『支配(2)』 








 夏も終わりだというのに、随分と蒸し暑い夜だった。
 日中の職務を早めに切り上げて、この私室の書斎に篭ってから、一体、何時間が過ぎたことだろう。
 コンピューターのモニターの文字を凝視していた集中がふいに途切れ、卓上時計の文字盤に視線を走らせると、時間は既に深夜に近かった。
 ミルハウストは、わずらわしげに前髪を掻き揚げると、コンピューターのモニターから、一旦視線を外した。
 肘掛椅子から立ち上がって、すぐ側の窓辺に立つと、下に城の中庭が見渡せる。
 常夜灯のオレンジ色の光に照らされた城の中庭には、絶えず警備の者が出入りしており、今も数人のヒューマ兵が落葉樹が整然と植えられた遊歩道を歩いているのが見えた。
 この中庭を隔てれば、そのすぐ向こうには、王族の居住する建物がある。
 広大な敷地を有するカレギア城の中でも、このあたりに出入りを許される者は限られており、警護に当たるのは近衛の正規軍のみに許されていることだった。
 これまで全く疑問をもたなかった、こんな日常の光景が、今は少しの違和感をもって感じられる。
 国王の信頼に裏打ちされて与えられるあらゆる特権は、その格式のみならず正規軍の武力こそが、カレギア随一であるからだと、これまで微塵も疑ったことはなかった。
 まるでだだっ広い箱庭だ。
 眼下の中庭を見て、今、そう思った。
 美しく整然としており、そのくせ生の息吹が感じられない体裁ばかりの人工的なもの。
 今夜は徹底的にネガティブに考えるようになっているらしい。
 内側に内側にめくれ込むような思考は、精神状態に決していい影響を及ぼさない。
 今夜は到底眠る気になどなれそうもなかった。

 ミルハウストは、ふと、モニターのバックライトが、ガラス窓に青く映り込んでいるのに気づいた。
 その光はマウスで画面をスクロールさせるたびに、チラチラとガラス面に反射していた。
 この部屋に篭って、『作業』を始めてから既に数時間が経過している。
 随分と長い時間、中庭の兵士たちに、『コンピューターのモニターに釘付けになっていること。』を知られてしまったということだ。
 単に気が回らないだけなのか。それとも昼間の軍議でのことをまだ後味悪く引き摺り、『あれしきのこと』に動揺しているとでも言うのか。
 いかなる者の言葉であろうと、これまで自分の信念や自信を揺るがされたことなど無かったはずなのに、今、このやり場の無い苛つきに、少なくともこの数時間は思考を全部奪われた。

 見栄えばかりだと、高邁なだけだと、あの侍女は言っていた。
 これまで全くのノーマークであった、王族に連なる貴族出身の侍女に、まるで全てを見透したような口ぶりで「先ずは論より証拠」などと言われれば、既存の権力志向に凝り固まった重臣連中は感情的にならざるを得ない。
 『王の盾』の存在を、武力組織であり戦闘集団であるとアピールするための、派手なパフォーマンス的行動には違いないが、あの場で、あれほどの効果的な手段が、他にあるだろうか。
 あのわざとらしくも派手な演出は芝居がかったものではあったが、退出際に向けられた敵意は本物だった。
 足元をすくわれても仕方無い?。
 何を言うか。
 カレギアがいくら種族平等を建国以来、掲げた国家であると言っても、それはマクロ的な視点に立った理想論なのであって、現実的にこの社会を滞りなく動かしているのは、階層社会の秩序そのものであろうが。
 そもそも人が全て平等であるということほど愚かしいものはない。
 その個性が様々であるように、ヒトは本質的に決して平等なものたりえない。
 組織を動かし、国を導いていくために要求される強烈なリーダーシップは、選ばれし者にのみ与えられる特権たるべきで、特に何世代にもわたる階級社会に根ざすこの国には、一生のうちに決して縮まらない差というものは、必要不可欠なものだ。
 力こそ正義、力を認め、相応の権限を与えろとのジルバの言が、全面的に不正義であるとは言わない。
 シンプルで分かりやすい過激な論調は、さぞかし庶民に受けがいいことだろう。
 しかしこの国に厳然と存在する「秩序」を簡単に覆させるわけにはいかない。
 その後に生じる波紋や摩擦をどう始末してくれる。
 定められた階級に沿って、一生すらも決められてしまうのが、このカレギアの現実であっても、逆に言えばそうであるからこそ、人が「定められた階層に留まりさえすれば、安寧とした生涯が送れる国」足りえるのである。
 階層社会に胡坐をかいて、腐敗政治に寄生し、富を不当に蓄える貴族達は、いずれ追い出せばいい。
 それは人事を正し税制を改める等の政治によってなされるべきであり、突発的で局所的なクーデターであってはならない。
 しかし今、冷静に考えてみれば、命令を下して支配すること。それは自分の日常そのものではあったが、それを平然となし得る正規軍将軍職に二十歳でつけたのも、国の中枢を事実上軍力で支配し得たのも、間違いなく、階層社会随一の支配階級の生まれであったからなのだ。
 もしかしたら、それこそ実力とは全く関係のないところで、自分の周囲は動き、それに乗せられただけなのかもしれない。
 ジルバの言を借りれば、これこそまさに出自故の偽の権力だということなのだ。

