『支配(3)』 







 
 日中の剣の訓練を終え、『王の盾』の若い兵士たちが次々と兵舎の方に戻ってきた。
 一日の訓練が終わった開放感でいっぱいといった様子で、どやどやと食堂へと一斉に移動する兵士達の群れの中から、サレは一人離れると、いそいで宿舎のある建物に向かった。
 ここから先は、他のメンバーとは別行動となる。
 部屋に戻ったらすぐに軽く何か食べる。そして身支度を整え次第、今度は「フォルス研究室」の方に行かなければならない。
 そこでバーチャルシミュレータを使ったフォルス開発の訓練を受ける。
 訓練と検定とで2時間。その後、医療センターの方で入念なバイタルチェックを受ける。
 これが今日のサレのスケジュールだった。
 午前中は学科、午後は剣の訓練と、サレのスケジュールは毎日それこそ分刻みだった。
 今日は暑い日であったから、日中の剣の訓練だけでもかなり体力を消耗していた。
 フォルスの訓練は、さらに精神力を使うことになるだろう。
 特に月に一度の検定日である今日は、一瞬たりとも集中を途切らせることができないから、終えた後はかなりクタクタになって、ほとんど何も考えられずに眠り込むことになる。
 けれど、こういった文字通りのハードスケジュールな日々は、サレにとって決して苦痛ではなかった。
 剣の訓練もフォルスの訓練も、確かにハードではあったが、繰り返せば繰り返すだけ、日々自分の能力が高まっていくという実感が得られている。
 特に、まるで扱い慣れた武器のように自在に操れるようになった『嵐』の能力は、もう誰にも負けやしないという自信がある。

 バルカに来て二年。
 頭の片隅にはまだ、ここに来る前の、あの『失われた辺境の村』でのことが記憶に残っている。
 置き去りにされて親に捨てられたのだということを知ったとき。それに続いた差別と虐待の日々。
 そして絶望にまみれながら暗闇の中で激しい雨を全身に浴びたときのことを、まだ忘れることはできない。
 あの時に比べれば、今、自分を取り巻く環境は、何もかも間違いなく進歩しているのだ。
 今は前に進むことだけ考えてればいい。
 何も考える隙も無いくらいに忙しいのなら、それも悪くない。
 嫌なこともつらいことも全部、日々の忙しさに押し流されてしまえばいいと思う。

 サレは、皿に載った残りのサンドイッチを口に詰め込むと、クローゼットからグレーの隊服を取り出した。
 少年兵用の隊服は、王の盾に入隊したときに何着か支給されたが、全て既製服であるため、王の盾メンバーで唯一のヒューマのサレにとって、サイズはどれも大きめで、肩のあたりが少しあまる。
 2年間の研修課程を修了するまで、あと少し。
 一月後には学科と実技の修了試験が行われ、それが終わればいよいよ配属先が決まって、王の盾の正式な兵士になる。
 そうなれば手当ても増えるし、自由になる金も多少はできるだろう。
 この少々着心地の悪かったグレーの隊服からも卒業だ。
 服だけの話ではない。
 正式な兵士として仕事を任せてもらえれば、自分の判断であれこれ行動もできるし、立場がしっかり出来てくれば、ここでの居心地だってもっとよくなるかもしれない。
 いやきっとそうに違いない。
 サレは口の中のものを飲み込み、取り出した隊服をとりあえずベッドの上に投げておいた。
 これから10分でシャワーを浴びること、15分で支度を整えること。
 そう頭の中であわただしく計算しながら、シャワールームの方に向かおうとしたところ、部屋のドア・フォンが鳴った。
「?。」
 スケジュールの時間は押していたが、呼び出しを無視するわけにもいかないので、サレはいそいでドアを開けた。
 そこには王宮の文官らしい、暗色のローブを纏った背の高い男が立っていた。
「王の盾、兵士サレ。」
 男の声は静かで低く、その襟元まで覆う裾の長いローブの襟章から、かなりハイクラスの文官であることが解った。
 一目見て向かい合っただけで解った。この人、貴族だ。
 サレが属する王の盾のメンバー達とは、全く異なる種の人間だということが、向かい合った空気のようなもので分かる。
「…僕に何か御用ですか。」
 文官が、まだ剣の訓練着姿のままのサレに素早く視線を走らせたのが解った。
 そのいかにもチェックしているといった様子にサレは内心身構えた。
 すると今度は、その文官が、ドアの隙間からサレの部屋の中をちらりと見たのが解った。
 王の盾の少年兵用の宿舎として最近増築されたこの建物は、シンプルで機能的ではあったが、装飾らしいものは一切施されておらず、サレの部屋も、とても王宮の一角とは思えないくらいに簡素な造りをしている。
 おまけに必要な物以外一切置いていないので、部屋はかなり殺風景で、サレの日頃の生活の余裕の無さをそのまま表しているかのようだった。
 サレは文官の視線から塞ぐように、意図的に少し立ち位置をずらした。

