『束縛的記憶(2)』
ロニはドアノブがまわるかすかな軋み音に、ふいに浅い眠りから覚醒した。
暗がりの中、視線だけを壁掛け時計に走らせれば、午前3時を少しまわったあたりだということが分かった。
わずかに開いたドアの隙間から、外のひやりとした冷気が室内に入り込み、それと同時に、まるで滑り込むようにして部屋の中に入ってきた人影は、やはり
ジューダスだった。
音をたてないように注意が払われて後ろ手にドアが閉められた。
そしてそのまま、ジューダスはドアを背にして溜め息をついている。
随分と大きな溜息だったが、それが何のためなのかは分からない。
しかし目を凝らしてみると、ジューダスがひどくおぼつかない足取りで、壁に手をつきながら歩いているのが分かった。
「…?。」
いくら足元が暗いからと言っても、何か様子が変だった。
「おい、ジューダス。」
その声にびくりとジューダスは反応し、動きが固まった。
「お前、こんな時間までどこ行ってたんだ?。」
そう言ってロニはベッドから起き上がった。
ジューダスはロニの声に反応して暗がりの中でこちらを向いたが、その表情は分からない。
「…なんで、お前が起きているんだ…。」
平静を装っているようだったが、声が妙に疲れている。
「具合、悪いのか?。どうしたんだよ。」
なるべく声に咎めるような色が混ざらないようにしてロニは聞いた。
「…。」
暗がりの中でロニに向き合って、壁を背にして立ち竦んだまま、気まずそうにジューダスが黙り込んでいた。
ロニは普段のジューダスらしからぬ、その歯切れの悪い態度に何か嫌な予感がして、ベッドから立ち上がり、ジューダスに近づいた。
「!。」
しかしジューダスに近づくと、ツンと強いアルコールのにおいが鼻につき、ロニは思わず顔をしかめた。
「もしかしてお前、飲んでるのか?。」
思わず声が咎めるように少しだけ荒げられた。その声にジューダスの態度が明らかに硬化したのが分かった。
「…もう遅い時間だ。明日にしてくれないか。」
表情の分からないジューダスから、作り声のような白けた返事が返された。
「お前、一体どこで…、」
言いかけたロニの質問には答えようとせず、ジューダスは煩わしそうにロニから視線を外し、そこから逃れるように、一歩後ずさり、それからその横をすり抜
けるようにしてベッドの方にまで行こうとしたが、踏み込んだ身体がぐらりと傾いだ。
「あ、おい!。」
咄嗟に身体を支えようとロニは腕を伸ばした。
「…ッ!。」
しかし触れた瞬間、ジューダスの身体がまるで雷にでも打たれたかのように反応した。
「…離せッ!。」
差し出された腕を乱暴に振り払い、その反動でジューダスは壁に背をぶつけた。
無防備のまま背に受けた衝撃にジューダスは小さく呻くような声をもらし、そのまま壁にもたれ掛かるようにして身体を支えていた。
「お、おい…。」
ロニはジューダスの異変にいよいよ不安になり、部屋の電気のスイッチに手をのばした。
「つけるな!。」
どこか叫ぶようにジューダスは言った。
「だってお前…、具合悪いんじゃ…。」
ジューダスは俯いたままかぶりを振った。
「す、少し気分が悪いだけだ。…休めば、治る。」
そう言うと、ジューダスはもう、自分の体重を支えているだけの力もなくなったかのように、ベッドに身を投げ出した。
そんなジューダスの姿を呆気にとられたようにロニは見ていたが、あきらかに具合が悪そうなジューダスを放っておくわけにもいかない。
ジューダスはベッドの上でぐったりと横たわっていた。
会話が途切れてしまうと、深夜の静寂の中では、ジューダスの呼吸音までよく聞こえてくるようだった。
吐息は浅く乱れており、仰向けのまま、ひどく苦しそうに胸を上下させている。
アルコールのにおいは吐息からだけではなかった。
暗闇に目が慣れてくると、その長い前髪が濡れており、ところどころ房になっているのが分かった。
強いアルコールのにおいはそこからだった。
それに苦しげに薄く開いた眼は不自然に潤んでおり、わずかに瞼がはれぼったいような気もした。
「……。」
呆然としたまま、ロニはジューダスのベッドの横に立ちつくしていたが、そのうち見下ろすロニの視線に気付いたのか、ジューダスは身体を横にしてロニの視
線から逃れようと背を向けてしまった。
背をまるめ、両腕で自分の身体をかき抱くようにしたジューダスの肩はこまかく震えている。寒さのためではない。何かに必死に耐えているような感じだっ
た。
こんなジューダスを見たのは初めてだった。
日頃からアルコールを殆ど飲まないジューダスは、元々体質的に酒に強くはないことをロニは知っていた。