『ただ高邁なだけの様式と伝統にもたれかかったその階級制度。』
 退出際、そうジルバに言われたとき、反論することはできたはずなのに、しなかった。
 それは仮にそうしていたら、どこか嘘を交えなければならなかったからではないのか。
 冗談ではない。
 認めるわけにはいかない。
 己に課した正義も、実のものであると信じた権力も。
 この階層制度に寄り添ったものとして初めて成り立つ偽のものであると。
 認めるわけにはいかない。
 小さく舌打ちすると、ミルハウストは、やや乱暴に厚手の遮光カーテンを引っつかみ、それを窓ガラス全面に引いた。

 ミルハウストは再度モニターに視線を戻した。
 今、画面には、『王の盾』に関する詳細なデータが表示されている。
 軍議が終わった後、側近に私室のコンピュータに転送するように命じておいた。
 『王の盾』は、実は建国以来の長い歴史をもつ組織である。
 このカレギアは、代々ガジュマを歴代の王としているから、フォルス能力への認識も当然、古くからあったことになる。
 当初、能力者である王族の側仕えとして、あるいは神事の祭祀として登用されたことが、この組織の始まりだった。
 ガジュマの中に、稀に存在する先天的な「超感覚」を、例えば気象を読んだりだとか、儀式の際の宗教上の吉兆を占ったりするだとかの、まじない的なものとして利用しだしたのが、この組織のはずだったのだ。
 ミルハウストはモニター上で次のファイル、構成員の個々のデータを表示した。
 一見してここ数年の構成員の入れ替わりが非常識なくらいに激しいのがわかる。
 特に今年に入ったあたりから、任務中死亡した者や、行方不明になった者の数が激増している。
 戦のさなかの正規軍ですらこれほどではない。
 これではまるで野戦に駆り出される辺境軍並ではないか。
 『王の盾』は、当初まじない集団的な言わば無害な組織として長きにわたって認識されていること。
 組織自体の変化がほんのここ数年に集中しており、周囲の者がその変革のスピードに追いつかないこと。
 そして能力者のみが構成員たり得るという特殊性からか、カレギア王宮の中枢部のチェックが行き届いていないのだ。
 すなわち少なくともこの数年間、「いいかげんなチェック機能」を踏み台にして『王の盾』はジルバのやりたい放題だったということになる。
 『王の盾』には、戦闘員の他に勧誘員が存在する。
 能力者というものは、その能力が強ければ強いほど、内面に自己の力への恐れを抱き、精神とのバランスを取るのが困難になるため、必然的に人格的な歪みを生じやすい。
 いわばその孤独に巧みに入り込み、王の盾へと導くのが「勧誘員」の役割であり、これによって国中から絶えず能力者を探し出しているようだ。
 これほど「脱落者」も多いのであれば、能力者はいくら連れてきても足りないだろう。
 殉職者の多さから、かなり使い捨てに近い形となっていることが分かる。
 能力者の勧誘は、殆ど誘拐だ。
 そして「脱落者」に関しても詳細な記録が残されていた。
『フォルス能力を実用兵器として発揮しえるシステムを構築し…。』
 フォルスが、いかに能力者個人の資質やその時々の身体的状態、精神状態に依存しやすく、また暴走しやすいものなのか。
 そういうことを含めて、膨大なデータを基に構築したシステムを使って、能力者を個々の人格の適性に応じて完璧に管理し、その能力を恐れることなく自在に操れるように「訓練」すること。
 それがフォルスの実用兵器化たるゆえんなのだ。
 「脱落者」のデータはいわば、人体実験のデータそのものだった。
 こういうことなのか。
 国王直属の機関として作られた組織であるのに、この現実の姿、このいかがわしさはどうだ。