 その観察の視線から、どうやらこの文官は、部屋の中に誰かいないか確かめているらしいことが解る。でも何で。
 この見るからに貴族階級というものにどっぷりと浸かりきっている感じの文官。
 随分、冷たくて排他的な、嫌な感じの眼で見るものだと思った。
 部屋の中に、他に誰か居るのか知りたいならそう僕に聞けばいいものを。
 これで自分は至って上品な人間だと思っているんだろうから、貴族という人種はさっぱり理解できない。

 サレが「貴族」というものを間近で観たのは、上司のジルバを除けば、これまでたった三度しかなかった。
 一度目は、王の盾に入隊したばかりのころに開かれた建国祝いの式典のとき。
 二度目は今年の新年祭の式典のとき。そして今回のこの文官である。
 カレギア城では、年に数回行われる祝賀行事の式典で、全ての階級の者達が城の大ホールに一同に会して祝杯が上げられることになっている。
 サレたち王の盾の少年兵も、そういった大きな祝賀行事の際には、カレギア城の大ホールへの出入りが自由に許されてはいたが、いかにもこちらとは身分が違う、という雰囲気を湛えている華やかな人たちの群れには意識して近寄らないようにしていた。
 どうせお呼びでないんだろうし。
 『少年兵』という正式配属前の立場が気楽だったということもある。
 きらびやかに着飾った貴族たちの群れは、遠くから見るだけで充分だった。
 
