『運命』 〜王子と剣士(9)〜




 シャルティエを抜き払い、それを上段に構え、リオンは全神経を集中して晶術の呪文を唱えた。
 詠唱が進むに従い、シャルティエのコア・クリスタルが次第に光を帯び、ソーディアンとマスターの精神エネルギーが融合し、リオンはトランス状態に入る。
 強力な呪文のための長い詠唱だった。
 極限まで高められた集中の中、リオンの脳の中の、冴えた一点において、自分がこれまでに歩んできた過去が去来した。
 幼いころから考え、願い、努力してきたこと。ヒューゴとの関係が変わったときのこと。
 脅迫と表裏を成した命令の下にこなしてきた数々の任務。王宮の客員剣士であり、同時にスパイだった自分。
 他人を欺き、騙し、陥れ、殺すことは、それこそ呼吸をすることと同じくらいに生きていくために必要な術だった。
 けれど今、自分がこうしているということ。この行動に自分を突き動かしたものは何だ。
 例えば、これは愛に端を発した行為なのだろうか。
 ウッドロウは、自分を愛したり愛されたりすることを知らずに生きてきた人間であると、そう言っていた。
 偽名を受け入れ、親子の絆を捨て、たった一人の肉親であるヒューゴに息子として愛し愛されることなど、とうに諦めたことであると、そう自分に言い聞かせ て生きてきた。
 信頼は裏切られるものであると、周囲の人間は利用する道具であるのだと、そう繰り返し言われ続けて生きてきた。
 眼前に広がるのは、猜疑や警戒や虚勢、そして、他者に対する侮蔑、そんなものが混沌として存在する闇しかないのだと。
 そしてそんな現実に身を置きながら、それでもどこか、自らをその現実から突き放しながら生きてきた。
 なぜなら、それを認めてしまえば、所詮自分は誰の助けも望めぬ世界にたった一人置き去りにされた哀れな子供だからだ。
 そしてその代わりに、己の中に創り上げた偽名に象徴されるあたかも矜持に似た形をしたものが、その過酷な現実を支え続けたのだ。
 本質からひたすら目を背け、息を潜めるようにして心を殺し、いつのまにか冷酷な己を本質として錯覚させた。
 そして、そうすることによって、やっと生き続けてこれたのだ。
 けれど、自分は人を愛することができたのであろうか。
 短い間ではあったが、ウッドロウの温もりに触れ、腕に抱かれ、悦楽に身を委ね、愛の言葉を受け入れた。
 惹かれていた。初めて口にした『愛』という言葉に偽りは無かった。
 それはどこか、父親との寒々とした関係の代償を求めていたような気もしなくもない。
 では、自分は、父、ヒューゴとの関係を修復したいのか。
 それは何故か。肉親であることに対する本能的な愛なのか。
 様々な感情、そして混乱する精神が無秩序にリオンの中で交錯した。
 リオンは首を振った。
 迷うまい。
 今、まさに自分に突きつけられている問題。それは自分の思いに、この決心に、この行動に、どんな価値が伴っているかなのだ。
 目の前に横たわる、このソーディアン・ベルセリオス。
 これこそが、失った過去の元凶だった。
 これに支配され、ときおりの狂気の発作に苛まれるヒューゴと、そしてこの自分のこの行動、初めて愛というものの意味を知り、それを自ら守ろうと足掻いた 自分とは、確かに繋がったのだという真実を今、受け止めることができたのだ。
 自分は生涯、血の繋がりから離れられない。
 その思いはこれまでどれほど呪わしかったことか。
 でも今は、それすらひどく愛おしい。
 ベルセリオス。
 コアを破壊し、ヒューゴへの精神憑依が無くなれば、全てが変わる。変えることができるのだ。