 ミルハウストは、自分自身がフォルス能力を持たないヒューマであることから、実感として「フォルス」を知らなかった。
 これまでせいぜい書物の中で読んで得た知識をもって理解した気になっていたに過ぎない。
 しかし今、モニター上の情報は、これまでミルハウストが読んだあらゆる資料など、到底比べ物にならない現実感をもって、そのフォルスの実用兵器としての可能性を見せてくる。
 特に『フォルス能力の暴走』についての情報は極めて興味深かった。
 おそらく本人ですら知り得ない『暴走状態となった際の力』までも、意図的に暴走状態を作り出して測定し、事細かに数値化されている。
 『王の盾』メンバーを管理しているもの。
 それは自らのフォルス能力の限界値を明らかにしてこれをもって拘束することに他ならない。
 能力者は部品であり道具だと言う訳か。
 だがその力を戦闘に使えば、たしかに侮れない。
 ただでさえ、能力をもたないヒューマにとっては、未知なる力というものは、それだけで脅威たり得る。
 自分だけが理解していても、今のジルバは止められない。
 今日の軍議でのジルバの態度、そしてあの場に居合わせた重臣たちの反応から判断すれば、おそらく手遅れと言えるところまで来ているのだろう。

 次に、構成メンバーの個人の能力に関するデータに移った。
 個人の写真、身体的な基本データ、役職、経歴、任務内容。
 それぞれについて、かなり詳細な記録が記載されている。
 そのときふいにマウスを動かしていた指が止まった。
 その項目に記された情報に視線を止め、画面を凝視した。
「ヒューマ…?。」
 添付写真を見るに、これは明らかにヒューマだった。
 データの更新日時はまだ新しい。
 それは最近やっと『研修』を終え、近日中に正式配属がなされる予定の、見習い兵士といったところだった。
 現在の年齢は16歳とあるが、写真の姿からは、実際の歳より更に若く見え、頬や首の線などまだ幼くすらあった。
 前髪が長く伸ばされ、一見して少女めいた容貌をしていたが、切れの長い眼と、鮮やかな蒼い色の瞳の印象が、まるで鋭利なナイフのように、少年の容貌に怜悧な雰囲気を与えて女性的な柔らかさを相殺している。
 簡易な証明写真を通してすら、その非凡な美しさが伝わる。
 経歴、そして『フォルス能力』の項目に目を移した。
 バルカに来たのは2年前。推定14歳のとき。
 現在地図上に載らない、地理学的な記録にのみ残されている『失われた辺境の村』の生まれであることが記載されていた。
 そしてその村を壊滅させたのは、この少年のフォルスの暴走のためであること、そして当時の様子が写真と文章とで詳細に記録されていた。
 能力種別『嵐』。
 属性『風』
 ランク『特S』。
 すなわち、さきほどのジルバの言を借りれば、この少年のフォルス能力こそは、たった一人で、一個小隊を瞬時に壊滅させることができるという。
 これか。
 この少年が根拠だと言うのか。
「フォルス能力者一人の力は、ヒューマの軍兵士百人には匹敵します。」
 得意げなジルバの声が鮮明によみがえった。
 そうなのか。
 あのヒューマ嫌いで有名なジルバご自慢の『王の盾』の期待の新人がヒューマなのか。
 哂える話だ。
 よくもこんなのを見つけてきたものだ。
 一月前に行われた知能検査でもかなり高い数値が記録されている。
 日常の訓練も他の兵士たちとは別枠に、この少年のためだけのカリキュラムが組まれている。
 特にフォルス能力開発については、この少年一人のために、専門のスタッフまでも付けられているようだ。
 類稀な能力者であり、同時に先例のないヒューマであることから、随分と慎重に、神経質なくらいに丁重に扱われているのだ。
 幹部に育成する気なのだ。このヒューマの少年を。

