『冷たい指(後編)』
まだ相手のことを気遣うだけの余裕があるとでも言うつもりなのか、それともやはり、形式的に気遣うふりをしているだけなのか、シャルティエはベッドの横
にある部屋の窓に色の褪せたカーテンを手早く引き、ジューダスの方を振り返って「寒くないですか。」と優しげに声をかけてきた。
先程乱暴にベッドに放り投げられた体勢のまま、ジューダスは視線だけを声の主の方に向けた。
こちらを見据えるシャルティエの姿がそこにある。
唇の端は確かに笑顔の形を作っているくせに、その瞳には、この部屋から一歩も出すまいとする強固な意志が渦巻いていて、それがジューダスを拘束する。
薄陽しか射さない西向きの部屋は、元々薄暗かったが、カーテンが閉められてしまうと、外部からの光が遮られて一層暗くなる。
陽が陰ってしまえば外の冷え込みは急激に厳しくなり、人通りはほとんど途絶える。
一切の音から隔絶されたような狭い部屋は、沈黙だけが霧のように重く立ち込める密室だった。
シャルティエがゆっくりと近づいてきた。
右手首を掴んでジューダスの身体を横倒しにしながら腕を背後に捻り上げる。
強いられた無理な体勢に肩のところの筋が軋んでジューダスは苦しげに呻いた。
それを無視して、少し考えるようにしてからシャルティエは、「こうした方が。」と言って、今度はジューダスの身体を強引にベッドに仰向け横たえると、捻
り上げた腕を左腕と一つにまとめ、シーツを細く裂いて作った布で頭上のところで縛り上げた。
布で手首を縛るときの力に容赦はなかった。
布を左右に引き絞ったときにジューダスの眉が痛みにわずかに顰められたことにシャルティエが気づかないはずはなかったが、見下ろしてくる瞳は少しも揺ら
がず、態度も表情も冷淡だった。
布が手首に食い込み、手首の血管が布地で圧迫されて、早くも右手が痺れてきた。
無理に動かそうとすると、結び目が軋んで一層、肌に食い込んでくる。
身を固くしたジューダスの身体のすぐ傍に、シャルティエが腕をついた。
造りの悪い粗末なベッドが軋んだ音をたて、その重みは確かに、ソーディアン・シャルティエが、まぎれもなくヒトの姿をして、自分の前に対峙していること
の証明だった。
けれどそれは悪夢のような現実だった。
ジューダスは信じられないもののように、自分の身体の上に乗り上げてくる『半身』の姿を茫然と見詰めていた。
「坊ちゃん。」
その声の思わぬ明るさにジューダスは、はっと我に帰った。
しかしすぐに襟元に手をかけられ、既にボタンが外されて中途半端になっていた上衣の前を肌蹴られて肌を露わにされた。
阻止しようと身を捩ったが、それは無情に機械的に遮られ、下肢の服にも手がかけられた。
ファスナーを押し下げられ、そこからゆるりと手が滑り込んできたとき、ジューダスは思わず、嫌だ!と叫んでいた。
けれど実際には叫んだような気がしただけなのかもしれない。
シャルティエの表情は、先程から少しも動かない。
ひどく冷めたように、唇の端を引き結んで、ジューダスを見下ろし『作業』のようにそれを続ける。
あのシャルティエがこんなににも冷淡なのは、自分がされるがままになっているせいだ。
何も言わずにいるせいだ。
頭の片隅で漠然と思い、ジューダスは交差されたようになっている手首を懸命にずらしたり、引き抜こうとしたりした。
せめて言葉を発したかった。
けれどいくらもがいても布地が肌に一層強く食い込むだけで無駄に終わり、適当な言葉ひとつ浮かばない今の自分に落胆し、涙があっけなく頬を伝ってシーツ
に落ちた。
一瞬、シャルティエの手の動きが止まったようだったが、それも一瞬のことで、すぐに下肢の服に力がかかり、膝のあたりまで一気に引き下ろされた。
それから脚を一本ずつ、ことさら思い知らせるようにゆっくりと抱え上げられて、足首から服が引き抜かれて完全に下肢を露わにされてしまうと、むき出しに
された肌に部屋の空気はひどく冷たく、直に当たったシーツの感触が痛いようだった。
膝をすり上げて、せめて少しでもシャルティエから逃れようとする。
言葉が出ないのなら、せめて何もしないよりはマシだと思った。
シャルティエが唇を噛み締めたのが分った。
「…ッ。」
今度は腿を掬い上げられ、差し入れてきた掌で、深いところを少し強めになぞられた。
痛みにも近い感覚にジューダスは小さく息を詰まらせた。
一まとめにされた手首と背筋に力がこもり、ベッドが軋んだ音を立てた。