それなのに、髪や肌にまで浴びたアルコール。一体どういう飲み方をすれば、ああなるのか考えると怖くなってくる。
余裕なく呼吸を乱して震え、固く目を閉じて体を強張らせているジューダスに、ロニはふと、危険な連想をもった。
…本当に飲みすぎただけなのだろうか。
「俺、なんか、…つめたいタオルか何かを。」
とにかく、この状態のジューダスを放っておくわけにもいかず、先程の自分の中に浮かんだある考えを否定するように、ロニはジューダスから視線を無理に引
き剥がして背を向け、ドアの方に行こうとした。
けれどその瞬間、背後でジューダスの身体がびくんと大きく震えたのが分かった。
あわてて振り返ったロニの目に、懸命にベッドから身を起こそうとしているジューダスの姿が映った。
ジューダスは身を捩りながら掌で口をふさいで、反対の手でベッドの縁を掴み、なんとか身体を支えようとしていたが、すぐに肘から崩れ、また、ベッドの中
にうずくまってしまった。
「お、おい…。」
駆け寄るロニを必死に片手で制して、ジューダスはうずくまったまま小さく首を振った。
「もう、平気だ。だから、僕にかまわずに、今日はもう寝てくれないか。」
「え、けど、お前…。」
ジューダスはベッドから身を起こそうとしていたが、力の入れ方があきらかに変だった。
身を支えようとベッドの縁を掴む、懸命の力をこめた指先は白くなっている。そのくせ肘に力が入らないのか、上体を起こすこともできない。
「ぅ…ッ、」
何か言おうとしたのか、掌を口元から外したジューダスの口から微かな呻きのような声が漏れた。
飲み過ぎただけならば、水でも飲んで、いっそ吐いてしまえばいいだけのことだ。
タオルよりも水か。それからジューダスを洗面所に連れて行けば。そんなありきたりな対処方法がロニの頭の中を反芻したが、けれど今のジューダスの様子
は、そういう、ロニが知っているただの飲み過ぎの状態とは明らかに異なる別の何かがあるようで、かすかに漏れた、どこか鼻に掛かったような声は先程のロニ
のある連想を助長させた。
「お前…。」
ジューダスの身体を支えようと、彼の肩に触れると、その肌が不自然に熱くなっていることに気づいた。
「さわ、るな。…すぐに、元に戻るから。」
もう装うこともできないほど、声は不自然に上ずり、通常時のものではないことがはっきりと分かった。
先程の嫌な予感が確信に変わりつつある。ジューダスのこの様子からすると、もう、疑いようも無かった。
これは薬物だ。
「いいから…、放っておいてくれ。」
そう言って、苦しげにうずくまって黙り込んだジューダスは、唇を噛み締めたきり、もう何を言っても答えなくなった。
ロニはうずくまったジューダスの傍にかがみこんでみたが、もう、どうすればいいのかも分からなくなった。
浅い呼吸を繰り返し、ひどく苦しそうに、ふるえる指で襟元のあたりをしきりとくつろげようとしている。
暗がりだというのに、不自然に上気した肌に浮いた汗すら見えそうだった。
せめて酒で濡れた髪くらい拭いてやりたかったが、触られることがひどく苦痛そうな今の状態では、それすらできなかった。
薬物。
つらそうに眉を顰めて耐える横顔が痛々しかった。
「なあ、具合悪いんだろ。」
再度声をかけてはみたものの、ジューダスはしきりと首を振るだけで、もう何も答える気力もないようだった。
どうにかしてやりたかったが、もう、話し掛けられることすらジューダスには苦痛のようで、ロニは口を閉ざすしかなかった。
電気をつけることも、タオルをもってくることも出来なくなったロニは、仕方なしに「何かあったらすぐに言えよ。」と、それだけ言って、再び自分のベッド
にもぐりこんだ。
しかし、隣のベッドで苦しそうに浅い呼吸をくりかえすジューダスのことを考えれば、到底、今夜は眠れそうに無かった。
外では突風が吹き荒れ、その度に建物全体が小さく揺れるかのようだった。
風はガラス窓をガタガタと鳴らし、吹き付けた雪が窓ガラス全体に氷の被膜を作っている。
強さを増した雪は、ここに自分たちを閉じ込めるかのような錯覚を与えてくる。
ロニは暗がりの中で隣のベッドに横たわるジューダスの背を見つめた。
ジューダスは絶対に自分からあんな無茶な飲み方はしない。ならば一体、誰がまるで浴びせかけるようにして酒を飲ませたのだろうか。
それにあの身体の異変。薬物。
ロニとて鈍感ではない。
少し考えれば、このハイデルベルグ城に滞在していて、ジューダスに対して、こんなことを出来る人物は一人しか思い浮かばない。
ジューダスが『リオン・マグナス』であったときの旧知の仲であり、四英雄の一人、ウッドロウ・ケルヴィン…。