 この現状を変えればきっと何かが見えてくる。
 その先にあるもの、それが何なのか、そして自分はそのとき何を成すべきなのかは、そのとき考えればよい。
 けれど、そんな自分の知らないヒューゴになったのなら、大企業総帥や国王相談役のような、世界経済、そして政治の第一人者としての資質を失うことになる のだろう。
 実力者ヒューゴ・ジルクリフトは居なくなる。
 財界のトップに君臨する男の失墜は、間違いなくこの世界に大きな影響を与えることになるだろう。
 そして自分たちは、このダリルシェイドにおいて貴族階級の人間でなくなり、自分も、やがてはセインガルド国近衛軍の将官としての地位を失うことになるの かもしれない。
 ああ、けれどそれが何だと言うのだろう。
 これさえ、…これさえ成し遂げれば、凍りつくような呪わしい境遇から解放されるのだ。
 これまで必死に目を逸らし続け、否定し続けながらも、確かに自分が欲して、欲して、決して手に入れることのできなかったものを手に入れることができるの だ。
 それが真実の価値というものだ。
 シャルティエのコアの輝きが、いよいよ最高潮に達しつつある。
 リオンはシャルティエを振り上げ、足を踏みしめた。
 人を欺くことを常とし、殺戮にさえ何の呵責も感じなくなった呪わしいこの自分を今、捨て去る。
 もう二度と、心を伴わない関係を強いられたりすることがなくなる。
 もう二度と自分の境遇を呪い、肉親である人間を憎んだりしない。
 …頼む…!。
 リオンは、この瞬間、真実神に祈った。その高揚、それは歓喜と寸分違わなかった。
 踏みしめた足に、強力な術を放ったときの反動に備えて力を込めた。
 …どうか…!。
 リオンが最後の呪文を口にしようとしたときである。
 突然、部屋の扉が乱暴に開かれる音がした。
 扉の開く音に、リオンはぎくりと固まり、詠唱を中断して、その場で凍りついた。
「…………。」
 リオンは、視線だけを部屋の扉の方に走らせた。
 前方に広がる真っ暗な闇の中に、ユラユラと、ランプの淡い光が揺れているのが見える。
 続いて、重く、それでいてひどく忍びやかな足音がゆっくりと近づいてきた。
 リオンは呼吸すら止めて、思わずベッドの天蓋の柱の影に身を隠すことを考えた。
 無駄なことだとは分ってはいたが、そうせずにはいられなかった。
「リオン。」
 ヒューゴの声だった。
 ヒヤリと、冷たい氷の刃を心臓にあてがわれたような、低く、昏く沈み込むような声だった。
 闇のせいで姿は見えない。けれど、その確かな接近の気配に、リオンの全身に冷たい汗が滲んできた。
 何で…。
 こう思わずにはいられなかった。
 ヒューゴはオベロン社の事業の視察でダリルシェイドを離れ、少なくとも明日までは戻らないということだったのに。
 そして総帥ヒューゴのスケジュールは、オベロン社の中でも総帥直属の役にある自分が正しく把握しているはずなのに。
 けれど、今、事業がどうだとか、そういう現実としての人間の営みとは、かけ離れたところに、自分と、このヒューゴが対峙しているのだということを、この 恐ろしい暗闇の中で思い知った。
 そしてこの不可解で受け入れ難い事象すらも、今、まぎれもない現実のものとして、目前に突きつけられていた。
 足音が近づいてくる。
「…さっきから、どうも騒々しいと思ったら、…どういうことだ、リオン?。私は他人の部屋に勝手に入るような人間には、教育しなかったと思うがな。」
 その言葉を聞いたとき、既にヒューゴはリオンの目の前に立っていた。
