『獣王山前夜(4)』
トーマに凄まれると、看守のガジュマ兵たちは連れ立って独房から出て行ったが、その二人の足音は、通路のすぐ隣のブロックへと繋ぐ扉の前で止まったようだった。
その位置からは、独房内での会話を聞き取れないであろうが、彼らの態度からは、この一月、頻繁に収容所を訪れていたトーマを信用していないことが窺い知れた。
サレを連れてここから一歩でも出るようなことをすれば、すぐに応援を呼ぶつもりなのだろう。
たとえあの二人を倒したとしても、通路中至る所に設置された監視カメラの網にかかり、警報を出され、そうなればブロック間を仕切る金属扉が閉じられて、たちまち袋のねずみになる。
フォルスを封じられた状態のサレを連れて、先程の「決意」を実行に移すのは、現実的に無謀としか言いようがなかった。
改めて向かい合うと、サレはもう、いつもの顔に戻っていた。
先程までの作りものの狂気はきれいに削げ落ちて、あのいつもの、研ぎ澄まされた表情に戻っていた。
「…とりあえず礼を言うよ。僕はずっとお前と二人で、話をしたかった。」
潜められてはいたが、口調はいつも通りにしっかりとしたものだった。
「お前に頼みがあるんだ。先ずは夜まで時間を稼ぎたい。さっきの芝居を続けて、夜まで、ここに兵士を寄せ付けないでほしいんだ。…『尋問』の続きだよ、さっき彼らが言ってたろ。ヒューマの囚人を尋問するのにさ、ここの連中のやり口は、ほらこんなふうだ。」
トーマは思わず息を呑んだ。
肌蹴られたサレの服からのぞく肌には、明らかに性的な暴力によるものであるとわかる傷が無数に散っていた。
「…そんな顔するな。僕をただでここに収容させておくのも、せっかくの機会を逃して損した気分になるってだけだろ。連中にとっては、ヒューマの囚人を殺さ
ずにダメージを与える都合のいい『尋問』ごっこのつもりらしいけど。実際はね。…こういうのもここのお約束なんだろうさ。ま、僕の場合は、命があっただけ
でも、儲けものだと思わないことにはね。」
投げやりに、それでもやはり疲れたようにサレは言うと、すぐに煩わしそうに、もうボタンが二つ三つしか残っていない服の前をかき寄せた。
服従を装い、捌け口の慰みものになることによって、こんなふうにギリギリの状態で、生還への望みを繋いでいたサレのとてつもない強靭な精神を前にして、トーマは、この一月間の己の小心を思い知らされたようだった。
けれどそんな悔悟の思いを押しのけて、ある感情が芽生える。
脳裏に焼き付いた、今まで見たことも無かったサレの苦悶の表情と、あの滑らかな白い肌とに、自分の中に、ある熱い濁りが生じるのに気づいたのだ。
何を。考えている。
すぐさま自らに毒づいた。
サレは男であり、これまで一度たりともサレを女のようだと思ったことはない。
いつだってサレは誰よりも強くあろうとしていた。
そのことは、これまでずっと共に行動してきた自分が一番よく知っているはずではないか。
…畜生。
思わず低くそう呟いたとき、サレがすぐ目の前に立っていた。
何かを読み取ったときのような作為的な視線の中、ついと手がさし伸ばされ、トーマの手をとった。
両手でそれを包み込むようにしながら口元にもっていく。
指先に唇が触れ、つづいて舌が触れた。
そのあまりにも柔らかな感触に、トーマは言葉を失い、立ち尽くした。
「お前は僕を抱ける?。」
あまりにも抑揚の無い事務的な口調で言われたので、耳にしても、その言葉の意味を一瞬、理解できなかった。
「な…ッ。」
「僕の次の要求だ。「今夜この収容所から脱走したい。」それにはお前の助けが必要だ。いい?。ここの警備システムは、2交替制。早朝に交替の兵が来るよう
になっている。ここの収監所には、もう僕しか残っていないみたいだから、只でさえ彼らは普段からさほどマジメには仕事をしない。そしてそんな奴らが一番、
気分的に弛緩するのは、部外者の出入りが一切無くなる夜だ。そこから先は、ここはさしずめ自由きままな合宿所になるってわけだ。ここは午後8時ちょうどに
外の門が閉じられるようになっている。…だから、そのあたりだ。」
サレの口から、唐突に具体的な言葉が出始めたので、トーマは気圧され、やはり恐怖にも似た弱音が沸き起こるのを感じていた。
決めたはずだった覚悟が、今、正に現実のものとなって押し寄せてくるときの恐怖感だった。
「この特別収容所は、火災とか、囚人の脱走とか。そういった非常の際には、通路のブロックを仕切る扉が全部閉じられるような仕組みになっている。けどそう