ジューダスの正体は『リオン・マグナス』。
そして歴史の中にその悪名を刻む『リオン・マグナス』は、かつて天才として名を馳せたソーディアン・マスターであり、栄華を誇ったセインガルドの客員剣
士であり、大企業総帥の実子だったその出自は、まぎれもなく特権階級に属していた。現在、ファンダリア国王であるウッドロウと個人的な付き合いがあったと
してもおかしくはない。
ジューダスは自分の過去を語ろうとはしないが、自分の到底知りえないところでの仲なのかもしれない。
おそらくジューダスの正体にも、気付いたのだろう。
でもいつから。
ここまで考えを及ぼせば、確かにジューダスを見るウッドロウの目は、カイルや自分や他の仲間を見るそれとはあきらかに異質であったことに思い至る。
そしてそれはかなり早い段階からだったように思えてくる。
初めてハイデルベルグ城に来たとき、ジューダスはわざと謁見の席を外していたが、あのあとエルレイン達の襲撃を受けて、ジューダスもあの場に現われない
わけには行かなくなった。気づいたとすれば、おそらくあのときか。
恋人だったのだろうか。
こう考えると、さきほどのジューダスの様子に重ねて、妙に生々しい色がなすりつけられる。
ロニはその考えを否定するように首を振った。
仮にそうだったとしても、ベッドに横たわるジューダスを見れば、あまり好ましい扱われ方がされていないことがひと目でわかる。
これではまるで一方的に弄ばれているかのような。
そこまで考えて、ロニは慄然とした。
なんでこんなことを。ジューダスはもう『リオン』ではない。『リオン・マグナス』は18年前に四英雄と海底の洞窟で戦い、死んだ人物であって、ここに居
るのは『ジューダス』だ。
そう納得したからこそ、自分はジューダスを認め、仲間として、友として、おそらく自分でも驚くくらいに強い信頼を寄せることができたのだ。
それが今になって、旧知である、あるいはかつて恋人だった、そんな理由でジューダスを『リオン』に戻して束縛する権利はない、そうロニは思うのだった。
なにか他に理由があるに違いない。
しかし決定的な現場に出くわした今日ですらジューダスからは何も聞き出せない。
もともと自分を押さえ込み、体裁を整えて行動することに長けているジューダスである。
心の動きも態度も、その表情ですら、昼間の彼からは今のジューダスを想像することすらできないだろう。
おそらくジューダスは、明日になれば今夜のことなど無かったかのように、こっちの言葉を全て無視するだろう。
待っていても、他の仲間の前でぼろを出すジューダスではなかった。
それならば、ウッドロウの方に掛け合わなくてはならない。会ってみよう。とロニは思った。
日中、王は多忙であるため、会うには正式な謁見の手続きを済ませ、かなりの順番待ちを覚悟しなければならない。
だがどうせこの悪天候ではこの城から出ることもできないのだ。
謁見の間では常に周囲の目があり、どこまでプライベートな話をできるかは疑問だが、このまま手をこまねいているわけにはいかない。
このハイデルベルグ城に滞在していた数日の間、今日見たことと同じようなことが繰り返されていたのだとしたら、黙っているわけにはいかない。
何もしないよりは遥かにマシだ。
できるだけ感情的にならないようにして、言葉を選びながらでも、理由をきくことくらいはできるだろう。
だいたい、ウッドロウとジューダスが過去恋人同士だったのであれ、現在においてもそれが続いているのであれ、ウッドロウからジューダスをどうかしようと
言い争いに行くのではない。
それに互いにいい年の大人なのだから、会った途端、険悪になったり、火花を散らせるようなことにはならないだろう。
誰にも知らせず、自分だけで、決着をつけよう。
ロニはここまで考えをめぐらし、無理に目を閉じた。
To be continued…
2004 0221 RUI TSUKADA
『昔の恋人』と『今の仲間』。
ウッドロウは『リオン』を愛し、ロニは『ジューダス』を想う(微妙なとこだが)。
ウッドロウは『リオン』の崇拝者であり、リオンへ向ける愛や執着は、18年前の痛恨の記憶の言い訳であり、自らの失った過去への憧憬や未練である。
ロニが『ジューダス』を想う心は、自分の過去と絡めた譲歩であり強い仲間意識への昇華であり、おそらく恋である。
今回の寝不足男:ロニとジューダス(3時近くまでやってたなら髭も)。
さて次回。
『束縛的記憶(3)』
髭王登場。コトの発端を少々語ります。
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