「…何で、」
やっとのことで出た言葉は中途半端に弱く途絶えた。
「何故なのかは。」
見下ろすシャルティエの瞳の奥に一瞬光が宿ったようだった。
口調は冷淡なくせに、交錯する視線と二人を隔てる空間から、シャルティエの傷みのようなものが伝わってくる。
「…ここは誰一人として本当の僕達を見やしない、一言の反論も許されないまま、死人になってなおも蔑まれるだけの世界。こんなものを現実なのだと突き付け
られて、まだ居座って、取り残されたみたいになって。そのくせ未練たらしく日ごとに恨みばっかり、僕の中で化け物みたいに膨らんできて、そんなものに飲み
込まれそうになりながら、どんどん自分が惨めになっていくのに、僕は耐えられそうにないから。だから僕は変えるんです。僕、そして坊ちゃんだって変わった
方がいいんです。こんなふうに酷いことをしてすら、まだ坊ちゃんに見て欲しいって思っているあたりがどうしようもないですけど。でも僕は変えてみせます。
ヒトとして坊ちゃんの傍で僕は生きて、僕を取り巻くこの世界を、変えたい。」
シャルティエはこう言ったあと、短く息を吐いた。
それは思いつめた人間の溜息だった。
「ここは二人だけです。誰も来ません。 この宿は、…いわゆる困った人間を泊めるためにあるようなとこらしいですよ。身元も明かせないような。偽名を使わ
ないといけないような。それって僕や坊ちゃんに似てますけど、まだそういう奴らの方が生きているだけマシだって思いませんか。この先に、わずかな望みも絶
対有り得ない僕達は、果たして本当に命があるって言えるんでしょうか。再生させられて、形だけ、身体だけ死んでいない僕たち、って何なんでしょうね。世の
中からはとっくにその存在すら抹殺されたのに・・・?。僕達、何か意味、あるんでしょうか。」
ひどく辛そうに眼を伏せて、それでもシャルティエはジューダスの腿の深いところに当てた掌にぐっと力をいれ、そこから大きく開かせる姿勢を取らせた。
「…ッ。」
強いられた逃げられない状態にジューダスは堪らず目を固く閉じた。
腕を一まとめにされているため、その、肌を這い回るシャルティエの手を振り払うこともできない。
シャルティエは、ジューダスの髪を丁寧に撫で付け、唇を肌に落とした。
同時に少し乾いたような掌が胸元を這い上がってくる。
身を固くして耐えるジューダスの姿を見て取ると、今度は軽く胸の突起を摘み上げ、唇を寄せて、息を詰めてひくりと竦められた身体の反応を確かめてシャル
ティエはそこに歯を軽く立てた。
「僕は出来損ないの元・ソーディアンです。僕は、バルバトスのように復讐することもできない。坊ちゃんのように、あいつらを赦してこの現実を受け入れるこ
ともできない。どっちつかずで最低な奴です。でも、僕は自分の望みだけは叶えたんです。だから僕は僕なりの方法で、自分を変えて見せます。こうして坊ちゃ
んに触れられるヒトの姿になれたってことが、やっぱりうれしい、…ですよ。」
囁かれた声は泣きそうに語尾が震えていた。
そしてその声に応じたように、薄暗い視界の中で淡い色の金髪が揺れたのが見えた。
この部屋のドアを開けた瞬間に見たシャルティエの髪だ。
僅かな光を集めてなお一本一本輝くような、金糸のような髪だった。
一目でシャルティエと判ったあの既視感こそ、昔からずっと。
そしてジューダスとなってからだって、シャルティエのこんな姿を想像していたからに違いなかった。
そうだ。
シャルティエが本当にヒトであったのなら、と。
何度も願ったのは、自分だった。
このシャルティエは。
このシャルティエこそは、ずっと変わらずに傍に居つづけてくれた唯一の存在だった。
暗く、冷たく淀んだ記憶ばかりがある己がリオン・マグナスだったときの過去。
その中にあって、己がソーディアン・シャルティエのマスターであったことだけが唯一の、魂の救いだったのだ。
シャルティエはジューダスの身体を丹念に探り続ける。
何時の間にか雪が止み、古い布地のカーテンを透かした月光がわずかに室内に薄い影を落としていた。
両腕を拘束され、脚を大きく開かされた無残な体勢を強いられていても、今、触れているのが、あのシャルティエだということが、壊されていくときの感覚を
徐々に曖昧にしていくようだった。
半ば無理やりに押し広げられた太股の内側に、指が食い込んできた。
ジューダスは喘ぎを懸命に殺して咽を仰け反らした。
