『冷たい指(中編)』
「『地属性』の晶術を使えるのは、自分だけだと思ってました?。」
シャルティエのそのたった一言で、ジューダスのわずかな希望が打ち砕かれた。
今、目の前に突き付けられ、明らかにされた事実。
ここ数日間、ハイデルベルグの街を破壊して周った者が、『シャルティエ』だったということだけでなく、これまで唯一の味方であり、理解し合えていたと、
決意をも同じくする存在だと信じて疑いもしなかった者が、実は最も警戒しなければならない者であったという事実にジューダスは愕然として言葉を失ってい
た。
「僕は『物』で、術を詠唱によって実際に具現できるのは、自分の力だけだと思っていたんでしょう?。」
立ち竦むジューダスに追い討ちをかけるようにシャルティエは言葉を続ける。
「確かにね。僕が只の『剣』であるのなら、僕はマスターである坊ちゃんの唱える術を増幅する役割をもつ物に過ぎません。コアに人格投射がされたレンズを持
つ『思考する剣』です。今だって、実際のところ、事件の現場を見てもらってよく分ったと思いますが、いかにも中途半端な晶術でしたでしょう?。こうやって
『人の姿』になったって、僕一人の詠唱の力じゃあ、建物の外壁を剥がすのがやっとの程度でしたよ。でも、頑張って何度かやってたら、あれしきの術の力でも
結構色々壊れたんで、…正直、びっくりしましたよ。やれば出来るものなんですね。」
そう言って、シャルティエは悪戯を成功させた子供のように声を立てて笑ってみせた。
シャルティエは渇いた声で笑い、ジューダスは、そんな『半身』の姿を信じられないもののように見ながら、それでも何とかこの事態を打開する言葉を探して
いた。
「ひどい有様だった。」
「…中途半端な晶術でしたが、基本的に手は抜きませんでしたから。」
咎めるようなジューダスの言葉に、咽の奥で笑いの声を堪えながらシャルティエは答えた。
「人が死んだ。」
「そうらしいですね。それが何か?。」
平然としてそう言ったシャルティエにジューダスは我慢できなくなった。
「お前は、自分が何をしたのか、判っているのか。僕もお前も、…本来ここには存在しないはずの人間が!。それなのにお前は当てつけがましく英雄門に、博物
館に、王宮の正面の交易用の陸橋を破壊して周るのか!。」
「…ざまあみろ、って思いませんでしたか?。」
「…ッ。」
「壊されまくった英雄門とか、めちゃくちゃになった例の博物館とか、これみよがしに王宮前で起こった『死亡事故』とか。…色々と。ハイデルベルグの通用門
から王宮へ向かって一直線。次は王宮だ、って宣言してるような3つの事件。これ僕のアイデアなんですけど、割とかっこいいって思ったんですけどね。すっか
り『怪事件』扱いで噂になってることとか、効果抜群だったでしょう?坊ちゃんはああいうの見て、少しでも胸がすっとしませんでしたか?。」
「シャルッ!お前さっきから何を言っているんだ。」
「これで坊ちゃんの気がちょっとでも晴れてくれるのなら、それはそれで僕の目的もある程度達成なんですよ。正直に言ってくださいよ。いい子ぶらなくってい
いんです。綺麗ごとなんか要りません。ここには僕達しかいませんから。せめて本当の気持ちに素直になって「ああそうだな。少し気が晴れた。」くらい言えば
どうです?。だってそうでしょう?。昔はともかく今だって坊ちゃんは、相変らず自分の正直な気持ちを押しつぶしてばかりで、建前ばっかりで、本音でしゃべ
ることも、気持ちに素直になることも、何一つ出来やしないんですから。それって僕に対してだって、自分に対してだって、坊ちゃんは嘘をつき続けているって
ことなんですよ。だからちょっとくらい、いいじゃないですか。僕が代わりに何かしてみたって。」
シャルティエは完全に開き直っていた。
その態度に、ジューダスの唇の端が一瞬、軽蔑にひきつれた。
シャルティエのやり方は、あきれるほど感情的で子供じみていて卑怯で馬鹿馬鹿しすぎた。
「・・・あきれたな。」
眉を顰めて言葉ほどの力のない口調でそう言ったきり、ジューダスは重く口を閉ざした。
少しの間があって、ジューダスは短く溜息をつくと、そのままくるりと踵を返し、シャルティエに背を向け、ドアの方に向かっていった。
「どこ行くんです。」
ドアノブに手をかけたところで、背後から強い口調が呼び止めた。
拒絶されたことがさも不本意であるといった感じの声だった。