 『壊してやろうか。』
 それは、唐突に起こった意志だった。
 静寂の水面に石が投げ込まれたときのように。それは突発的なものではあったが、到底覆す気にはならなかった。
 これは理屈から生じたものではなかった。
 だからこそ、理屈によって今の自分の精神状態をあれこれ分析しようとしても、何を考えようとしても、無駄だった。
 確かに『王の盾』は、今後において邪魔になるであろうことが明らかな組織へと変貌してゆくであろうと、今夜、これらの資料を、特にサレの持つ能力の数値を見て明らかにはなった。
 これまでただのまじない集団であると侮り、ノーマークだったことは、迂闊だったと認めよう。
 『王の盾』がこれほどまでに、実践の戦闘能力を持った集団に変貌していたことに、驚いたことは事実だ。
 だからこのヒューマの少年を、例えばこちら側に引き込み、懐柔して情報を流させるように仕向けようか、とも。
 これらは確かにもっともらしい理由ではあるが、後付けの、頭で考えて出した「言い訳」であり「理屈」に過ぎないのだ。
 違うのだ。
 『壊してやろうか。』
 この感覚は、『王の盾』という組織の変貌ぶりと、そこの幹部候補のヒューマの少年とを結びつけたことによるものとは明らかに違うものだ。
 どんな言葉も、どんな理屈も、今のこの唐突に湧いた意志を打ち消す力をもちやしない。
 根底で眠っていた自分の中の何かが。目覚めたのだ。
 それは限りなく本能に近く、破壊衝動という言葉が一番ふさわしい。
 自分の中に眠る、本質としての支配欲。
 『サレ』は標的だった。

 軍議の間で、武力をもってこの国の勢力図を塗り替えようとするジルバの言は、単なる切っ掛けに過ぎない。
 カレギアという国の階級制度。国境でのバイラスの大量発生。今日の軍議が紛糾したこと。
 そしてサレというヒューマ能力者が出現したこと。
 これらは全て、予め定められていた『条件』なのだ。
 段階を追って生じた衝動ではない。その証拠に一つも欠けては成立しえず、その兆候すらも無く、全て揃うことによって、突如として目覚めるのだ。
 全てのカードが今、「サレ」という存在の出現によって、全て揃った。
 キーワードが完成してプログラムが起動し、全てが動き出す。自分を取り巻く世界すら変わる。
 先ほど見た窓の外の光景、それを今見たなら、きっと違って見えるはずだ。
 堰は切られた。急な勢いをもって大量の水が溢れ出る。
 『サレ』は、最初から獲物だったのだ。
 
 今でなくてはならない。
 現在は、たかが見習い兵士にしても、幹部にのし上がるのに、もう何年もかからないだろう。
 ゆっくりとはしてられない。
 余裕とて無い。 
 正規軍の重幹部であるこちらと『王の盾』のたかが一兵士であるこの少年。
 その関係が維持されている今のうちに。
 力関係を利用してどうにでもねじ伏せることができる今のうちに。

 今、ミルハウストの感情を支配する、もっとも核心にあるもの。
 それは正規軍を梃子にして、いつしか国の覇権へと上り詰めようとする野心に基づくものでもなかった。
 『王の盾』という組織への鬱陶しさや嫌悪、敵愾心。
 そんなものも、もはやどうでもよかった。
 純粋に。
 ただひたすらに単純に『類稀なフォルス能力者のヒューマ』を支配したい。
 原型を留めないほどに壊してやりたい。
 それ以外、頭の中に無かったと言ってよかった。















To be continued…






2005 1127  RUI TSUKADA



  例えば、野生の生き物ならば、一目見ただけで、その相手が「敵」であるのか、それとも「害意」の無いものなのか、見分けることができるでしょう。
 人間にもこういう感覚は、動物ほど敏感ではないにしても、もちろんある。
 一目見ただけで「コイツ嫌い」とか、あるいはその逆に「この人とは上手くやれる。」とか。第六感のようなもので見抜けるものなのだ。

 ミルハウストに生じた感覚もそれに近いものです。
 理屈ではないところで、相手を「獲物」と「標的」と見抜き、会話したことすらないのに相手へ「支配欲」をもつ。

 一目惚れにも近いのかもしれないが、もっと原始的なもので、もっと温度が高くてたちが悪いです。


 
次回『支配(3)』
 16歳のサレside。