『夢を見ている(後 編)』 








 夜、ウッドロウの部屋に行けば、いつも会話は18年前のことばかりだった。
 それは、裏切り者としてのみ名を残すことを許された『リオン・マグナス』としての過去ではあったが、かつて栄華を誇った繁栄の都、ダリルシェイドに身を 置き、国軍の将官として、あるいはオベロン社の総帥直下の剣士として、懸命に生きていたときのことだった。
 思い出すことと言えば、苦しくつらい記憶ばかりのはずなのに、今現在、自分が人としての真っ当な営みから外れたところにあるのだということに慣れてし まったせいなのか、記憶は都合良く尖った部分が磨耗していくもので、あれほど精神をまともに保つことすら困難であったかつての日々も、今となっては、薄い 皮膜をかけたように、その輪郭は曖昧にぼやかされていた。
 このファンダリアにも、18年前のあの騒乱を記した歴史書は数多く残されている。
 歴史というものは、常に勝者の側に立って語られるもので、事実、どの書物を見ても、自分や、父、ヒューゴのことに関する記述は一貫して辛辣なものだっ た。
 しかしそれら書物に自分やヒューゴのことがどう書かれていようが、もう、何の感慨も湧かない。
 これは、今の自分がどうあるべきか、何をなすべきかを決めているからかもしれない。
 常に己の終焉を見据えて生きてきたからかもしれない。
 それは一見、過去の行いに対する贖罪に似てはいたが、罪の意識から生じるものとは異なる。
 その時、その瞬間において、己が成すべきことを成してきた結果を受け入れてきただけのことだと思う。
 そう思うことによって、やはり少し救われる。
 安らぐような気持ちになれる。
 そしてだからこそ、かつて互いに愛を寄せ合ったことのある相手であり、あるいは敵対する者となってしまったウッドロウに対しても、今更もう何も隠すこと は無いのだと思え、ジューダスは、実父、ヒューゴ・ジルクリフトとのことや、しばしば自分に強いられた「憂鬱な任務」に関することも口にした。
 

 