内鍵を外そうとしたところで、いつの間にか、背後にシャルティエは立っていて、ジューダスの左腕を掴んでいた。
「どこ行くんですか、って聞いているんですよ。」
腕を掴む手の力は強かった。
呼び止めるためだけのそれではない。明らかにここから逃がすまいとする意図をはっきりと露わにした掴む手の強さにジューダスは思わず眉をしかめた。
しかし振り返ったとき、シャルティエの、意図を詠めない視線にかち合う。
その冷たい威圧の篭もった視線を受けて、先に目を逸らしたのはジューダスだった。
目を合わせようとしないジューダスの腕を掴む手に新たな力が加わった。
「離せ、シャル。」
その手から拘束の意が伝わってくる。
痛みに呼ばれた本能的な焦りに上ずった声と顰められた眉に、ジューダスの反応の中に自分に対する拒絶を確かめてなおシャルティエはジューダスの気持ち
を無視した。
「離せと言っている…!。」
意図的に強い命令口調で言ったが、語尾は強く引き寄せる腕にさえぎられた。
そのまま無理に引きずられるようになって、ジューダスは身体ごと引き戻され、今度は向かい合うようなかたちになって、正面から両肩を掴まれた。
向き合った空間、拘束の気配が一層強くなったように思えた。
「何です?。…どこ行くつもりです?。顔も隠さずに出歩くつもりですか?。この街ではすっかり四英雄を裏切った大罪人、18年前に世界の破滅に加担した悪
党の一味としてあっちこっちの歴史の資料に書かれまくっている悪名高き坊ちゃんが?。それに今更どこに出てったって出来ることなんか、何一つありはしませ
んよ。」
そう吐き捨てたシャルティエに、ジューダスは失望を込めて見返した。
「フォローできることなんか、…何も無いんですよ?。」
先程の様子に反して、今度は違和感を感じるほど穏やかな口調だった。
しかし決め付けてくるその冷たさと、先程の言葉に込められた強烈な痛罵に、ジューダスはひどく応えていた。
自分と居て、こんなににもシャルティエは感情を抑圧させていたのかということに、もしかしたら自分はシャルティエの言うように、建前の正論ばかりを押し
付けていただけなのではないかということに愕然とした。
けれどジューダスは、それでもかろうじて冷静な表情を作り、必死にそれらを否定するように小さく首を振り、もう一度、諭すようにシャルティエの方を向き
直った。
「シャル。…今のお前はどうかしている。少なくとも僕の知っているお前は、…そんなふうに。簡単に無関係の人間を殺めたりはしない。そしてそれはお前の、
いや僕たちの、個人的な感情とか、悔しさとか、恨みとか。…そういうものとは別のところにあるはずのものなんだ。だから今は、そういうお前と居たくないだ
けだ。」
これだけは、解ってもらいたい。
そう言われると、やはりシャルティエの目の端に少しだけ傷ついたような色が浮かんだ。
ジューダスはそれを観止めると、すぐに「…僕も少し、頭を冷やしたい。」と付け加えた。
肩を掴んだ手から少し力が緩められると、ジューダスは今度は拒絶の意を含ませないように意識して手を外させ、そのままシャルティエに背を向け、ドアノブ
に手をかけた。
シャルティエの先程の言葉も、今回のハイデルベルグでの破壊行動も、あまりにも感情に走りすぎたものに違いなかったが、ジューダスにとってシャルティエ
の気持ちそのものはよく理解できた。
ソーディアンがオリジナルのパーソナルをその人格形成の骨格としてもっているものなのだとすれば、シャルティエとて、かつて地上軍の同志であったディム
ロスたちと袂を別った苦い経験を記憶として持つものなのだ。
幾重にも『裏切り』を重ね、ジューダスとはまた違った意味で痛恨の記憶を抱え、最終的に居場所も立場も失ったシャルティエが、今、その感情のままに行動
したとしても、それを頭ごなしに押さえつける権利はないのではないかとジューダスは思う。
しかしそこまで思い至り、ジューダスが鍵を外そうとした次の瞬間、その両肩に、ずしりとした新たな拘束の重みが加わった。
はっとして振り返ったジューダスの瞳の中に、シャルティエの、少なくとも表面においては優しげな、こちらを宥めてかかろうとする表情が飛び込んできた。
「待って下さい、坊ちゃん。僕の話を聞いてください。ホントに急な話で、僕だって坊ちゃんに無断で色々したこととか、少しは、…悪かったかなって思ってま
すから。…ホントのこと言うと、あいつら、…ぬけぬけと『英雄』とか呼ばれている恥知らずなあいつらに、こんなふうに仕返しすることなんか、僕がエルレイ
