『夢を見ている(前 編)』 






 ハイデルベルグ城の客室にある小さな窓から差し込んでくる低い日差しは午後になると、淡いあめ色を呈し、優しく美しいが、やはり柔らかく弱々しい。
 寒気を防ぐための厚い造りの窓ガラスの外では、雪避け用の大きな針葉樹の枝から、時折の突風に吹かれて、はらはらと雪が降り落ち、それら全てが陽を反射 して金粉のように煌いていた。

 二人用としてあてがわれた部屋にしては随分と広く、天井も高い、通常賓客用として使われている城の一室で、ロニが苛ついたように煙草を咥えライターを数 回カチカチと鳴らし、火をつけた。
 ロニはそれを2回たて続けに強く吸い込むと、斜め下に大きく吐き出した。
 別に煙草が吸いたいわけじゃなかった。ロニは不味そうにもう一度煙を吐き出した。
 この苛つきの原因を頭の中で反芻しながら、吐き出される煙草の紫煙を視線で追う。
 続いて隣の無人のベッドを横目で見やり、わざと声を立てて溜息をついた。
「…ったく、あいつまた…。」
 重苦しい気分のままに呟かれた言葉は、紫煙とともに、白い天井に吸い込まれていった。
 ロニは苦々しげに咥えていた煙草をもみ消した。
 そして箱から引っ張り出すようにしてもう一本取り出し、すぐさま火をつけ、思い切り吸い込んだ。
 肺に到達する苦味、それを何度吐き出しても、次々とまとわりつく苛つきは消えない。
 誰が悪いとか、何が問題だとか、そういう次元ではないことは解り過ぎるほど解ってはいたが。
 ロニは、ただただ解決不能な感情が空回りしていくばかりの自分がひどくもどかしかった。





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『…陛下の部屋に、夜、黒衣の少年が頻繁に訪ねて来る。』
 こんな噂がハイデルベルグ城内に広がるのはあっという間だった。
 はじめのうちこそ、夜間、国王の私室近辺の警護担当だった数人の衛兵が、国王の私室を訪ねるジューダスの姿を見かけた、という程度にすぎなかったが、こ れが何日も続けば、自然、言葉に乗って噂も広まる。
 即位前の、若い王子の奔放で気ままな振る舞いを知っている古参の者たちからすれば、ウッドロウの華やかな容姿も相俟って、国王となった後には浮いた話の 一つも無かったのは、むしろ異様なものである。
 18年前の神の眼の騒乱以後、内政に没頭し外交に奔走し、国主としての立場に追われ、それがいかに多忙を極めるものであるにしても、ある意味、義務であ るはずの結婚をしようともしない『温和な英雄王』に長く仕えた者たちからすれば、突然現われた黒衣の少年の存在、そして、あからさまに秘密を内包したよう な国王の私室への訪問が、過剰な好奇を呼び寄せてしまうのも無理からぬことであった。
 そして一旦広がった噂は様々な憶測を呼び、あるいは俗な邪推を呼び、その『ファンダリア国王の私室を夜に訪ねる少年』の姿をひと目見ようと、厳重な警護 に守られた国王の私室のある棟までわざわざやってくる者まで現れ出していた。
 深夜にも近い時間、暗色の絨毯の敷き詰められたハイデルベルグ城の長い廊下を、別段臆した様子もなく、無表情に前を見据えて歩いていく少年。
 これだけで、この少年が決して庶民の出などではなく、ましてや『国王陛下が戯れに買った者』でないことが窺い知れる。
 一切の無駄が省れた惑いの無い動作は軍に属する騎士を彷彿とさせるものであるが、身に付けた厳格な作法を感じさせる洗練された雰囲気、何より漂う優美さ が軍人の無骨な匂いを相殺する。
 その横顔、スラリとした体躯、その立ち居振舞いからも。
 内側に華を無理にひた隠すかのような、謎めいたその姿は、返って見るものの好奇な想像を掻き立てる。
 ジューダスがウッドロウの部屋を訪ねる理由が『ただの関係ではないから』であるということはもう、この城では公然の秘密となってしまっていた。