いう非常用設備の制御室は、普段、全く使われていない。彼らは「僕が脱走すること」なんて事態を微塵も想定してやしないのさ。ここの兵は、『粛清後』に新
しく配属された連中ばかりだ。普通に考えて、ここの設備を熟知している者は、ほとんど居ないんじゃないか?。だから、ここを出たとしても、すぐには閉じ込
められるようなことはない。それにこうも気分的にゆるみきったタイミングで虚を突かれると、いくら兵士と言えども、すぐには対応できやしないものだ。急げ
ば…、きっと間に合う。…賭けだけどね。」
トーマは微動だにできずにサレの口から語られる言葉を聞いていた。
賭け。
「…トーマ。これは負けたら全てが終わりの賭けだ。そうすることによって、今度はお前の身に降りかかる危険や、お前が負わなければならないリスクを知って、僕はここから出ることを要求する。見返りはここにある僕の全部を。」
「…。」
「意味が判らない?、じゃあ言うよ。僕はここを出たい。お前の助けが必要だ。だから僕を買ってほしい。出来ないなら、今すぐ僕を殺せ。」
そう言ってサレは、一歩詰め寄り、トーマの胸を拳で叩いた。
サレの腕は細かったが、その力は驚くほど強かった。
思わずよろめき、後ずさる。
「…ッ、こんなところで死にたくない!。」
押し殺したような声だった。
生きたい。
全てを投げ出すサレは、先程の誘引の表情すら作ろうとはしなかった。
ただ必死に。瞳の中に縋るような色を湛えて自分に生への執着を訴えていた。
「これから、お前を尋問する!。」
叫ぶようにトーマが言った。
サレの瞳に光が動いた。
「お前はヒューマだ!。ヒューマはガジュマに隷属するものであり、俺はお前をどんなふうに扱うこともできる。」
怒鳴るようにそう言い終わると、先程通路に出た兵士の気配が動き、隣のブロックへと移動していくのが解った。
ブロック間を仕切る境界の扉が閉ざされ、重い音とともに静寂が戻った。
逃がしてやる。
逃がしてやる。
もう一度お前を自由に。
サレは眼を閉じ、身体から力を抜いて、まるで祈りのように腕を差し伸べた。
なされるがままになっている眼前の『戦友』のその体にトーマは腕を伸ばし、抱き寄せたが、その身の細さと頼りなさには、やはり狼狽せずにはいられなかった。
こちらの気を察したのか、サレの眉が、わずかに寄せられた。
抱き寄せたサレの背中に掌を這わせ、抱え込むよう髪に触れ、掻き分けて首筋に唇をつけた。
身体を抱き上げ粗末な囚人用の寝台に横たえ、覆いかぶさるようになって、服の合わせ目から手を滑り込ませた。
そのままま胸元まで掌を這わせると、サレの身体がピクリと小さく跳ねたのが解った。
腕の中のサレがわずかに身もがいた。
「男抱くのは…?。」
「趣味じゃない。」
「…だよね。」
せいぜい壊さないように頼むよ、と。
笑みはやはり苦く、それでも互いがつらくならないようにと、囁くように懸命に軽口をたたいて、全てを任せるようにした。
立場を違えた自分たち。
支配と隷属。
王の盾の四星として共に、能力者として恐れられた二人であっても、それはまるで遠い昔のことのようだった。
けれど今、何故か、かつてないほど安らげるのが不思議だった。
立場を違えても。
この世にある憎しみの『思念』がどんなに強く、それがどんな形をしたものであっても。
自分達は自分達であるのだと。
仰向けになって、大きく抱え上げられた脚の間にトーマがうずくまるような形で入る。
内腿に指が食い込み、やや無理やりにそこを押し広げる。
「あ…ッ!。」
舌が這うのが分かる。
何度も丁寧にそこを濡らし、指で慣らす。
やがて両手の指を使って左右に開き、湿った音をたてて内部をさらに広げられる。
重い金属の扉に閉ざされた、狭く暗い部屋の中に、押し殺し損ねたサレの悲鳴にも近い喘ぎが散った。
トーマは少しも急ごうとはしなかった。
ひたすらに傷つけないように。
羞恥を煽るようなことも言わず、ただただ丁寧に、サレの身体を根気良く濡らした。
やがてうつ伏せになった状態で、サレは自分の背後に、その気配を感じ取った。
「う、く。」
本能的に身のうちに走った恐怖と同時に、一瞬トーマの手は荒く強くなった。
両脚が開かれ、その間にトーマが身体を割り込ませた。
サレの噛み締めた唇を割って、吐息がこぼれた次の瞬間、その狭い器官にトーマはかなり無理な力を使って押し入った。
「…ああぁッ!。」