脚の間に入ったシャルティエの舌を、敏感な箇所に直接感じて、その湿った感覚にジューダスは小さく悲鳴を上げた。
尖った舌先が皮膚を這い、幾度もなぶられる。
上がる吐息に喘ぎのようなものが混ざり始めた頃、緊張に竦んだ身体の隙に割り込むようにして指がさらに深いところを開いてゆく。
ちくりと痛みを感じ、内股のやわらかいところに歯を立てられたことを知った。
薄く目を開くと、自分の身体の間に入ったシャルティエの緑色の瞳と合う。
その脳裏に焼きつくようなシャルティエの瞳の冷たさに微弱な恐怖が沸き起こる。
続けられる脚の間の濃厚な愛撫に喘ぎながら、まぎれもなくこれは暴力に続くものであることにすら、ここにいるのはシャルティエだと。そう繰り返して頭の
中で反芻していれば、耐えられるのかもしれない。
ヒトの形をしていてなおも人ならざるもの。
自分達は同じだ。
まっとうな生命の営みから外れた者。
『裏切り者』として、とうの昔に、とっくに取り返しのつかない過去の時間に、この世の全てから叩き出された者。
もう現世においてどこにも属せない者。
思考が撓み、朦朧とした意識の中、今度はうつ伏せにされた。
ヒザを折り曲げさせられ、両腕を縛られているためシーツに顔をうずめて腰だけを突き出した姿勢になる。
「…ッ。」
このまま、背後から犯されるのか。
頭の片隅でそう思ったとたん、背後でシャルティエの掌は、性急で荒い男のそれになる。
肌に指が食い込み、腿から深く大きく開かされ、覆いかぶさるようにして胸元に手が回された。
「…ァッ。」
反射的に制止しようとした声を遮ってそこを割り裂き一気にねじ込まれた。
鋭い悲鳴が寒々しい部屋に響いた。
反り返る身体を背後から押し付けられ、すぐに大きく揺さぶられた。
途端に下肢に湧いた激痛に全身に冷たい汗が滲んだ。
後ろ首を掴まれた格好で、力なくシーツに爪を立て、腰を深く貫いたその重い塊から本能的に逃れようとしても、背後から押さえつける力に容赦はなかった。
動かれるたびにひどい痛みと吐き気が湧き上がり、そしてそれに巻きつくようにして絶望感にも似た愉悦が立ち上ってくる。
痛みに呼ばれた悲鳴の中に喘ぎが混ざりこむ。
現世において名すらなく、居場所もないままに等しく「消滅」に向かう自分たち。
今、拘束のように身体全体を撓める腕も。
その体温も。
その皮膚の下の血液も、鼓動も。
荒く乱れた吐息も汗のにおいですらも。
擬似的に創られ、物理的に『生存』していても。
一片の望みすら存在しないこの世で果たして本当に『生きている』と言えるのか。
けれど一人ではなかった。
孤独じゃなかった。
何一つとして幸の無かった『リオン・マグナス』の生の中にすら。
自らを消滅させることでしか、再生の意義を見出せない『ジューダス』の生の中ですら。
一点の安らぎを見出せたのは、まぎれもなくシャルティエという存在だった。
唯一の何も奪わなかった存在。
与え続けてくれた存在。
必然としてあたりまえのようにいつも傍に居た存在と交わしていたのは激しい運命の共有感だった。
無機的なヒトならざるものであったとしても、ここにいるのはまぎれもなく、あのかけがえの無い存在。
絶え間なく湧きあがる下肢の激痛に意識が遠のき、それでもまた新たな痛みに呼ばれて意識を無理に引き戻されるひどい状態の中で。
他人のもののように聞こえる悲鳴を耳の近くで聞き、また、暴力的にひどく揺さぶられのだということを知った。
けれど。
ここに居るのは、決して離れまいと願った唯一の存在。
冷え切ったシーツの上でジューダスが全身を痙攣させ、最後の断末魔の叫びのように、呼んだのは、確かにその半身の名だった。
##
気を失ったのか、それとも少しの間、眠っていたのか。
ジューダスは、夢を見た。
それはやはり、人の形をしたシャルティエの腕の中にいる夢で。
でもそれはただ、子供のようにシャルティエの腕に抱きしめられているだけで、やたら優しく、暖かかくて。
庇護された自分にシャルティエが柔らかく微笑んでいた。
夢の中でジューダスは『リオン』になっていた。
いつものように、ベッドの傍らに立てかけておいたソーディアン・シャルティエを見詰めている。
見慣れた文様。美しいフォルム。
この剣に選ばれたということは、自分の誇りだった。
大好きだったんだ。
手に取って話かけたい。
けれどそう思うのに手が届かない。