 リオンはヒューゴの顔を見上げた。暗闇の中でもはっきりとわかる、凶悪さを露呈した、冷たく、侮蔑しきったようなその表情。
 けれど、どこか虚ろで、現実感が希薄なその視線。
 凍るような戦慄がリオンの背筋を走りぬけた。
 狂気、絶対悪。そんな単語ばかりが脳の中に浮かんできた。
 これと同じ表情を見たことがあった。長く考えるまでもなく、すぐに思い出せた。
 ときおりの発作でひどい頭痛に苛まれ、何者かにとり憑かれたかのように、のたうちまわって苦しむヒューゴを幾度か見た。
 その発作の波が退けば、ヒューゴは表面上、平静を取り戻すが、そのときの憔悴しきったヒューゴの顔は、ひどく酷薄で、残忍さばかりが露呈していた。
 まさにそのときの顔が今、目の前に対峙しているヒューゴと重なった。
「…。」
 リオンは無言のまま、ゆっくりと後じさって眼前のヒューゴと距離を取ろうとした。
 恐怖のために吐く息すら苦しくなり、膝が震え、無理に踏みしめた脚に力が入らなくなってきた。
 すると、ヒューゴが、つ、と右手をリオンの目の前に突き出した。
 白い小さな封筒が握られている。
 ヒューゴはそれをリオンに見せつけるようにして、片手でクシャリと潰した。
「…勝手なことをされては困るな、リオン。」
 そう言い、ヒューゴは、握りつぶした封筒を背後の闇の中に放った。
 暗く広い部屋の床のどこかに、つぶされた紙が跳ねる乾いた音した。
 ヒューゴは白い紙の塊が闇に吸い込まれる様を、満足げに見届けると、続いて、リオンとヒューゴを隔てる間の床の上に置かれ、蒼い燐光を刃先から発してい るソーディアン・ベルセリオスの方に視線を移した。
 それは相変わらず不吉な光を不規則なリズムを刻んでゆらめかせており、見る者の思考と感覚を奪っていくかのようであった。
 一瞬強く光を発したかと思うと、急にかぼそくなったりする。
 その不規則な瞬きに、うっかり気を呑まれ、身体ごと引き込まれそうになる。
 ヒューゴは、ふ、と口元に陰気な、それでいてどこか陶然とした笑みを浮かべると、その視線の方向をゆっくりとベルセリオスからリオンに戻した。
「…何か私に言うことはないのか、リオン。お前はファンダリアのあの男に、いらぬことを吹き込もうとし、しかも勝手に私の部屋に入って何をするつもりだっ たのだ。…説明しろ。リオン。説明次第では、只で済ます訳にはいかんな。」
 リオンは、耳元で心臓の音が打ちつけるように鳴るのを聞いた。
 極度の緊張のため吐き気がし、ますますはげしく、冷たい汗がふき出してきた。
「お前は、…ヒュー、いや、父上じゃないな!。お前は一体、誰なんだ!。」
 リオンは、恐怖を振り切るようにして叫んだ。
 ヒューゴは、その問いかけには答えず、無言のまま、持っていたランプの炎を吹き消した。
 部屋は完全に闇に閉じ込められた。そして二人を隔てる重苦しい沈黙の中、リオンの恐怖は頂点に達した。
 自分のはげしい息遣いが聞こえ、もう、全身に水を浴びたように冷や汗をかいていた。
 カシャン、という乾いた音をたてて、ランプが毛足の長い絨毯の床に落ちた。
 そして、一瞬の猛烈な圧迫の気配の後、ヒューゴの顔の輪郭を闇の中ではっきりと認め、次の瞬間、リオンは胸倉をものすごい力で掴み上げられ、傍らの寝台 の上に投げ込まれた。
「…ッ!。」
 まるで物のように放り込まれ、リオンの身体は不自然な体勢で寝台の上で跳ね上がった。
 胸部に受けた衝撃のため、一瞬、呼吸が止まった。
 体勢を整える間も与えられず、眼前の闇の中、巨大な不可解な獣のような姿をして、男がリオンの身体の上に圧し掛かってきた。