「正規軍ミルハウスト中将閣下が貴殿をお呼びである。午後9時に閣下の私室に赴くように。」
 突然やってきた「貴族の文官」はそう言った。
 唐突に申し渡された、思いもよらぬ命令の言葉にサレは途端に困惑し、一瞬、返答に窮した。
 憮然としたその文官の表情、その抑揚の無さ、そしてさも当然といった口調は、妙な威圧感を与えてくる。
「あの、ですね。」
 サレはこの『唐突で非常識な貴族』の申し出をとりあえず断れないものかと考えを巡らせた。
「僕は今日、これからフォルスの訓練を受けることになっています。午後8時からです。急病でもないかぎり、スケジュールは変えられないことになっています。」
 そう答えると、その背の高い文官が、すっと眼を細めたのが解った。
 そして「王の盾、兵士サレ。」とまた先程の抑揚の無い声で言った。
「貴殿も承知とは思うが、このカレギア王宮において物事には優先順位というものがあり、それは、身分をもって決定されるものである。一介の兵士たるもの、 正規軍中将閣下のご意向に従うのがここの道理であり、これは冒してはならない秩序である。それとも王の盾の兵士は目上の者の意向よりも、自分の都合が優先 されるとでも申すか。」
 文官は、ぴしゃりと押さえ込むような言い方をした。
 こっちの都合が一切加味されていないその言葉にサレは呆気にとられたが、すぐに「冗談じゃない、」と思いなおし、他の言葉で断れないものかと思った。
「そういうことを言っているんじゃありません。けど何だと言うのです、随分突然ではないですか。」
 次の言葉を捜していると、目の前の文官は咳払いをした。
「王の盾という組織は、随分と構成員個人の自由を尊重するところだと聞き及んでおるが、そのような組織形態こそがこのカレギア王宮内では先例の無いものであり、先ほどの貴殿の言葉は、この王宮の風習に到底なじみの無いものである。」
 文官はそう言って、目を細めた表情のまま、唇の端をすっと横に引いた。
 それは、こっちを世間知らずと決め付け嘲りながら諭す、とばかりの、到底笑顔言いがたい、まるで爬虫類のような顔だった。
 サレは、ぐっと顎を引き、唇をかみ締めて目の前の文官を見た。
 こちらのスケジュールの内容まで明かしたのに。
 言い分は認められない、いかなる反論も聞く耳をもたないといったその顔を見ていると、随分と面倒なことになったものだと思った。
 でも何とかしなければ。部屋のドアの取っ手を握った手に力がこもる。
 困惑したサレを一切かまわず、といった感じで文官は続けた。
「貴殿がこれから赴く正規軍の官舎は、一般兵の宿舎と異なり、将官殿の宿舎にも近いところである。出入りする者も相当に限られたところ故、身だしなみにも充分に留意し、くれぐれも先ほどのような突飛な言動は慎むように。」
 サレは、もはや心底あきれていた。このどうしようもなく、こちらの都合の通じなさ。
 まともに会話すら成立しやしない。
 この貴族の文官が、特に横柄な性格なのか。
 いや違うな。このカレギア城の中のきっと、多くの人が、元々、『王の盾』という組織自体に偏見をもっているんだ。
 先例が無いだとか、風習になじまないだとか。大きなお世話だと思った。 
 こういう男と同じ組織にいたり、ましてや部下でなくてよかったと、心底思った。
 毎日顔を付き合わせるたびに陰険で、身分何だでハナからこちらを見下す態度をとられたのでは、さぞかしたまらないことだろう。
 しかし今、こっちが単純に怒っていても、どんどん相手のペースで決められるばかりだ。
 要するに、さっきから舐められっぱなし。
 こちらの都合を説明しても駄目なんだから、こういう相手に何をどう頼もうが、どうせ無駄なんだろう。
 そう思い至ると、逆に妙な勇気が湧いてきた。
 これは別人種だ。
 説明しても頼んでも駄目なら別の言い方をするまでだ。
 サレは、ふう、と息を吐いて、やれやれといったふうに肩を竦めてみせた。
「…そうは言ってもですねえ、それをやるには王の盾執行部にスケジュール変更の申請手続きを事前にしなけりゃならないんですよ。原則二週間前にはね。それ に許可が下りるまでスケジュールの調整やらで、相当時間がかかることにもなってます。それこそ僕たち『王の盾』では『先例の無い』ことなんですからね。今 日はもうあと1時間もしないで訓練時間になるから、スタッフの方は皆研究室の方で待機してます。こんなふうにメンバー一人の都合だけで、しかも直前になっ てからスケジュールを変更させられたのでは、他のメンバーにもスタッフの人達にも迷惑がかかるということを理解していただきたいのですが!。」
 意図的にぶしつけな言い方をしてみた。
 言い分はこっちにあるのだし、挑発して相手を煽る意図もある。
 いっそ怒って帰ってくれないものだろうかと思った。
「貴殿は余計なことを考える必要はない。こちらから与えられた『任務』を遂行すればよろしい。本日の貴殿のスケジュールの変更においては、既に私が、正規軍の名において、王の盾の執行部に申し伝え、了解を取ってある。」
 文官の抑揚の篭らない声で伝えられたその言葉に、サレは少なからずショックを受けた。
 耳の中で自分の鼓動が鳴るのを聞いた。
 なんだよ。そういうことなのか。
 既に全部終わっているのか。
 この王宮ってところは、部外者がえらそうに突然指示をよこして、こっちのスケジュール変更を、至極簡単にやってのけるようなことがまかり通るのか。
 自分の知らないところで勝手に行動が制限され、既に何もかも決められてしまったことへの理不尽さに、サレは怒りというよりは一気に気が抜けた。
 それにしても。
 いきなりやってきた初対面の相手に何でこんなふうに言われなきゃならないんだ。
 どれほど貴族というものが、身分の高いものなのかは知らないが。
 随分、横柄なものだと思った、
 一体、何だというんだ。
 えらそうに。
「…たしかに承りました。」
 少しの間を置いて、ようやっとサレはそれだけ言った。
 固く握り締めすぎていたため、ドアの取っ手から手を離すと、指先に急激に血が戻っていく感覚がある。
 サレを見おろしたまま文官が「ふむ」と鼻を鳴らした。
 あんたの命令に従ったわけじゃない。
 サレは心の中でそうつぶやいた。
「貴殿はこれより2時間後の午後9時、時間厳守をもって当任務を遂行されたし。」
 そう抑揚の無い口調で告げると、文官はすっと踵を返し、長い廊下をすたすたと戻っていった。