「君が、好きでもない相手と?。」
 抱き合った後の、互いの体温をシーツの中で分け合うときの心地よい気だるさの中で、恋人同士が交わす他愛の無い会話のように、過去の自分をまるで他人ご とのように突き放して語るジューダスにウッドロウは問い返す。
 そしてその問いを受けてジューダスは即席に作ったハスッぱな雰囲気を纏って微笑んでみせる。
「それこそ買いかぶりだ。僕は欲しいと言われれば誰とでも寝る人間だ。…知ってるだろう?。」
 少しだけ投げやりに、それでも挑発するような色をたっぷりと湛えた瞳で、ジューダスは言い放つ。
「そんなふうに、自分で自分を悪く言って傷つけるような言い方をするところ、君は本当に昔から少しも変わっていないんだね。」
 困ったものだと、ウッドロウは苦笑した。
 どう考えても『リオン』という人間は、そういうことに対して平気でいられる人種には見えなかったし、こういう言い方をするとき、『リオン』は、ひどく傷 ついているのであり、それを殊更、隠し強がるためにそう振舞うのであるということも知っていた。
 しかしそんなウッドロウをジューダスは軽くあしらう。
「お前こそちっとも変わらないんだな。そうやって相手を美化して、ありもしない幻想抱いて、一方的に綺麗な恋愛にのめりこむところとか。けどな、お前がど れほど僕を美化しようとも、僕は、僕の身体を欲しがる相手を絶やしたことはないし、そう言われて乞われれば、誰にでも身体を差し出した。あんなもの、どう ということもない。適当に付き合えばすぐに終わる。」
 その言葉にウッドロウは、やはり少し驚いたように目を何度か瞬かせ、少しあきれたように、それでも寂しそうにため息をついた。
「けど、お前とは違っていた。…そうも思っている。」
 少しの間を置いて囁くようにそう言って、ジューダスはふいにウッドロウの視線が、自分の唇に注がれている、と感じた瞬間、わずかに喘ぐようにしてウッド ロウの唇を強くふさいだ。
 お返しのようにジューダスは強く身体を押され、そのままベッドに仰向けになった。
 ウッドロウの大きな掌がジューダスの肌を這い、その節くれだった指で丁寧に愛撫される。
 続いていくばくもなく、そこに唇を寄せられ、吐息のくすぐる感触にジューダスはわずかに身をすくめる。
 丁寧で、強引で、たまらないような性急で緩慢な愛撫。
 そんなもの全てをジューダスは愛しいと感じていた。
 そしてその愛しさに応えるように腕を伸ばしてウッドロウの背に回す。
 やがて愛撫は色濃さを増し、反り返らせた背に新しい汗が滲んだ。
 互いの肌が汗を帯びて密着し、離れられなくなる。繰り返して応じながら溶ける。
 まるで海の底から見るように、視界が撓み、ゆらめき、霞んでいく。
 大きく抱え上げられた裸の脚の間にウッドロウが割り込む。
 少しだけ我に帰ったように薄く目を開けば、ウッドロウの蒼い瞳と視線が合う。
 熱っぽさの中に真剣さを湛えた瞳が合意を確かめるようにしてから静かに押し入ってくる。
 その重さや熱さに小さく悲鳴のような声を上げ、ジューダスは腰を高く抱え上げられたままの姿勢で背を弓のように撓らせる。
 声は途切れ途切れになりながら、いつしか宙に掻き消えていく。
 ウッドロウは汗に張り付いたジューダスの前髪を丁寧に払って、額に口付け、さらには唇に触れてくる。
 ジューダスはそれを受けながら、また背に手を回し、深い口付けをねだる。
 乱れた吐息の中で二人はもつれて絡み合った。
 熱に浮かされたように抱き合いながら、ジューダスはふいに視線だけを窓の方に向けると、外では雪が降っていた。
 あの厚い雪雲の向こうには、『彗星』がある。
 あれが近づいている。
 もうすぐここに来る。
 急がなければ。
 あれが堕ちてくる前に決着をつけなければ。
 そう思う反面、やはりジューダスは、いっそここにこのまま留まって、この男と一緒に死ねれば、という思いが頭を掠め、即座にそれをまた、心にも無いこと を、と否定する。
 けれどぬくもりに身をゆだね、浅い眠りにつけば、ジューダスはいつも同じ夢を見た。
 それは、ゆっくりと、ゆっくりと。あの彗星が視界の中で大きくなっていき、やがてこのハイデルベルグ城の上空に覆いかぶさり、その重量をもって、この世 界全てを破壊しつくしていく夢だった。
 破壊、消滅、死。
 そればかりがあるはずの夢なのに、それは、あまりにも静かな光景だった。
 まるで無声映画のスローモーションを見ているように、雄大なパノラマの中で視界いっぱいに繰り広げられる。
 本当に静かで。
 そして静かな間に全てが終わる。
 そんな夢だった。

 