腕を伸ばして、あと少しで指が触れそうなのに、身体がしびれてしまったようになってどうしても手が届かない。
シャル。
そう言おうとしても声も出ない。
呼吸が苦しくて、もう身体も動かない。
すると、すぐ傍らで聞き覚えのある声がした。
「僕が取ってあげますよ。」
優しく言われて、その手にソーディアン・シャルティエが握らされた。
剣を取ってくれた人物を見上げて、せめて微笑もうとした。
だが、手にとらされた剣。それは魂の篭らない、ただの金属の塊だった。
『リオン』の意思に応えない、ただの物体。
思わずその剣から手を離し、剣は床面に当たって、重い音をたてて転がった。
泣いていた。
瞳を濡らし、頬を伝う液体はあとから溢れて止まらなくなった。
「泣かないで下さい。」
シャルティエの声だった。
声の方に振り向くと真っ直ぐな美しい金髪が視界に飛び込んできた。
明るい緑色の瞳が優しくこちらを覗き込むように微笑んでいる。
シャルティエはベッドの脇に座って、すぐに手を握ってくれた。
しかし、その手からは、ぬくもりも感じられなかった。
冷たい手指。
何故なんだ。
シャル。
どうしてヒトじゃないんだ。
僕はお前だけでいいのに。
泣いた顔をぬぐいもせずに、シャルティエの顔をただただ、見詰め返していた。
「つらいのですか。」
問われて、こくん、と頷いていた。
嗚咽に息を詰まらせて、苦しいのに、呼吸が自由にならない。
涙が止まらない。
つらい。
ここは凍えそうにつらい。
「可哀相に。」
シャルティエの指が髪を優しく撫でた。
「楽になりたいですか?。」
問われて頷いた。
シャルティエは、まるで幼い子を慈しむように頷き返し、向かい合ったまま、その掌で頬を優しく包んだ。
シャルティエの手を掴んだ。渾身の力を込めて、シャルティエの手を握った。
息が切れる。
シャルティエの微笑みが深さをますと、涙で視界がゆらぎ呼吸が一層苦しくなった。
「方法ならあります。僕と一緒に行きましょう。」
もう一度、新たな命の創生者のところに行って、『リオン・マグナス』と『ソーディアン・シャルティエ』を取り戻しましょう。
そうか。
もうずっと長いこと、ひとりで居続けて疲れてしまっていて。
全て投げ出せるのならば。
どれほど楽になれるのだろう。
「…駄目だ。」
ジューダスは、そう呟いていた。
「駄目なんだ。シャル…ッ。」
そう言った瞬間、シャルティエの美しい緑色の瞳に、裏切られたときのような悲しみの色を、見たような気がした。
##
「坊ちゃん…。」
呼ぶ声が聞こえる。
ジューダスは時間の観念を失ったように、身じろぎもせず、ベッドの上で横たわっていた。
何時の間にか腕の拘束は解かれていたが、痺れたようになって動かすことはできなかった。
髪をゆっくりと撫で付ける冷たい指の存在が、さきほど見た夢の続きのようだった。
部屋はすっかり闇に包まれていて、窓辺から凍えるような寒気が忍び込んできて窓枠を冷たく湿らせていた。
「坊ちゃん…。」
再度呼ばれてジューダスはようやっと視線だけを巡らせた。
「…お前に、頼みがある。シャル。・・・」
返事を返さないシャルティエに向かい、ジューダスはなおも言葉を続けた。
「お前のことは、…解った。お前の気持ちも。今の立場も。お前が選んだことだ。こうなった以上、お前を僕に従うものとして扱うのは、間違いだったと思
う。…だけど、これだけは聞いて欲しい。」
シーツに顔を半分うずめたまま、囁くように言われた言葉にシャルティエがわずかに頷いたようだった。
「もう、このハイデルベルグで暴れるのはやめろ、ですね?。」
「…。」
「…いいですよ。坊ちゃん。さっきも言いましたけど、このハイデルベルグで、下手な地属性の晶術を使ってまで色々壊したのは、…僕の、個人的な感情から出
た只の悪戯なんですから。もういいです。これ以上続ける目的も無いし、坊ちゃんが少しも喜んでくれないの解りましたから。意味が無いので、もう終わりにし
ます。」
シャルティエの口調は穏やかだったが、言葉の中にはやはり若干の棘を孕んでいるようにも思える。
感情を抑圧させたシャルティエを見るのはつらかったが、とりあえずその約束の言葉にジューダスは肩の力を抜いた。
寄せた身が動き、ベッドがかすかに軋んだ。
シャルティエの指がジューダスの頬から髪に移る。
「…坊ちゃんは、エルレインのところから離反したとき、時間と空間を転移する能力、放棄しちゃいましたね?。あの、地上軍の裏切り者のバルバトスは平気で
