『束縛的記憶(3)』
一行がハイデルベルグ城に滞在することとなったその日のうちに、ジューダスは、仲間達に知らせずに、一人で国王と謁見をするため
の手続きを済ませていた。
申請の手続きから実際に謁見出来るまでは、相当の時間を要するであろうと覚悟をしていたが、意外なことにもすんなりと申請は通り、特別に優先的に謁見が
許されることとなった。
普通に考えれば到底有り得ないような明らかな特別待遇に、『スタンの息子の仲間』の能書きは、こんなににも効果的なのか。ジューダスはそう、苦々しく
思った。
しかし当初においては、この能書きを謁見の手段に使うことを意味の無いことと難色を示した自分であったが、事態は急を要する今となっては、やはり、これ
をありがたく思わないわけにはいかなかった。
その日の最初の謁見者として、ジューダスは先ず、謁見の間へと続く控室に通され、そこで装備していた剣を全て警護の者に預け、形式的なチェックを受け
た。
ほどなく控え室と謁見の間とを繋ぐ重い大きな扉が開かれた。ジューダスが室内に入ると同時に、これまでついて来た警護の者たちが、すっと後ろに下がり、
場を外した。
室内も、すでに部屋は人払いが済まされているようであった。
謁見の間に一歩足を踏み入れると、以前、エルレイン達の襲撃の際に来たときとはかなり様子が変わっていることが見て取れた。
入り口に近い、双方の大理石の壁には、大きな暖炉が設けられており、燃やされている薪の炎によって室内は明るいオレンジの色調に染められていた。
天井は高く、そこには斜めにガラスが嵌め込まれた大きな天窓があり、そこから光が取り入れられるようになっている。
そしてそこから射し込んだ光が、天窓のガラスによって適度に屈折し、天井部から、あたかも淡色のカーテンのようにたなびいて、重厚な内装を施された広間
に柔らかな雰囲気を添えていた。
よく磨き込まれた白を基調とした石造りの床には、手入れの行き届いた緋色の絨毯が敷きこまれており、それが玉座へと向かう長い通路を作っている。
その長い道の先には、謁見者の座が用意されていた。
そして、その座に辿り着くまでの左右の空間に、白い薔薇の花がまるで群列をつくるように幾重にも飾り付けられていた。
あたかも競り合うようにして咲き誇るその白く優雅な花は、かつてジューダスが『リオン』であったときに、まだファンダリア王子だったウッドロウから贈ら
れたことのあるものと同じ花であることを思い出した。
ジューダスは、その見事な白い薔薇の群れを視線の端に捕らえつつ、謁見者の座の前で、臣下の騎士が王に対してそうするようにひざまづいた。
二人にとって、特別の意味をもっているものであると言ってよいこの白い花は、明らかにウッドロウの今日のための演出なのだろうと、ジューダスは思った。
昔の感傷にふけるかのように用意された小道具。
18年前の記憶を呼び覚ます花だった。
しかし今、自分は、昔話をしにきたのではなく、現在において差し迫った問題を解決するためにここに来たのである。
この趣向に込められたウッドロウの意図を考えると、戸惑いにも似た居心地の悪さを感じたが、とりあえずにおいて、この城の主であるウッドロウが、自分の
訪問を歓迎してくれているらしいことに、やはり少しだけ安堵を覚えていた。
「きっと来ると思っていたよ。…よく来てくれたね。」
そう言って、ウッドロウは玉座から立ち上がって微笑んだ。
優しく目元がほころんで、それが決して愛想笑いでないことが分かる。
自分の知るウッドロウはまだ23歳だった。当時、いかにも育ちの良い、世間知らずでお人好しで、自信過剰な王子だった青年は、18年たって歳相応の重厚
さを湛えた大人になり、そこには『英雄王』と呼ばれる者の風格が備わっていた。
それでいて、かつての気品も物腰の優雅さも失われてはいない。
しかし、自分の知らない年月を経て、日々の激務や重責が確実にウッドロウから若さを削ぎ奪っていったかのようで、それがジューダスには少しだけつらかっ
た。
「国王陛下には、ご機嫌麗しく…、」
そこまで言いかけたとき、ウッドロウが手で遮った。
「やめてくれ!、そんな言葉。君が使うべき言葉じゃないよ。」
「…しかし。」
ジューダスは肩越しに扉の方に注意を向けた。
国王に万が一のことがあってはならないため、たとえ人払いによりこの部屋に居るのが二人きりだとしても、警護の者が重い扉を通して必ず部屋の中の様子に
気を配っているはずだった。
ウッドロウは苦い笑顔のまま小さく首を振った。