 そして、首にまるで鋼の箍のような指が巻きついてきて、そのまま掴み潰すかのような力で咽を圧迫された。
「…ぁ。」
 リオンは息を詰まらせ、喘いだ。
 完全に気管を封じられ、すぐに視界に赤い紗がかかり、あまりにもリアルな絶息の恐怖が身のうちを閃光のように貫いた。
 リオンは、頸に巻きついた男の両手に爪を立てて、もはや到底意味をなさない抵抗を試みた。
 殺される…。
 リオンは自分の死を明確に覚悟した。
 頚部を絞められ、苦悶し、呻き、血反吐をはきながら、全身を痙攣させてもがき苦しむ自分。 そしてその痙攣もやがておとろえ、力を失い、やがてがっくり と息絶える、その自分を見下ろすヒューゴの顔。そんなものが真に、間近の現実として突き付けられていた。
 リオンの口内で舌が痙攣し、顔に不自然な赤みが差し、その意識が混濁しはじめたとき、ヒューゴは突然両手をリオンの頸から外した。
 急激に気管に入り込んだ酸素にむせ、リオンは激しく咳き込んだ。
 息を詰まらせ、喉の奥がひっきりなしに、ぜいぜいと鳴った。
 苦しさと恐怖のため、目尻に涙が浮かんできたが、頬を伝うのは涙などではなく、冷や汗ばかりだった。
 リオンはそれでも必死になってその乱れた呼吸を抑え込み、寝台の上で後じさり、闇の中、懸命の覚悟をもって、目の前の男を睨みつけた。
「…貴様は。…貴様、誰だ。一体誰なんだ。正体を現せ、お前がベルセリオスのコアの中にいる者だということは分っているんだ!。」
 リオンは、恐怖に喘ぐようにしてそう叫んだ。
「……。」
 リオンの言葉に沈黙したヒューゴの表情は見えない。
 けれどその眼前の男からは、獰猛でひどく純度の高い悪意だけが伝わってくる。
「…まったく小賢しいことだ。…せっかくここまで目をかけてきてやったというのに。」
「!。」
 目の前の男はそういうなり、リオンの方に腕を伸ばし、その足首を掴むと、凶暴な力でベッドの中央に引きずり戻した。
 男は、必死になってシーツを掴んで抵抗しようとするリオンの上に乗り上げ、続いて、その服の襟首あたりを掴むと、到底人とは思えぬ力で、縦に引き裂い た。
「…ひ…。」
 肌を露わにされたことよりも何よりも、リオンは、その圧倒的な力に恐怖した。
「その恐怖に染まった顔、本当に殺すのは惜しいよ、リオン・マグナス。」
「…!、き、さま。…一体…。」
 震える唇から声を懸命に発しようとするリオンを男は嘲笑う。
 すると闇の中、眼前の男の顔を見据えようとするリオンの上の空間で、男が右手を振り上げた気配がした。
 それは風を斬るような音を立てて振り下ろされ、次の瞬間、リオンの頬を重いものが強打した。
「…ッ!。」
 ただ一回、頬を張られただけで、口の中に血の味が広がった。
 男はさらにリオンの頬をたて続けに数回殴り、更に腹部に重い拳を打ち込んだ。
「うぐッ…。」
 リオンの口から、苦痛の呻きが漏れた。
 身体の上に乗り上げられているので腹部をかばうこともできない。
 男は、声もたてられず殴られるまま苦しげに身もがくリオンを意にも介することなく、唇に冷笑を浮かべ、続けざまにリオンを殴り、制圧した。
 闇の中で頬を殴るときの布の裂けるような音に、腹部の肉を鳴らす重い音が混ざりこみ、それにリオンの呻き声と乱れた息の音が続いた。
 脳が揺すぶられて視界が赤く濁った。
 たて続けに打ち込まれる腹の重い圧迫に胃の中のものが逆流してきた。
 リオンは次第にかき消されそうになる意識の端で、それでも懸命に眼前の男の姿を捉えた。
 一瞬見えたその狂気に染まった表情。