使ってるのに。同じ立場であるはずの坊ちゃんが、あの力を使わないのヘンだと思ってたんですけど。」
突然逸らされた話題にジューダスは、はっと我に帰った。
シャルティエの口から『創生者』の名と、同じく再生した『裏切り者』の名を聞き、ジューダスは再び警戒した。
「何が言いたい。」
声に警戒を露わにしたジューダスに、シャルティエは、やり過ごすように小さく頷いた。
「…そう、ですよね。あの力を使えば時間を遡って自分の過去を見てしまう。坊ちゃんはともかく、僕が、…坊ちゃんみたいに強い意志を持ち得ない僕がさぞか
し色々と、過去を塗り替えたくなってしまうでしょうよ。結局それで正解だったんじゃないですか。坊ちゃんにとっては。」
「…。」
「けどね、エルレインは、僕にも力をくれたんですよ。一つはこうやって、人間の姿に変わること。そして、もうひとつ。」
シャルティエにジューダスは背筋に嫌な予感を感じた。
「…何をした。」
シャルティエの唇の端の笑みが深さを増したような気がした。
「飛行竜を、呼びました。」
「何、だと。」
「ファンダリア軍の警備が手薄なところも、教えました。」
「…!。」
「僕は自分を変える引き換えとしてエルレインの手先になりました。僕は四英雄の行為だけが正当化された歴史に失望しています。この世の人が皆、自分に都合
の悪いことを忘れて、死人に責任を転嫁してばかりだったってことがやっぱり赦せません。僕だって時間をかけて色々考えたけれど、何が正しくて、何が間違い
なのか結局解りませんでした。英雄と呼ばれているアイツラが正しい?。それって生き残った方だから?。死んだ方は、それだけのことをしたのだから、こんな
ふうに蔑まれても当然?。そんなご都合主義、僕には到底、認められない。」
ジューダスは答えず無言のまま、シーツを払いのけてベッドから跳ね起き、ベッドサイドに一まとめにされていた服をひったくるようにして取り上げた。
もう視線はいつも装備しているレイピアを見ていた。
それを手早く装備し、ドアノブに手をかけたところで、背後のシャルティエの気配が動いた。
「行くんですね、坊ちゃん。」
振り返った視線の先でシャルティエは、微笑んでいた。
「…僕は、もう要らないですね?。」
「…。」
「『リオン・マグナス』は、この世界からとっくに抹殺された存在だって言うのに、坊ちゃんはこの世でまだ生きようとしている。そんなの僕には到底無理で
す。僕にとってここはやっぱり18年前の出来事を引き摺った果ての世界だった。ここでは僕はやっぱり何の目的も持てない腑抜けにしかなれない。…でも、も
しかしたら坊ちゃんなら、…出来るんじゃないかって、今なら思えますよ。」
さよなら。
そう言って、シャルティエは全てを捨てるような動作をした。
「一緒に、来てくれ。シャル。」
「…。」
「剣に、戻って。…シャル。」
「戻れと、言うんですか。何も変えるなって言うんですか。それならせめて僕に何が正しかったのか、ここで僕は何をすれば救われるのか教えてください。」
「どこに居たって、どんなふうになっていたって、僕は僕で、お前はシャルだ、それじゃ駄目なのか。僕と行こう、シャル。昔からずっと。僕はずっとお前だけ
が居れば他はどうでもよかった。僕達には最初から互いしか無かった。互いだけが救いだった。今と昔と何が違う?。剣に、戻って、…シャル。」
真実だった。
シャルティエという魂と共にありたい。
それがヒトであるかとか、そういうことでなく。
少しの間を置いて、シャルティエはぽつりと一言発した。
「僕たちには、たった一つの願いを叶えることすら、許されないんですか。」
2005 0410 RUI TSUKADA
このシャルティエの最期は18年前のダイクロフトでの神の眼の破壊時になるわけで。
18年後の世界に失望し、自分を変えることを切望した彼は、やはりジューダスと同じように自らを消滅させる旅を歩みました。
自ら選んだ死によって彼は再生の意義を見出せたのでしょうか。
シャルティエにもジューダスにも、18年後の世界は、悲しく不条理な旅であったと思いますが、せめて二人の魂に救いがあれば、と願わずにはいられません
でした。
読んで下さってありがとうございます。
お疲れ様でした。
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