ンからヒトの姿に変えてもらえる、って聞いたとき、ちょっと試してみようかな、って思った程度の悪戯なんですから。これに確たる目的なんか無いんです。そ
ういう意味で僕は、あのバルバトスとは違います。信じてくれていいですよ。安心してください。僕はね、坊ちゃん。本当に、単純にうれしかったんです。こう
してヒトの身体を手に入れたことが純粋に。」
「…。」
「坊ちゃんだって願ってたでしょう?。…ソーディアンの僕が本当に人間ならば、どれほどいいかって。」
唯一の友が理解者が『剣』でなく、ヒトであるならば。
それは決して叶わない願いではあったが、紛れもなく共通の願いだった。
「昔…、坊ちゃんが、…ヒューゴのところで、色々なことに傷ついていて。ヒューゴの命令で、たくさんの男にも汚されて。…そのたびに僕と。話しました、よ
ね…?。」
「…。」
「可哀想な坊ちゃん。僕はそういつも思ってました。」
「…。」
「僕が人間なら、絶対に坊ちゃんをこんなつらい境遇に置いておきやしないのに、守ってあげられるのに、っていつも僕はそう強く、強く願っていたんです。」
シャルティエはまるで保護者のような言い方をした。
「だから、エルレインは、僕のたった一つの願いを叶えてくれたんです。本当に、僕の気持ちを汲んでくれたんです。あれでも神様ですからね。僕が、ヒトの身
体で、今度こそ坊ちゃんを、坊ちゃんを傷つける全ての者から守ってあげたい、ってそう言ったら、僕の願いを叶えてくれました。これは神様の存在意義ってや
つらしいですね。ああ、いままで黙っていてすみません。いつか驚かせようと思っていたんです。タイミング、すっかり外しちゃいましたけどね。」
「…。」
「それにエルレインは、坊ちゃんがエルレインの元を離反したって、僕からは、この、『人の形のシャルティエ』を取り上げたりしなかったんです。坊ちゃんが
僕を傍に置いて、ずっと僕が人間であればよかったと願っていたことも、そして、何より僕が、人として坊ちゃんの傍に居たかったことも全部、ちゃんと解って
くれて、ソーディアン・シャルティエを使おうともしない『ジューダス』に、ヒトの姿の僕を、…残してくれたんですよ。でも、そのかわりに、やっぱり僕はエ
ルレインの。…手先になったわけなんですけどね。」
そう言ってシャルティエは哀しげに微笑んだ。
しかし一方において、その物言いにはどこか開き直っているようなニュアンスも含まれており、そしてその通りにすぐにシャルティエは、また元の冷淡な表情
に戻った。
「手先は手先なりに、言われた仕事はしますけど、それ以外は僕の自由です。人の身体を手に入れて僕がここで何をしようと。ハイデルベルグで何をしようと。
ああ、それはオマケでしたっけ。それよりも、僕には確かめたいことがあるんです。…ねえ、僕って、坊ちゃんにとっての何ですか?。」
深い、理知的で、残忍な光を湛えているような視線でもってシャルティエの緑の双眸が一瞬きらめいた。
突きつけられた問いに対してジューダスはシャルティエの真意を図りかね、返事に窮した。
「シャル…?。」
「質問の意味、分からないですか?、でも、聞きたいのは僕の方なんですよ。僕は『ソーディアン・シャルティエ』です。ソーディアンはマスターと共に戦って
こそその存在意義が与えられるものであり、それがソーディアンの命なんです。けれど今の坊ちゃんは僕を使わない。一度も使おうとしない。そして僕はヒトの
身体を手に入れて、マスターと共に戦うという命を失いました。でも、その代わりにこうして坊ちゃんに触れることができるヒトになったんです。後悔なんかし
ません。だってこれだけ叶うなら、坊ちゃん。…他のことはどうでもいいって、思えたんですから。」
「…。」
「解りませんか?、坊ちゃん。僕は『ソーディアン』でいられなくなりました。ソーディアンとして必要とされない僕は、その時点で一度、壊れてしまったんで
す。」
僕と坊ちゃんの願いが叶うことによって、僕は壊れました。
ソーディアンとしての命が絶たれたから。
まるで自分に言い聞かせるように呟きながら、シャルティエの顔が次第に紅潮していくのが分った。
そしてその表情の中で、輝きを増したような瞳に、先程までの余裕が崩れ、本音の、元来神経質で繊細すぎるシャルティエの本質が現われたように感じた。
