上げさせられた。
 頬に指が食い込む。
「…ッ、」
 痛みに引きつったような小さい悲鳴が漏れた。
 とどめを刺すように、ミルハウストの言葉が追討ちをかけた。
「だが当のお前はフォルス研究室の実態について「何も知らなかった」と言って処分を免れるのだろう。無知で命拾いをしたというわけだ。お前はこれからもせいぜい命令されるままに『任務』をこなせばいい。」
 任務。
「何も考えないお前でも、それなりの価値はある。…女でもここまでの美しい者はそうそう居まい。」
 このときになって、自分が今日ここに呼ばれた意味を知った。
 不自然な体勢で顎を掴み上げられたまま、唇が覆いかぶさってくる。
 唇を覆われ、呼吸をふさがれ、息苦しさに身もがくと、今度はものすごい力で腕を掴まれ、まるで物のように身体ごと引き寄せられた。
 真っ白になった頭の中がじわりと恐怖に塗り替えられていく。
 何も考えられない。
 どうしようもなかった。
 歯列を割って、舌がねじ込まれる。
「ぅ…、」
 閉じようとしても、力の入れ方も分からなくて歯を食いしばることもできない。
 生温かい舌が口腔内を犯していく。
 嫌悪感に必死に首を動かして抵抗しようとしても、顎を掴んだ指が箍のように肌に食い込み、逃れることも許されなかった。
 喉の奥から切れ切れの声が漏れる。
 その呻き声すら飲み込まれて、舌はとっくに絡め取られて、深く唇を重ねられたまま、もう、なされるがままになるしかなかった。
 ただ力で身体を拘束されたというのではない。
 恐怖で動けなかった。

 掴まれた腕が痛かった。
 暴力。
 殴られたり蹴られたりしたことなら、数え切れないほどあった。
 けれど、こんなのは知らない。
 こんなふうに、叩き落されたことなど、これまで無かった。











To be continued…






2005 1210  RUI TSUKADA




 
当初、山家のサル状態だったサレwがバルカに来て、衣食住を保障され、それなりにひいきされて、やっと人を信じるということができるようになった矢先の性的暴力…。
 ウチの設定では、この二人は今後8年間も付き合うわけで。
 サレがああも自信に満ちた垢抜けた貴公子に変貌するのは、カレ、ミルハウストの影響だったりもするぞ…。
 

 
次回『支配(5)』
 やるしかないって。