「確かロニ、とか言っていたか。…彼、いくつなんだい?。」
 微笑を湛えたまま、ぽつりと言ったウッドロウに、ジューダスは、一瞬、表情を固くした。
 二人の間にわずかに居心地の悪い沈黙が広がった。
 けれどウッドロウはその微笑をくずそうともしない。
「たしか、23歳と言っていた。」
 ウッドロウは笑みを崩さぬまま、23か。と呟くようにそう言った。
 18年前のウッドロウと同じ歳だった。
「何故、そんなことを聞く?。」
 気まずさに耐え切れず、ジューダスが少し咎めるように言った。
「興味があるからさ。いつも君の隣に立って、君を『仲間』と呼んで、毎日気にかけて、心配して、…愛せる男がどういう男なのか、知りたいからだ。」
 ジューダスは返す言葉に窮して黙り込んだ。
 かつて『仲間』であり、共に戦った自分たち。
 魂を寄せ合い、愛し合ったことも。記憶の中で鮮やかによみがえる。
 けれど道を分かち、歴史の中で『裏切り者』と『英雄王』と呼ばれるようになった現実だけがここにある。
 それは互いにとっての真実を選択した延長上にある結果だったのかもしれないが、『死』という決定的な別れの事実をもって道は今に至ったのだ。
 一瞬、戻れない過去が二人の間をあたかも流れる川のように通り過ぎた。
 ジューダスは居心地の悪い沈黙の中でウッドロウから視線を逸らし、少し俯いて首を小さく振った。
 何かを必死に否定するような感じだった。
「ウッドロウ。…お前、あいつと僕のことを何か誤解しているんだろう。本当に何度同じことを言わせるんだ?。昔からお前はずっとそうだ。お前はすぐそう やって、悪い方に悪い方にばかり物事を解釈する。あいつは僕が最近こうやって勝手な行動を取るものだから、イライラしているだけで。…本当に、お前の考え ているような、…大したことは何もないんだ。」
 ウッドロウは言葉を返さなかった。
 何も言わない代わりに静かに微笑んで、納得しない瞳を向けたジューダスの頬に優しく触れた。
「ウッドロウ。」
「ん、何だい?、リオン。」
「僕は、お前と会えて、幸せだった。」
「いきなり、なんだい。」
「いや、言っておきたかっただけなんだ。…18年前、言いそびれた。僕は、お前と知り合えて、幸せだった。」
「『だった。』なんて言わないでくれ。」
「ああ、そうだな。…今も、これからも。僕は幸せだ。」
「私はね、君のためなら何でもするよ。君が命令するなら、何でも聞くよ。この私が持っているもの、全てを君にあげるよ。何があっても、君がどこに居ても。 私は君を信じ、君の力になりたいと思っていて、永遠に君の味方だ。…このことを忘れないで。」
 ジューダスが小さく頷き、それに返すようにウッドロウは静かに微笑んだ。
「お前は…?。お前はどうなんだ。…ウッドロウ。お前は僕と会って、どうだったんだ。」
「君は理由を聞かないと、好きだとも言わせないタイプだったのかい?。本当に分かりきったことを聞くんだね、君は。私はね、自分ほど君に夢中な人間は居な いし、君の力になりたい気持ちなら誰にも負けないし、この世で君を一番愛しているのは私だという自信があるよ。…今も、昔も、…これからも。」
「本当に?。」
「以前、言っただろう?。『どうすれば君の気に入るんだろう?、どうすれば君にとっての一番になれるんだろう?、君が望むのなら、私は何でもする。』っ て。その気持ちは今も同じだ。」
「それで、命がけの一気飲みか。」
 呆れたようなジューダスの言葉に二人は顔を見合わせて少しだけ笑った。
 ふいに沈黙が二人を隔てる。
「僕は、お前の自由な魂が好きだった。お前の持つ宿命、自分のものですらない人生、そんなものを背負っても、お前の魂はいつも自由だった。剣や弓を扱い、 自然を愛し、人を愛し、峻烈で、…自分勝手で、奔放で、傲慢なところ。全てだ。」
「それは私が失ったものばかりだ。私は結局のところ自分の宿命に逆らうことは出来なかった。…君を失って、国王としての義務に追われてばかりで。国の政治 に縛られて。一人の人間らしく生きることも全て否定しなければならなくて。これが私の運命だというのは知っていたけど。…私は、18年間夢ばかり見ていた よ。君のことばかり思い続けて、恋焦がれて、夢にはいつも君が出てきた。私は18年間、戻れない過去ばかりを見て、その見果てぬ夢の中で溺れていた。こん な私を支えていたのは、困ったことにも国王としての責務だけだったような気がするよ。」
「…何で僕達は再会できたんだろうな。」