 サレはかなりうんざりとした気分でドアを閉めると、それを背にして、ひとつ深く息をした。
 二度、三度と深く息をすれば、ようやっと気分が収まってきた。
 サレはベッドにどさりと横になった。
 人のスケジュールを無断でどうこうしておいて、しかもそれを、平気で「当任務」とか言ってやがったな。
 貴族か、貴族が何だって言うんだ!。
「…。」
 サレは思い立ったように、ベッドの枕元の内線専用の電話機をとると、『フォルス研究室』の番号を押した。
「…、…。」
 10回以上コールしても出ない。
 誰もいないのだろうか。
 今日は月に一度の検定日だから、いつもなら、10人くらいのスタッフが来ていたはずなのに。
 さっきの文官にスケジュールの変更を告げられてスタッフはすぐに解散させられたのだろうか。
 20回目のコールを聞いて、サレは仕方なく電話機を置いた。

 どうやら本当に9時まで時間ができてしまったらしい。
 『王の盾』が一方的に正規軍の言いなりになっているような立場にあることを見せつけられたことは、サレにとって少々寂しいものではあったが、気分がやっ と落ち着いてくると、今度は段々と、それ以上に、実はさっき自分は大変な任務をおおせつかったのだと思わずにはいられなかった。
 さっきの文官から告げられた言葉を頭の中で反芻しているうちに、これまで味わったことのない興奮が沸き起こってくるのを感じていたのだ。
 
 名指しで呼ばれたのだ。
 あの『正規軍のミルハウスト中将閣下』に。
 
 このバルカに来てから、サレは実質的に、王の盾という組織を一歩も出たことが無いと言っていい。
 毎日休みなく訓練のみに明け暮れ、他の組織の者とろくに会話をしたこともなく、スケジュールが過密であったこともあるが、年中行事も、興味がわかないのでさぼりがちだ。
 食事も今日みたいに自室ですませるか、王の盾兵舎のカフェテリアを使っている。
 その常識すらも王の盾の色に染まりきって、この組織の有り方を、誇りに思っていた。
 厳しいけれど、訓練さえ積んでいけば、自分はこのフォルスをもって、もっともっと強くなれる。
 そういう実力だけが物を言う組織、実力で正しく評価される組織。それが王の盾なのであり、特に天涯孤独のサレにとって、出自経歴一切問わないこの組織の居心地は悪くない。
 それに『王の盾』では、どうやらこのカレギア王宮内で『常識』らしい、身分を根拠に侮辱されたり、不条理に馬鹿にされることも一切ない。
 そういうことを考えれば、身分制度の下で神経すり減らしている他の組織の連中に対して、優越感すら抱いていたのだ。
 けれど今のこの不思議な高揚感。
 沸き起こるうれしさはどうだろう。
 これは王の盾という組織を誇りに思う気持ちとは別のところにあるものだ。
 『正規軍』の人と、マトモに会うのは、初めてだった。
 それがあの、名高い将軍閣下であるとは、
 『ミルハウスト将軍』は、このバルカの貴族の中でも、突出して秀でた家柄の、大貴族出身の将校であることには違いなかったが、その実力は、この王の盾の少年兵の中にまで、噂が届くほどの人なのだ。
 20歳の若さをもって正規軍統括の将軍位についたことについて、誰も異を唱えなかったことも、その実力からなのであれば、正規軍のみならず、王の盾の兵士たちにとっても、それは英雄の存在そのものである。

「どんな人だろう。…色々、噂は聞いているけど。」
 あの文官へのムカツキはとりあえず、あっちに置いておこう。
 この王宮には色々な人種がいるさ。貴族にいちいち腹を立てていてはキリが無い。
 それに、これから2時間後のことを思えば、些細なことだ。
 サレはこのバルカに来て、初めて、晴れやかな気持ちになっていた。
 でも、どうして僕を呼ぶのだろう。
 そうも思ったが、いつか自分も、王の盾で、正規軍にも名が届くような実績を上げられるようになりたい。
 自分に備わったフォルスの力でもって、それが成し得るようになるのなら、僕はこのバルカで、きっとどこまでも行ってみせる。
 サレは今、新しい『任務』を得て、明るく挑戦的な気持ちになっていた。
 
  


 








To be continued…






2005 1203  RUI TSUKADA




 異端の少年期に差別と虐待の日々しか知らなかったサレがバルカに来て、自分の力で自分の道が開け始めた矢先、まさに雲の上の存在であるミルハウスト将軍から名指しで呼び出しを受ける。
 サレはすっかり夢見ごこちで明るく挑戦的なココロモチになってますが、ミルハウストの方は、サレを獲物だ標的だと決め付けて部屋で待ってます…。


 
次回『支配(4)』
 ミルサレでやおい・・・。