「文字通り壊れた僕は、エルレインによって再生しましたけど、生まれ変わった僕は以前と同じ僕ではありませんでした。…姿ばかりでなく中身も変わってしま
うんですよ。坊ちゃんになら解るでしょう?。それと僕は、坊ちゃんと違ってやっぱり『四英雄』が赦せない。物事の表面ばかりが語られるこの世の全てが赦せ
ない。どうしても駄目なんです。坊ちゃんみたいに赦せる方が正しいんだ、って頭では判っているけれど、どうしても僕には出来ない。だから今、ソーディアン
としてすら必要とされなくなった僕は、僕の、僕だけのかなえたい望みや、欲望や、…意志に忠実に行動します。坊ちゃんが『リオン・マグナス』でないよう
に、僕はもうソーディアン・シャルティエではありません。」
そう言ってシャルティエは、向かいあったまま反応の遅れたジューダスの両腕を掴み、拘束すると、そのままぐい、と引き寄せた。不自然な体勢のままジュー
ダスは、シャルティエの胸に顔を埋めたような格好となって、そのまま抱きすくめられた。
二の腕に食い込む両手の指は乱暴だった。
先程のシャルティエの言葉に恐慌と言っていい感情がジューダスの中で渦巻き、何を言えばいいのか分からなくなった。
「坊ちゃん。」
両腕で巻き絞めてくる。
唇が寄せられ、思いつめたような声をすぐ耳元で聞いた。
「僕は、…これから、坊ちゃんに。…ひどいことをする。けど止めろと言われても聞きません。ヒトであるシャルティエは、もうあなたの命令はきけません。」
ジューダスは、身じろぎすら許されずに突きつけられた通告の言葉を聞いた。
警戒していたはずの、それでもどこかこれがシャルティエであるということに、気を許しかけていた相手の、思いもよらぬ言葉と行動に晒されて、ジューダス
は動けなかった。
直接当たったシャルティエの身体からは人の肌のにおいがなかった。
ヒトの形をしているくせに、現世の人間のにおいがしなかった。
かすかに聞こえる鼓動も、体温も、確かにあるくせに、それは妙に偽者くさくて物質的で機械的だった。
壊れたと言い、苦しみから解放されたくて手に入れたはずの「ヒト」の身体であるのに、においも温かみも欠けた不完全な存在だった。
そしてそのとき、もしかしたら自分にも、このシャルティエと同じように、人のにおいが無いのかもしれないと、ジューダスは思った。
シャルティエは、動きの固まったジューダスの肩に置いた掌をゆるく動かし、胸元に指を伸ばしてきて、焦ったような手つきでボタンを外しにかかっていた。
「…18年前に僕達がしたことや、それによって行き着いた結果に関して、いくら言葉を尽くしたって、八方塞がりになるばっかりで、僕じゃもう一歩も前に進
めない。本当は悔しくて復讐したくて仕方ないのに、僕一人じゃそれすらも出来ない。僕はそういうことが解ったから、もがき苦しみながら前に進まないで済む
方法を探して、姑息にも、自分を変えて、坊ちゃんの傍で生きていこうとしているんです。だって変わらないと僕は、こんな現実に潰されて息が止まって死んで
しまう。だから必死に変えたんです。坊ちゃんの意志を無視して、こんなことするの、卑怯だって解っていますけど。でも、これが、今の。僕の正直な気持ちで
す。」
ソーディアンでいられなくなった、シャルティエの気持ちです。
その言葉を聞くと同時にジューダスは身体ごと抱き上げられ、次の瞬間、頬に固い衝撃が当たった。
それはスプリングの悪い粗末なベッドに叩きつけられたときのものだということはわかったが、瞬間の圧迫に小さく呻いただけで、ジューダスの口からはも
う、抵抗の言葉すら出てこなかった。
本能的に。
まぎれもなくジューダスは本能的に。
決して抗えない相手と対峙したときの危険さを、目の前のシャルティエから感じていたのだ。
To be continued…
2005 0410 RUI TSUKADA
自分がどれほどみじめな不幸な境遇に堕ちても、自分たちを貶める人々の幸福を願えるものでしょうか。
赦せるものでしょうか。
ジューダスは赦しましたが、個として生きているシャルティエは違いました。
自分が最も愛した「主、リオン・マグナス」を殺した人間を赦せませんでした。
そうすることが愚かであり、何のメリットも無く、主の意に反するものだとしても、人間・シャルティエには出来ないのです。
次回、『冷たい指(後編)』
シャル×ジューダス、やおい…。
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