「城の人間が僕たちのことを、あれこれ噂しているようだな。」
 夜、国王の私室のベッドの上で、シーツから少し身を乗り出して、囁くように言われた言葉にウッドロウは肩を竦めて苦笑した。
「…君にはさぞかし迷惑なことかもしれないが。」
 言いながら腕を掴んでその身を力強く引き抱き寄せる。
「…何も気にせずこのままずっと、ここに居て欲しい。」
 耳元で囁くようにそう言ってウッドロウは優しく耳たぶに優しく歯を立てた。
 その過剰で巧みな甘やかしから、明らかに行為の意図を込めた愛撫への変化。
 それを受けてジューダスは吐息を押し殺し、眼を閉じて少しだけ身を竦ませた。
 耳元から首筋に滑り降りていくウッドロウの唇を受け、皮膚の表面が泡立つようなこそばゆさにジューダスは、誘うように咽を反らせる。
「…できれば僕もそうしたいな。」
 溜め息のようにそう言って、ジューダスはその唇の端にあいまいな笑みを灯した。
  
 上空に『神の卵』が出現してから、もう10日以上が過ぎていた。
 そのいびつな形すらも肉眼ではっきりと確認できるまでに接近したそれは、まぎれもなく、今が事態は予断を許さない状況であるということを告げていた。
 その恐るべき重量をもって真っ直ぐこちらに向かってくる『彗星』。
 目の前に突きつけられた危機。現存する『神』による断罪の瞬間が、現実問題としてすぐ傍まで来ているのだということが、日ごとに大きくなる彗星の姿を もって証明されていた。
 本来ならば、少しの猶予もない。
 明日にもあの『彗星』へ向かわねばならない。
 そしてそれをもってこの旅は終焉する。
 旅の終焉はそのまま歴史の修正につながり、その修正は、必然的にこの、歪められた歴史の狭間でなされた再会の記憶をも消滅させることになる。
 歴史を歪めることによって果たされた出会い。
 偽りの命を与えられ叶えられた、あるはずのない出会い。
 あるはずのない16歳の自分。
 歴史の外れに位置する自分たち。
 これを叶えたのは、これから倒そうとしている相手なのだ。
 そしてこれら全てが本来『あるべき姿』に戻るのだ。
 ゆるい温もりと流れる悦楽の中、気だるい心地よさに眼を閉じ、ジューダスは自分を抱きしめる力強い腕に身を委ね、近づく運命の足音の気配を夜毎、息を潜 めるようにして聞いていた。

「…さあ、今日は朝から会議だ。」
 その声にジューダスは、はっと現実に引き戻された。
 ウッドロウはベッドから身を起こし、もう一度ジューダスにキスをした。
 ジューダスもそれにならって口付けに応え、そしてベッドから出てソファーに掛けておいた服を取り、身支度を整え出す。
「君はずっとここに居てくれてもいいんだよ。」
「…まさか!。」
 ジューダスは少しだけ怒ったようにそう言った。
 国王の一日は多忙を極める。
 この城に滞在中、こうしてウッドロウの私室を訪ねていくのが、自分たちに持てる、せめてもの逢瀬であっても、まるで愛玩動物のように、夜になるまでこ の部屋で主を待ち続けるようなことは出来ない。
「私はね、君と再会できて、最高に幸せだと思っている。私がずっと長いこと願い続けていたことがこうして叶ったのだからね。だから君がここに居る間は、君 にはせめて快適に過ごしていてほしい。君の願いなら、何でも叶えてあげたい。」
 会えることがこれほどまでにうれしい。抱くためだけにこの部屋に呼ぶのではない。
 そう念を押すようにウッドロウは毎日のように繰り返して言い、それから愛おしくジューダスの頬に触れる。
「僕の役割は。」
 掌を頬に受けたまま、ジューダスは一度言葉を切り、改まったようにウッドロウの瞳を見返す。
 間近で見る瞳に、一瞬、強い光が宿った。
「夜にこの部屋にくることだ。」
 冷静な口調できっぱりと言い切りつつ、直後、瞳の奥にどこか甘えたような色を湛えたジューダスにウッドロウは少しだけ苦く微笑んだ。
「本当に君のその、すごく…、約束事に律儀で責任感が強いところは、…たまらないね。」
 あでやかに片目を瞑ってみせながらも、やはり苦そうに視線を逸らしたウッドロウの背中をジューダスは軽く睨んだ。
「…ウッドロウ。お前が誤解しているようだから、これだけは言っておく。お前は僕がこの部屋に通うことを僕が不本意に思っているだとか、自分が強制してい ることだとか、そう勝手に決め付けているんだろうな。お前のそういう、すぐに自分の尺度で物事を計ってしかもそれを悲観して、悪い方に悪い方に思い込むと ころは、…一番の欠点だ。」
 そう言い切られて少し驚いたようにこちらを振り返ったウッドロウを視線の端に捕らえつつ、ジューダスは手早く支度を整える。
 互いの支度が整うと、先ずウッドロウが先に部屋を出、それを見送り、少ししてからジューダスが部屋を出る。
 これがここ10日あまり続いている二人の朝だった。