「心配いらないよ…。今の君は、『スタンの息子』の仲間なんだろう。君達は私の大切な客人だ。そう城のものたちには、私からよく言ってある。」
ジューダスはその言葉に少し当惑したように目を伏せ、跪いたまま、臣下の礼をした。
「…どうか顔を上げてくれ。先程の言葉を訂正するよ。本音を言ってしまえば、君がスタンの息子の一行に加わっていることなど、私にとって、どうでもいいこ
となんだ。これは私の気持ちの問題だ。こうして君とまた会えるとは思ってもみなくて、こうして会えたことが本当にうれしくて、どう言葉で表していいか分か
らないくらいなんだ。」
どこか上気したような表情でウッドロウはそう言った。
ああ。そうか。ジューダスは思った。
ウッドロウにとって自分はあくまでも18年前の『リオン』なんだ、と。
まるで貴婦人に対してそうするように、ことさら礼をつくすようなやり方も、昔と全然変わっていない。
男の自分に臆面もなく両手にあまるような白い薔薇の花束を贈りつけた、あの気障で自信過剰な王子、そのものなのだ。
けれど今の自分には、あのような繊細な花など、到底似合ったものではない。
しかし、今の旅を続けるに当たって自分たちの目的を果たすために、もはや無くてはならない存在となった眼前の男が、自分を『リオン』として扱いたがって
いるのならば、自分はそれに合わせなければならない、そう思った。
「そうだな…、そうしよう。」
そう言ってジューダスは仮面に手をかけた。
それを外す動きに従ってさらりと黒髪が流れた。
そしてその髪の動きを、18年前と何一つ変わらない素顔を。ウッドロウは息を飲むようにして見詰めていた。
ジューダスは、ウッドロウのその、自分を見据える瞳の光を受け流すように唇の端に無難な笑みを作ってみせ、それから、すっと立ち上がってウッドロウの方
へと近づいた。
玉座の段の前まで来て、ジューダスは、左右の空間に飾り付けられた白い薔薇を振り返り見た。
「…ちっとも変わらないんだな。」
ジューダスの言葉を受けて、ウッドロウは柔らかく微笑んだ。
ここまま行けば、エルレインの手によって、世界は近い将来、滅亡することになるのだと、そう、ジューダスは静かな顔で説明した。
これまで旅の中で起こった事象、『神』の存在、そしてその代行者が何故、あのような結末を引き起こそうとしているのか、破壊の『彗星』が、確実にこの地
上に向かって接近しつつあり、それが何を意味するものなのかを、ジューダスは一つ一つ、順を追って語っていった。
口調は冷静で、その説明のどこにも誇張も抜けもない。
けれど、最後、歴史が修正された後のことについては何一つ触れないジューダスにウッドロウは、やるせなさを感じていた。
歴史を修正したなら、君はどうなるのか。
さもなくば、直前にさしせまった世界の危機だけを回避する手段を別に考えよう。とでも。
問い詰めて説得したいことは山のようにあるというのに、ジューダスはひたすら『修正』という言葉を使う。
判っている。それが『ジューダス』なのだ。
あくまでも平等で。この地に生きている者達を一歩離れた位置から見ながら思いやるのだということも。
しかし、それを理解しようとしても、なおも割り切れない思いはある。
ただ単に自分たちに物理的な別れが確実にやってくる、ということだけではない。
彼の言う『修正』がなされたならば、今、こうして出会った記憶すらも失われるのであろう。
全部無かったことになってしまうのだろう。
そして自分は、また、後悔にまみれ、己の臆病さと脆弱な精神を呪い、痛恨の記憶に押しつぶされそうな夜ばかりを過ごす日々に逆戻りするというわけだ。
そんなこと到底受け入れられたものではない。
18年間の焦がれる想いの末、ようやっと叶ったこの再会には、決して長くはない期限をつけられ、その上これを記憶に留めることすら許されないのかと。
すべての説明が終わっても、ウッドロウは言葉を発することができなかった。
何と言えばいいのか。判らなかったのである。
押し黙り、ジューダスに向かい合った。
彼の望みなら、自分の持ちうる力の全てを使ってでも、何でも叶えてあげたい。
自分はもう、18年前のような無力な皇太子ではない。
もっともっと力になれる。愛する者のために己の力で尽くせること、それは何にも代え難い喜びであるはずだった。
しかしそれに応じて自分が被らなくてはならない痛みをどうしてくれる。この千切れそうな焦燥をどうしてくれる。
そう思うのは子供じみた独占欲であることも判ってはいる。
過去に戻ることも遣り直すことも。かつて自分が敵として『殺した』はずの彼との再会と和解を手離そうとしないことも。