圧迫感に瞬間込み上げた吐き気に耐えようと、サレは自分の手で口をふさいだ。
「…く、う。」
最初の肉を裂かれるような衝撃に、サレは身を硬直させ、全身を竦ませたが、それ以上、トーマは無理をしてこなかった。
その身に押し入るときだけ乱暴ではあったが、それからは少しも焦ることをしなかった。
傷つけないようにと、無理に動くようなこともしなかった。
「大丈夫か。」
折り重なり繋がった姿勢のまま、背後で気遣う声がする。
「…っ、」
サレは貫かれた姿勢のまま、途切れる呼吸の中の吐き気を懸命に耐えながら、この収容所で苦痛と屈辱に耐えた一月間を反芻していた。
「う、…あッ!」
汗にまみれ、動かれたときの痛みによる反射的な痙攣に震え、身のうちの熱く重い塊に突き上げられ這いずり身もがくのが今の自分なのだと。
そう思う反面、噛みしめた唇から流した血の味に、自らの命を繋いだ生還への執着が、この瞬間ごとに見事に昇華していくのを感じていた。
苦痛の悲鳴はいつしか喘ぎに変わり、神経全体を支配するかのような激痛すらも、次第に陶酔へと変わっていった。
「つらいか、」
こんなふうな言葉を吐いたことなど今までなかったくせに。
違うのだと言ってやろうと身を捩らせれば下肢にすさまじい痛みが走り、サレはまた、固い寝台につっぷした。
「…ッ、あ。」
涙が頬を伝い、シーツにしたたり落ちた。
一度堪えきれなくなってしまうと、涙はもう止まらなくなった。
おそらくトーマにも解ったはずだった。
サレは涙を見せるその悔しさに、必死に寝台に噛り付いて声を押し殺した。
「もう、やめるか…?。」
問われて懸命に首を打ち振った。
気遣うなよ!。
そんなの、…らしくないじゃないか。
だがそれは、もう言葉にもならず、殺し損ねた嗚咽がただ喉から押し出されるだった。
「サレ。」
頬に軽く触れた掌の感触にサレはようやく目を覚ました。
身じろぐと下肢がひどく重かったが、不思議と不快さはなかった。
「・・・僕、どれくらい、眠っていた?」
「ほんの30分ばかりだ。…時間が来た。…ここから出るぞ。サレ。」
「…30分?。…随分、長く眠っていたみたいだ。本当に久しぶりだった。こんなにぐっすり眠れたのは。」
「ここから出れば、またゆっくり眠れるさ。…行くぞ。」
『サレを殺せ』
この一月間、重く圧迫し続けたジルバの命令。
その声も、あのときの侮蔑の表情も、今は薄く膜をかけたように遠い。
トーマは今、それを自分の中で踏み越えのだと思った。
「俺はこれから看守の兵と見張りを全部殺す。先ず目的はモニター室だ。そこでセキュリティを司る電気系統を全部潰して収容所の機能をダウンさせる。場所は
分かっている。俺もこの一月、ここに何度も足を運んだんだからな。今、兵士たちは油断しきっている。余裕は無いかもしれんが、今なら、きっとやれる。」
けれど明日になれば。
異常事態を知ったジルバは、その怒りにまかせて能力者を多数差し向けてくるだろう。
「自由は一日、か。」
「そうだ。お前はここを出て、どうしようと思うんだ。」
束の間の自由を手に入れて、それに意味があるのならば教えてほしかった。
「…僕は、この身にフォルスが備わったために普通のヒューマとして生きる道を絶たれて、王の盾メンバーになったわけなんだけど、最終的にはこうやってバル
カからも居場所を追われた。でも何故だろうな。僕はこの『嵐』のフォルスを憎んだことは一度も無かった。結局のところ僕はこの力によって生かされてきたの
だから、死ぬときもまた、この力と一緒なんだ。なんかさ、振り出しに戻ったみたいで、返ってすっきりしてるんだよ。」
力を受け入れ、異端としての運命も受け入れて、あくまでも進み続けるのだと。
サレの言葉を聞いて、トーマは自分の運命も決まったと、そう思った。
「でもさ。トーマ。」
サレを見下ろすトーマに向かい、サレは少し、口元に苦いような笑みを浮かべてそれから言った。
「明日追手が来たら、『命令』を遂行するといい。」
事も無げなサレに、トーマはやはり衝撃を受けて言葉を失った。
「最後まで僕に付き合うことはないさ。」
「…随分だな。…お前は自分で勝手に自分の真実を見つけてひとりで死のうってのか。俺にだけ、ジルバ様に命乞いをしろと。」
「少しでも望みの多い方に賭けるべきってことはさ、王の盾メンバーの鉄則なんだ。僕達が戦ってきたのは、見栄や名誉のためじゃない。…研修のとき、そう