 国王の私室から出、ジューダスは一度階下に降りて、長い廊下の先の、客室用の棟の方に向かった。
 ふと見ると、薄暗く照明の灯った廊下の途中の客室のドアの前に、ロニが腕を組んで立っていた。
 ロニはジューダスの姿を観止めると、やや大股歩きでジューダスに近づいてきた。
「ロニ。」
 ジューダスは事務的に声をかけた。
「皆、各自の部屋にいるぜ。」
 短くロニは言い、
「こう毎日毎日雪が強いと、城の外に出るのもおっくうだからな。」
 と、意図的にジューダスを呼び止めるように付け加えた。
 その言葉にジューダスはロニが何か別のことを言いたいのだと察する。
 ああ、そうだな。退屈なら博物館か図書館にでも。
 話題を逸らして、らしくもなく形式的な言い方をして、ドアノブに手をかけたジューダスをロニはやや乱暴に右手で制した。
「ま、あの人には、その方が都合がいいんだろうけどな。」
「…。」
 横を向いたきり振り返りもしない、無言のジューダスにロニは、更にたたみ掛ける。
「…ここに来てから毎晩、部屋に行ってるだろう。」
 少しだけ棘を含んだその言葉、苛ついたようなロニの口調を受け、ジューダスは「別に。」と無表情に流す。
 そしてそう言ったきり、ロニに一瞥もくれず、再度ドアノブに手をかけた。
 こういうとき、特にロニにはこの手が効果的であると踏んでのことだった。
 ロニはこちらの気勢をかわす相手の無反応さに続く言葉を詰まらせた。
 表情が無いときのジューダスは怖い。
 ロニはそれをよく知っていた。
 ジューダスは冷静で無愛想な人間ではあったが、決して表情が乏しいわけではない。
 腹が立てば怒るし、これまでに何度も言い争いも喧嘩もした。
 けれど本気で相手を切り捨てたいときだけ、ジューダスの顔からはすっと表情が消えるのだということロニは知っていた。
 ウッドロウとジューダス。
 この二人の関係を考えれば、自分はどうしても蚊帳の外の存在になる。
 今ロニが口にした話題の内容そのものが随分と個人的なものであって、デリケートな側面をもつものであるということだけではなく、どうあっても入り込めな い領域があるのだということを目の前に突きつけられている気分になる。
 もしかしたら、『運命』というものですら、二人が繋がっているのだということに、ロニはたまらないもどかしさを感じていた。
 今の現状、傍から客観的に見れば、非常にいじわるな言い方かもしれないが、未練たらしく旧知の男の部屋を毎晩のように訪ねるジューダス。
 いつものあの冷静で物事に平等なジューダスから考えれば、およそらしくもない行動に、ありきたりの世俗めいた言葉しか浮かばない。
 そしてこれを苦々しく思ってどれほど言葉を探したとて、何一つとしてジューダスには届きはしない。
「わ、悪い。…お前に当たるつもりはねえんだ。…けど、お前が、ここのところ、ずっと、夜、部屋に居ないから、…心配なだけなんだ。お前のこと。色々 と。」
「お前に迷惑はかけない。」
 懸命に伝えようと困惑したロニの内面を察したように、それでもロニに考える隙も、言い直す隙も与えず、背中越しにジューダスはピシリとそれだけ言い、そ れきり会話を打ち切って部屋の中に入っていった。