 ジューダスの囁きのような言葉にウッドロウの中でふいに何かがきらめいた。
 その言葉は、あたかも闇を切り裂くような強い光だった。
 もしかして、とうの昔に失ったと思っていた、遠い過去に置き去りにしてきたと思っていたものは、いままさに、ここに、自分の目の前にあるのではないかと いう気にさせられる。
 ウッドロウは最後の救いを求めるようにジューダスの顔を見た。
「…リオン。ずっとここに居てほしい。どこにも行かないで欲しい。もしも君がここを出ていく、などと言ったら、私はどんなことをしてでも君を連れ戻す。今 の私の力を甘く見ないでくれ。私は、…今の私は18年前の無力な若造じゃない。君を失わずにいられるのなら、どんなことでもしてみせる。それが君の本意で あろうと、なかろうとだ。」
 決意のように強い口調で告げられた言葉にも、ジューダスは言葉を返すことなく、曖昧に小さくうなずき、窓の方に視線を向けた。
「…風が、…強くなってきたな。」
 雪混じりの突風が、ガラスの窓をカタカタと揺らしていた。
 地上を静謐に封じ込めるような厚い雪雲の向こうで、何が起ころうとしているのかを互いが知っている。
 もう、選べる手段はいくらも残されていないことも知っている。
「…もう、寝よう。ウッドロウ。」
「部屋に戻らなくてもいいのかい?」
「僕も、可能な限りお前の傍に居たいんだ。…お前が疲れていなければ。…ウッドロウ。」
 らしくもないあからさまな言い方に、またウッドロウは少し驚き、そして静かに頷いた。
 優しく腕を差し伸べる。
 ジューダスはどこか祈るように目を閉じて、包み込んでくる腕の温かさに身を委ねた。やさしい吐息がこぼれる。
 きっと部屋ではロニが心配しているだろう。
 ここに来て、空に彗星を臨む今になって、本当の意味での終焉が見えてきたというのに。
 ただただ情に振り回されて立場を忘れたようになって、昔の思い出に浸って、温もりに耽溺しているばかりの自分を苦々しく思っていることだろう。
 けれど今夜も夢を見るのだ。
 また、あの彗星が頭上に覆いかぶさる夢だ。
 途方もないような静寂の中でゆっくりと、全てが押し潰されていく夢だ。
 こうしているうちに全てが終わってしまえばどんなにいいだろう。ジューダスは、こう思う己の弱さを恥じた。
 けれど。
 途切れることなく、続けてきた緊張の連続。
 自分の決心も、役割も、与えられた短い仮の命も、何もかも。
 こうして温かな腕に抱かれているうちに、全て終わってしまえば、どれほど安らぐことができるのだろう。
 だが、ジューダスは、もう、ここには留まれない自分を知っていた。
 今はこんなに闇は優しく安らかであっても、夜が明けてしまえば、まるで何かに憑かれたように、目的に向かってあの彗星を目指すことになる自分を知ってい た。
 そして二度とここには戻って来ないのだ。
 ずっと死に向かって歩いてきた。
 『ジューダス』という名を受け入れたときから、道はまっすぐ死に繋がっていた。
 彗星への旅はまさにあの世に旅立っていくことに他ならない。
 これが死だ。
 ジューダスはそう思った。
 死は、あらゆるものを奪っていくが、それでも代わりに安らぎを残してくれるのだろうか。
 けれど、そう思えば思うほど、この、最後の最後まで自分に愛の言葉を唱えた男の存在が、たまらなく愛しくなる。
 生きてきたことの証に甘美な切なさがこみ上げる。
 離れたくない。
 忘れられたくない。
 ジューダスの瞳から涙がこぼれた。
 呼吸が乱れて涙は止まらなくなった。
 今になって何故、こんなふうに泣けるのか分からなかった。
 覚悟は少しも揺るぎはしない。
 ただ、ひどく孤独を感じていた。
 不思議なことに、それは苦痛とか、悲しみとか、そういう類のものでなく、甘くて、やたらと懐かしいような孤独感だった。
「リオン、泣いているの…?。」
 優しい言葉を傍で聞き、ジューダスは、かぶりを振った。
「僕は泣いてなどいない。」
 声が上ずる。こんな思いは初めてだ。
 嗚咽を堪えながらジューダスはまるで子供のように右手の甲で乱暴に眼を擦った。
 
















2004 1015  RUI TSUKADA



 救いの無いジューダスの生涯に誰か安らぎをッ!。愛をッ!。これでもか、というくらいの甘やかしをッ!!。
 こう願うのはヤオラーのワガママなんでしょうか。
 ジューダスの悲壮な決意を誰も理解していない、なんて、あんまりじゃないか。 
 そういう悲劇性もジューダスの魅力に違いないんだけどね。