 狂乱の中に冷たい絶望の色がどす黒くぬり伸ばされた。
 ふいに、男がその振り下ろす手を止めた。
 叩きのめされた身体の激痛に、もはや身動きすらできなくなったリオンを、男は上気したような顔で、見下ろしていた。
「…取引しようじゃないか、リオン・マグナス。…もう一度、やりなおす機会を与えてやる。…そうすれば、命だけは助けてやるよ。」
「…。」
 リオンは乱れた前髪の隙間から、眼前の男を見た。
 そんなリオンを見下ろし、男はさも愉しげ、といったふうに、喉を鳴らした。
「言っておくがな、リオン・マグナス。余計な手間はかけさせるな。ここでいくら逆らっても、私を怒らせればお前が痛い目に遭うだけのことなんだから な。お前には、この場でこのまま殴り殺されるか、私に従い続けるか、その二種類の選択肢しかないんだ。」
 男が言った。声音はヒューゴだったが、口調が違う。
 まるっきりの別人と会話しているのだということがはっきりとわかった。
「さあ、選べ。」
 男が唇で嘲った。
「……。」
 リオンは、ぼろぼろに痛めつけられた身体をわずかに捩じらせ、仰向けの姿勢のまま、その眼をすい、と眇め、侮蔑の表情を作ってやった。
「…選べって、何を。」
 リオンは言い放った。
 ことさらに男を刺激することの愚かさはわかっているつもりだった。
 圧倒的な力を前にして、抵抗すら許されない状況であるというのに、まだこんな言葉が出ることが不思議だった。
 だが、強がりでも言わなければ耐えられなかった。眼前の男に対する憎悪が吐かせた言葉だった。
 その紫の瞳に孕んだ光の強烈さに、男はまんざらでもなく「…ほう、」と言って、リオンの髪を掴み、上体を無理に引き起こした。
 至近距離で目が合う。
「ゲス野郎、…誰がお前なんかに。」
 リオンは散々殴られ、端に血のこびり付いた唇を無理に動かしてそう言い、眼前の男に血の混ざった唾を吐きかけた。
 一瞬の沈黙後、獰猛な勢いをもって怒りの気配が水位を上げたのが分かった。
 リオンは前髪を乱暴に掴まれ、寝台の上に叩きつけられ、続いて無言のまま、容赦のない力で拳で側頭部を殴られた。
 骨が軋むにぶい音と、目の前が真っ赤になるような激痛にリオンは脳まで揺さぶられ、昏倒し、気を失った。
 男は、ぐったりと力を失ったリオンから、引き裂かれて身体に纏わり付くように残っていた服を毟るようにして剥ぎ取った。
 肌を覆うものを全て取り去り、両の脚を掴んで引き寄せ、内腿を掌でぐっと押し開き、その身体の間に入ったとき、リオンの意識が浮上した。
「リオン・マグナス。」
 その声にリオンは昏倒から現実に引き戻され、未だ朦朧とする視界の中、懸命に目を眇めて男を見据えようとした。
「…どけ、ゲス野郎。」
「違うな。『どうか命ばかりは助けて下さい。』と言うんだ。」
「…誰がッ。」
 リオンは吐き捨てた。
「言うんだ。…まあ、これから言うことになるだろうがな。」
 そう言って男はゆっくりとした動作でリオンの脚の間で自分の服の前をくつろげると、露わにした自身をリオンのそこに押し付けた。
「…ッ!。…やめろッ!、殺せ!。」
 敏感な部分に押し当てられたその凶暴な肉の温度差に、恐怖し、叫び、リオンは懸命に暴れた。
 男は、リオンの両の手首を掴み、寝台の上に押さえつけ、そのまま体重をかけた。
 リオンがその重みで喘いだ。
「い、嫌だッ、やめろ!。」
 叫びながら身を捩り懸命に抵抗した。
 男はもはや肌を全て晒し、脚の間に入られたままの姿勢でもがくリオンを見下ろし、眺めた。その身体は、剣を使いこなす者としては考えがたいほど細身で、 胸も薄い。