本来、戻れぬ時のレールの上を歩む人間に赦されたはずのないものであることも判ってはいる。
どうすればいいのか。
己の内面に渦巻いた自己の痛みを告げるわけにはいかなかった。
告げた瞬間、彼は自分を二度と信用しなくなるであろうことは分かりきっていた。
いま、自分の目の前にいるジューダスを説得するには、感傷の存在は、無意味どころか、少しも勘付かれてはならない障害だった。
ウッドロウは小さくため息をついた。
「それはカイル君のためかな?。…カイル君は君の大切な血縁者、だね…?。」
言葉に少しの動揺も混ざりこまないように細心の注意を払った。
今、自分の精神を覆い始めている、到底純粋とは言い難い内面を悟られるわけにはいかない。『彼』は敏い人間だ。彼を騙すにはこちらも相当の覚悟をしなけ
ればならない。
「いや、そうではない。僕は、歴史をあるべき姿に戻すために動いている。それだけだ。」
「エルレインがいる『神の卵』に行くためには、ファンダリア軍のイクシフォスラー、それとそれに伴う各地での優遇措置、今後接近する『彗星』に動揺した民
を鎮め、各国の政治レベルでの協力を受けるためには、私の名の勅命状に加え、更なるファンダリアの外交が必要。…そうだね?。」
「こんなことを頼めるのは、あのアタモニ神団の絶対権力者、エルレインが邪悪な力を振っているということを知っているお前だけだ…。今後ますます接近する
彗星に各国が動揺したり、ヘタに強硬手段に出たりしないように抑えておいてほしい。エルレインのことだ。おそらく神団の勢力を使って各国の政府に根回しし
てくると思う。…我々も極力急ぐようにはするが、この先のことは、何が起こるのか、僕にも予想がつかないんだ。だからこの件に関しては、ファンダリアが全
責任を負う、ということにしてほしい。」
そうジューダスは冷静な口調で言い切ったあと、「お前を長くは危険に晒さないことを約束する。」と付け加えた。
しかし感情を見せないことに慣れた瞳が、『この先のこと』と言った瞬間、僅かに揺れたのをウッドロウは見逃さなかった。
そうだ、彼とて本来まだ16歳の少年なのだ。必然的にやってくる結末に恐れを抱かないはずはない。
ならば。自分はそれを利用するしかないだろう。
自らの創生者に歯向かい、必然的にやってくる結末。そして予想もつかない過程。
そんな過酷なものへ自ら向かうと言い切った彼の内面に、いま少しの不安や恐れ、そしてできることならば生あるものへの執着や未練を呼び起こすことができ
れば…。
「…できる限りの協力をしよう。」
そう告げると、ほっとしたように、ジューダスの身体から少し、張りつめた緊張が解かれたのが分かった。
それを視線で捕えながら、ウッドロウは「但し、」と付け加えた。
「私の見返りは…?。」
ウッドロウは少しだけ、棘のあるニュアンスを声に含ませて聞いてみた。
案の定、ジューダスが当惑したような顔でこちらを向き、またすぐに俯いた。
考え込み、言葉を慎重に選んでいる様子が見て取れる。
ウッドロウは視線で答えを促した。
少しの沈黙の後、ジューダスが顔を上げた。
「…僕は、もう、お前にあげられるようなものを何一つ持っていない。僕のこの命を、お前にあずける、としか。」
ほぼ予想していた通りの答えにウッドロウは追い討ちをかける。
「私に君とファンダリア全国民、ひいては世界を秤りにかけろと?。」
罠にかけて絡めとりたい。
このあくまでも静かな顔をしたまま自ら破滅に向かう彼を。
そうはさせない。させてなるものか。
「いや。…そうではない。お前にとって、僕がそれほどの価値をもっているとは思ってない。だから。…僕のことは担保とでも思ってくれればいい。僕は言うべ
きことは言った。そして僕達の目的はお前の協力無くしては成り立たない。だから後はお前が判断して、信じられないのなら僕を殺してこの旅を食い止めればい
い。あとはアタモニ神団と交渉するなり、お前の権限で好きにしたらいい。」
そう静かな口調で言い切ったジューダスを、一瞬、ウッドロウはたまらず睨み付けた。
カードを握っているのは自分であるはずなのに、会話の内容は間違いなく自分の導いた方向に進んでいるはずなのに、この灼けつくような焦燥をどうすること
もできない。
どうしてこれほど平然と『信じられないなら』などと言えるのだ。
ウッドロウはこのジューダスのあまりにも平等に過ぎる薄情さを一瞬、憎みかけた。
こちらの意図も感情も何もかも。全てを頭越しにして勝手に判断し、決定してしまう。