習ったろ。いつもそうやって生き延びてきた。これまでずっと。だからこれからもそうだ。…・例え僕が逆の立場だったとしてもそうする。…そういうものなん
だ。トーマ。」
「あいにくだが俺はお前みたいに優等生じゃなかった。講義で習ったとおりに行動できたためしなんかない。なんで四星になったか不思議なくらいの劣等生だったんだ。…今更、変えられるか!。」
「…そっか。やっぱり馬鹿だな。」
そう言ってサレが笑った。
それはもう作った笑顔ではなかった。
トーマはサレを抱きかかえ、独房の重い扉をこじ開けた。
独房から出て、隣接ブロックへと続く境界扉に差し掛かったとき、こちらの異変に気づいた看守が数人、早足で近づいてくるのがわかった。
「トーマ様ッ!?、そのヒューマをどうなさるので」
言葉が終わらないうちに、踏み込みすれ違い様、その数人のガジュマ兵を右腕だけでかき寄せ一まとめにした頭をひねり潰した。
悲鳴も上げずに兵士達は首の無い死体と化して、その場に崩れた。
「…乱暴だね。」
「これが一番、早いんだ。」
「…違いない。はは。」
トーマは、それから、サレを抱きかかえたまま、制御システムのあるモニター室に向かった。
通路は考えていたよりもずっと長く、ブロックを封じる金属製の扉がいつ閉じられるかという、焦りと恐怖感とに追い詰められながらひたすら進んだ。
行動を始めてしまえば気持ちに欠片の余裕も無かった。
もう何人の兵士を殺したか分からない。
倒れかかる死体を足で蹴って道を作りひたすら進む。
だが、残った囚人がサレ一人だけになったということが皮肉なことにも幸いした。
日々の単調な監視仕事は、退屈にまかせて囚人への虐待を招きはしたが、逆に兵としての意識を鈍らせ、基本的な組織行動すらとれなくなっていたのだ。
ただ人数にまかせて向かってくる兵士を殺す。
それだけならば、負ける気はしなかった。
制御室に入ると、真っ先にセキュリティ装置を全て潰し、施設の設備をダウンさせた。
これでフォルスの拘束も解けたはずだ。
そして収容所全体のメインの電源を切ったとき、建物全体は急激な闇と静寂に包まれた。
そこに来て、やっと息をつくことができた。
成すべきことをやり終えて、制御室から、外へと通じる通路に出た。
闇の中には、殺した何十人もの兵士たちの死体が転がっていた。
全ての音が途絶え死んだように沈黙する収容所を後にして、二人は外に出た。
見上げると空は、昼間の雨はすっかり止んでいて、流れの速い雲の切れ間から冴え冴えと白い月が見えた。
トーマに抱きかかえられたまま、サレは肺から全てのよどみを追い出すように、ひとつ深く息をした。
「久しぶりだ、外、やっぱ気持ちいいな。」
トーマが無言のまま頷いた。
先程までの恐慌状態が嘘のように、ここは静かだった。
奇妙なことであるが、大変なことをしてしまったという実感は無かった。
建物の設備を破壊したときの感触。
向かってきた兵士たちをほとんど素手だけで殺したときに浴びた返り血、鉄錆のような匂い。倒れ掛かったときの体温、断末魔の悲鳴。
それらの記憶は、既に薄皮を隔てたように現実味が薄くなり始めていた。
けれどこれはまぎれもなく現実なのだ。
自分たちには、望みはない。
組織を裏切って、国を捨てて。
その結果、得たものといえば、支配者ジルバの怒りと軽蔑、部下たちの落胆と失望。
そして何も残すことのない死なのであろう。
それでもトーマは後悔していなかった。
「これから神殿に向かう。さすがに王の盾の兵舎には戻れないからな。神殿に行けば、傷の手当てと、…休息くらいならとれる。」
「充分だよ。」
たとえ長い時間をかけて幾度考えようとも同じ結論に達するのだ。
どれほどの不名誉な、意味の無い、死が待っていようとも。
今、少しも後悔してはいなかった。
むしろ、自分の中に眠っていた自らの本質とも言うべきものに、最後に忠実になれたことが素直にうれしいと思えた。
トーマは、サレを抱きかかえたまま、眼前を見上げた。
そこには、針のように冷たい光輝をもって瞬く星明りの中、獣王山が黒々とした影を落としていた。
これから、自分たちは神殿に向かう。
夜が明けて、そこで自分たちを待ち受けているものが何であるのか、今は、考えまいとした。
考えても仕方ないことだと思った。
2005 1110 RUI TSUKADA
読んで下さりありがとうございました。
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