 男はリオンの上に覆い被さり、顔を寄せ、腫れて血がこびりついた唇に舌を這わせた。
 血の混ざった唾液がリオンの唇を濡らした。
 ゆるゆると舌が這う。けれどリオンの噛み締められていた唇から、男への、ありったけの憎悪を込めた悪態が吐かれたのを聞いたとき、男は、押し付けていた 自身をリオンの身体の中にめり込ませた。
「うわあぁぁッ!」
 慣らしもしない乾いた身体に、捻じ込むようにして異物が突き入れられ、その激痛にリオンは絶叫に近い悲鳴を上げた。
 抵抗の強い入り口を割ったところで男は一旦、身体を止め、それからもう一度、今度は最奥まで一気に突き上げた。
「――――ッ!。」
 恐怖と激痛のため、リオンは、酷く脚を開かれたまま、がくがくと身を震わせた。
「痛いか。…腰を上げて力を抜けば、少しは楽になるかもしれんぞ。いつもみたいになあ。」
 クク、と嘲う男をリオンは、震えながらも必死に睨みつけた。
 まだこんな顔をするのかと男は喜び、狂気じみた叫びとも快感の呻きともつかぬ声を上げながら乱暴に揺すり上げた。
「……あッ、…うああッ!。」
 リオンの身体が無残に突き上げてくる男の動きに従い、ベッドの上で跳ね上がった。
 恐怖と苦痛に声帯が強張りきって、もはや苦痛の声すらも、次第に押しつぶされたような喘ぎにとってかわった。
 それでも苦痛に耐えるためにシーツを限界まで強く握り、かたく瞼を閉じたリオンを、男は愉快そうに見下ろし、前髪を掴んで正面を向かせた。
「少しだけ、教えてやるよ。…リオン・マグナス。」
「……。」
 リオンは、薄く目を開き、自分を蹂躙している男を見上げた。
 何時の間にか、男の手には、ソーディアン・ベルセリオスが握られていた。
「復讐だよ。」
「…。」
「…ソーディアン・マスターと、この地上に住む、すべての人間どもに対する…な。」
 そう言って男はその、ベルセリオスを自らの手首にあてがい、深々と切り裂いた。途端に、傷口からパッと血がしぶき、瞬く間に男の腕は血まみれになった。
 男は、こともなげにその腕を、リオンの上に掲げ、血をしたたり落とした。
「…ぁ。」
 闇のせいか、真っ黒な液体がみるみるリオンの身体を染める。
 男の口から、呪詛のような不可解な言葉が次々と溢れ出し、それに伴い、血で染められた肌から、次第に体温が奪われていくのがわかった。
「何…。」
 何をしたんだ、そう言いたかったが、もはや身体の中枢から毒が浸食するかのように広がってきた異様な痺れは、既に顔面にまで到達しており、意味をなす言 葉を繋ぐこともできなくなっていた。
 けれど霞みゆく視界の中、はっきりと見えたのだ。
 自分の上に覆い被さり、蹂躙したまま、闇の禁呪を唱える男の顔。
 長い白髪に近いような金髪に覆われた、蝋細工のように青褪めた肌を。
 視界の霞む速度はリオンの意志を凌いだ。身体の感覚がなくなり、ついには思考すらもおぼつかなくなってきた。
「…殺しはしない。…『リオン・マグナス』。再教育だ。…目覚めたときには、お前は、完全に私の下僕となっている。…だが安心しろ、あのファンダリアの男 とも、じきに再会させてやるよ。…あの男もまた、我がシナリオの一部だ…。」
 その声を虚ろに聞きながら、歪んだ視界の中で、刀身に蒼白い光を纏ったソーディアン・ベルセリオスがリオンの鼻先に突きつけられるのが分った。
 全てに対する憎しみを露わにしたような男の顔が覆いかぶさり、あたかも鏡が割れるときのように、リオンの視界は粉々に飛び散った。












2004 0425  RUI TSUKADA