目的のためならば感傷のリスクを省みない非情さ。これが『リオン』という人間だった。
けれど依然として話の優位性は自分の方にあることに変わらないことをウッドロウは自覚していた。
そして唇の端に、やはり作り慣れた笑顔を貼り付かせて、取引において相手を懐柔するときの雰囲気を纏った。
「君は本当に頭が良いな。そうして私の傍に居れば、私を監視し、私の意向のすべてを把握することができるというわけだ。それに君は、私が君に尽くす存在だ
ということを知り抜いている。…そうだろう?。私に君を殺すことなんかできやしない。そう思っているんだろう?。」
「ウッドロウ、僕は…!。」
「素直なんだね。…尊大な君も好きだったが、こういうふうに私に対して素直になってくれる君も、…悪くないよ。」
「…。」
言葉を失ったジューダスの瞳は、紛れも無くこちらに頼り、縋る色を湛えていた。
かつて恋焦がれたあの紫の瞳で見上げられると居たたまれない気分になる。
「安心したまえ、私は君の言葉を信用している。それにどのみち、このまま放っておいても世界は滅びの方向に進むのだろう?。」
その言葉を受け、ジューダスの肩が、少しだけ緊張から解放されたのが判る。
そんな彼を見るに、思いは複雑だったが、焦ってはいけない。
内面を悟られたらすべてが終わりなのだ。
「力を貸すよ。…愛する君のために。それが私にとっての全てだ。」
ウッドロウは、ジューダスの両肩に触れた。
信頼の証と取れる仕草だったが、今の自分には、到底相応しくないものであると、ウッドロウは思った。
協力はする。しかし全て彼の望みどおりにするわけにはいかない。
「すまない。…一度はお前を裏切った人間が。今更こんな。」
そう言って、ジューダスはウッドロウを上目遣いに見上げた。
この瞳はもう何度も見たことがあった。まるで誘い込むような色を湛えている。
そしてジューダスのそんな瞳を見た途端、ふいに病的なほどの、ものすさまじい衝動がウッドロウを襲った。
ウッドロウは乱暴にジューダスを抱き寄せ、むさぼるようにして唇を奪った。
ジューダスの身体は抵抗もせず、おとなしくなすがままになっていた。
自分の身を犠牲にして、いつでも全てを投げ出す覚悟を決めているかのように、水のようになめらかに、ウッドロウにまかせるようにしてきた。
長い抱擁だった。
しかし、人払いをしたとは言え、謁見の間でそれ以上の行為に及ぶわけにもいかず、かといって、せっかく手に入れたばかりの身体を手放してしまうのも欲望
はあまりにも高まりすぎていた。
しばらくしてジューダスが腕の中でわずかに身をよじり、喘ぐようにしながら、顔をそむけ、囁くように言った。
「…夜、お前の部屋に行く。…それでいいか。」
ウッドロウはたまらなくなったようにジューダスの華奢な身体を強く抱きしめた。
ここが謁見の間でなかったら、扉のすぐ外には警護の従者が何人もいるようなところでなかったら、この腕の中の身体をここで引き倒して、その肌を覆ってい
るものをすべて剥ぎ取っていたかもしれない。そしてそうしてすら、決して彼は拒まないであろうことも。
身を投げ出して、自分に縋り、助力を求める彼。
けれど、そうしたところで彼が得られるものは何一つない。
それどころか、彼は最終的に何もかもを失うことになるのだ。
扉のところで人の気配がし、続いてノックの音がして従者の声が聞こえた。
「陛下、そろそろ次の謁見の者が控えております。」
「…わかった。」
ジューダスを抱きしめたまま、ウッドロウはそう言った。
To be continued…
2004 0222 RUI TSUKADA
受け受けしさを満載したジューダスに髭王もワキワキ。ってゆーか、もう、カモネギ状態。
これから毎晩、寝不足決定です。
髭王は労せずして、恋焦がれた美少年を毎晩オモチャにできる権利を手に入れました。
あ〜、権力ってオイシイなぁ!。←ヤケ。
それにしても坊は身体を武器にしてるな!。特に髭王に対してはその色香は無敵だ!。
だが、これが前回の急性アル中のジューダスに繋がっているわけだから、あまり楽観できたものではない(笑)。
とりあえず髭王はジューダスをハイデルベルグに引き止める気マンマンのようだぞ。
ちなみに作中出てきた、18年前の『白い薔薇』の思い出は、TOD編小説『白い薔薇』(王子と剣士(2))参照です〜。
さて次回。
『束縛的記憶(4)』
髭王VS兄貴、謁見の間で野郎二人の火花散る。その実態は、ロニいぢめ。
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