 ジューダスのベッドの傍らにある椅子の背もたれに、外したマントをかけ、それから仮面をサイドテーブルに丁寧に置いた。
 ふと、サイドテーブルの上に置いてある灰皿に目が留まった。
 一体どうやったらこんなに、というくらいに煙草の吸殻がぎっしりと詰め込まれていた。
「…。」
 おそらく一晩中、眠りもせずに自分を待っていたのだろう。
 途端、重くなったような気分を抱えて俯いたジューダスの背後にロニが立っていた。
「俺さ、今のお前に対して、ひでえことなんか言うつもりは、少しもねえよ。お前のこと、…昔のこととかも。俺だってこれでも少しは、解っているつもりだ し。…けどな、ジューダス。ここんところのお前を見てるとなんか不安でさ。ここに来て、お前はウッドロウさんに会いに行ってばかりで。こう言っちゃなんだ けど、ここ居ると、お前がお前でなくなるようで。」
「…。」
 ロニの言わんとしていることは分っていた。
 このハイデルベルグには、自分が『リオン・マグナス』であった頃の匂いがあまりにも色濃く残されている。
「つまりさ。要するに、ジューダス。お前はイクシフォスラーと、この旅の支援のために、…俺達との旅のために、ウッドロウさんのところに行っているんだ ろ?。そうなんだろ?。」
 そうあって欲しいとロニは思った。
 今のジューダスの行動は、あくまでもいつものジューダス通りの合理で、むしろ打算的なものであって欲しいと。
 そうでなければ、この先、どうなるのか結果が見えてしまっている状態で、今のジューダスの行動はあまりにも救いが無さ過ぎた。
 ロニは自分に言い聞かせるようにしてジューダスに更に問いかけた。
「だからウッドロウさんは、お前に対する優位な立場を利用して、金でお前を…、」
 ジューダスはそこまで言ったロニを鋭くにらみつけた。
「…、悪い。」
 言い過ぎてしまったのだとロニは俯いた。
 このひどくもどかしい状態にあってジューダスからそれなりに納得できる答えを聞くための言葉を、自分は持っていないのだとロニは思い知る。
「…。」
 けれどジューダスは、ロニの問いかけに何も言えなくなって、どこか追い詰められたように口を噤んだ。
 間を置いて、言葉の代わりに呻くにように溜息をひとつつくと、無理にロニから視線を外し、それから一旦置いたマントをひったくるように取って、もう一度 それを羽織った。
「それでもいいんだ。」
「それでも、ってお前。」
「金で、僕を買うだけで、それでウッドロウが満足してくれるなら、どれほど。」
「お前…。」
「もう、いいんだ。もう、これ以上。」
 …本来の自分が、かつて人として存在していた自分が、最終的にどうなったのかも知っているから。
 そして今、何をしなければならないかも解っているから。
 『ジューダス』という名を受け入れたときの決心は何一つ変わらないから。
 本当にわずかな間の、もしかしたら今の自分を創生したものに与えられた、断罪の前の執行猶予だと思っていたこの10日あまりの日々が、何だったのか解ら なくなる。
 明確な終焉の予感を必死に他人にひた隠し、更にはそれから自分を遠ざけることが『平穏』と呼ばれるものなのかもしれないが、それをロニに暴かれた今と なっては、それすら無くなったのだということを思い知る。
 ジューダスはロニを見もせずにドアの方に向かって歩いていった。
 すぐにドアノブに手がかけられたが、一瞬後、それは躊躇いのように止まった。
「僕が一人で勝手な行動を取っているということは、よく分っている・・・。心配かけて、…すまない。」
 ジューダスはやっとのことでそれだけ言って、まるでその状況から逃げるようにロニの目の前で、ドアを閉じた。













2004 0828  RUI TSUKADA



 『神の卵』へ向かうことは、自分を再生させたものを殺しに行く、また自分にとっても死への旅。
 ゲーム中のジューダスはあくまでも冷静で、客観的で、強く、かっこよかったですけど、本来彼も16歳の少年なわけでして。
 ラスボス戦後、泰然自若に消えるジューダスは見てて、つらかったなぁ…。

 だからこそ、私は未練のよーにヤオイを書くぞ。
 生へのわずかな執着のようなものを、ジューダス(リオン)が見せる相手は、私にとって、髭王でした(笑)。

 後編に続きます。