『決意』 〜王子と剣士(8)〜 |
親愛なるウッドロウ。 本来ならば、直接会って話したいところなのだが、ここのところ王宮の方の仕事が重なり、遅くまで帰れない日々が続いている。 それにお前の立場も考えねばならない。 ダリルシェイドとハイデルベルグは遠く、僕達は簡単に会うこともできない。 結局、手紙という手段でしか、お前に連絡を取ることが出来ないことを悔しく思う。 僕がこれから成そうとしていること、それを今、お前に逐一話すことはできない。 けれど、もしもそれを成しえたのならば、今度こそ、お前に会って、僕の全てを話すことができるようになるのだと思う。 こんな中途半端にしか、お前に話すことができないのなら、いっそ、こんな手紙など書かねばよい、とも思うのだが、それでも僕はお前に手紙 を書いている。書かずにはいられなかった。 お前にとっては、迷惑なことかもしれない。つまらない話だ。 それでも僕は、お前がこの手紙を最後まで読み通すことを祈る。 お前と初めて出会ったのは、お前の婚約披露パーティのときだったな。 僕がハイデルベルグ城のテラスに居たときに、お前はパーティの主役でありながら、大広間を抜け出し、テラスに出てきて、そこで初めて僕と会話を交わし た。 あのときの僕との出会いが、まるっきりの偶然だったと、お前はそう思っているだろうが、それは違うんだ。 それから、お前は僕のことをまるでヒューゴの愛人かのように思っているな。 それは半分は当たっており、半分は外れている。 僕はヒューゴの息子だ。養子などではない。血の繋がった実の親子だ。 これだけでお前はおそらくこれまでに覚えのないような不快感を味わうだろう。 けれど僕はもっと不愉快な話をしなければならない。 僕がお前に近づいたのは、ヒューゴの命令だ。そうだ。僕はお前の政略結婚を破談にし、ファンダリアとアクアヴェイルの同盟関係を決裂させるために送られ たセインガルドのスパイだったというわけだ。 お前に近づき、誘惑して罠にかけ、お前の醜聞を両国に流してティベリウスの怒りを煽る。 これが僕の請け負った任務だった。 そして険悪になった両国の間に『仲裁』の名のもとに入り込んだセインガルドによって、同盟を決裂させ、ファンダリアを国際的に孤立させる。 これが陰謀の概要で、僕はこれに加担した。 このことについて、弁解するつもりはない。 騙していて済まなかった。それしか言えない。 以前、僕が言ったように、僕はヒューゴの所有物だ。 お前の人生が国家のものであるように、僕の人生もまた、僕個人のものではないんだ。 お前が国の大事を第一に考えねばならないのと同じに、僕にとってヒューゴの命令は絶対なんだ。 それに、お前に指摘されたように、僕はヒューゴのセックスの道具だ。 お前にとっては不快極まりない話だろうが、僕は、そうしなければ生きていけなかった。 軽蔑してくれてかまわない。 分かるだろうか、僕は私情で行動することを一切禁じられているし、その原因となるものをヒューゴは叩き潰してきた。 今までもそうだったし、これからもそうだ。 僕は命令されれば、お前には到底想像もつかないような、おぞましい任務でもこなしてきた。 唾棄するような親子の関係に、卑劣で残虐極まりない数々の任務。 いっそ僕の精神など、粉々に破壊されてしまえばいい。そう何度願ったことだろう。 こんな、人を愛する資格などない、汚れきった身の上であるくせに、僕の中のお前の面影は、日ごとに膨らむばかりだ。 こんなことを今更言っても、どうしようもないということは分っている。 僕はまるっきりこの言葉と別のことを、ずっとし続けていたのだからな。 我ながら哀れだと思う。呆れるばかりだ。 けれど僕はお前と会うと、お前と会話をすると、どういうわけか、自分の全てを話したくなる。 僕がとうの昔に捨てたはずのものが惜しくなってくる。 こんな僕を何のわだかまりもなく受け入れたお前が不思議でならない。 お前のその臆面のなさ、天真爛漫さが僕の、潜在的にある他人に対する甘えのようなものを、引き出したのかもしれない。 お前は僕をヒューゴから奪いたい、そう言っていたな。 いかにもお前らしい、ストレートな言い方だった。 けれど僕は、そう言ったお前が怖かった。お前のその、一途さが怖かったんだ。 今の僕を支配している、あのあまりにも巨大な力をもつヒューゴを向こうに回して生きていけたものなど、この世に存在しない。僕はその恐ろしさを身をもっ て知っている。 お前は何も知らないくせに。今になってそう言うつもりはない。 たしかにお前はヒューゴを甘く見ていると思う。けれど、僕は、お前の中にも、どこかヒューゴにも負けない、お前自身の世界ともいうべき、僕には到底望む べくも無い力が備わっているのだと思うからだ。 それからお前は、僕にファンダリアに来い、とも言っていたな。 ファンダリア軍に仕官して、ハイデルベルグの住人になればよいのだと。 僕に騙されていたからだとは言え、僕にはもったいない話だ。 けれど僕はお前のところに行くことはできない。僕はどうしてもヒューゴから離れられないんだ。お前には到底不可解だとは思う。 どうしてなのか、僕にもはっきりとは分からない。 ヒューゴは僕を血の繋がった息子として扱ったことは無いし、それどころか、ベッドの中で抱かれているときですら、僕はヒューゴに愛されているという実感 をもったことが無い。 ヒューゴは徹底的に僕を、命令に忠実な操り人形か、使い捨ての道具としてしか見ていないと言う訳だ。 何もかも捨てて、ダリルシェイドから逃げ出して、野盗の一味にでもなった方が、どれだけマシかと思ったことも一度や二度じゃないというのに。 けれどおそらくそれが親子というものなのだと思う。 そうとでも思わねばこの気持ちに、言葉で整理をつけることはできない。 ヒューゴは精神を病んでいるんだ。 ときおり起こる発作は、極度の躁鬱であるとか、そんな生易しいものではなかった。 おそらく狂人だと言ってもいい。 あの瞳の奥の狂気を見るとき、僕はいつも言い知れぬ恐怖に縛り付けられる。 けれど僕は、どうしてもヒューゴを完全には憎むことが出来ない。 ヒューゴを見ていると、ヒューゴもまた、到底抗えない巨大な力に支配されているように感じるんだ。 時々、ヒューゴの中に、まるで自分自身を見ているような思いにすらかられることがある。 だから、ヒューゴを狂気の淵から救い出し、ヒューゴを狂気に追いやった原因さえ取り除ければ、僕は、…僕達は、いわゆる普通の親子に戻れるかもしれない んだ。 そのために僕は、今夜、ある行動を取ろうと思う。 少々、危険かもしれないが心配しないでくれ。 僕は一人じゃない。 僕にはソーディアン・シャルティエがいるし、それにもしかしたら、お前もいるかもしれない。 中途半端な、お前にとっては不愉快な話を長々と書いてしまった。 僕の行動が成功したら、僕はお前に会って、今度こそ、きちんと謝りたいと、そう願っている。 リオン・マグナス
## 文面を書き終えると、リオンは、最後に自分のサインを書き入れ、手紙を二つに折りたたみ、シンプルな無地の白の封筒に入れ、丁寧に封をした。 「愛している。」 リオンはそう呟いた。 そしてその言葉を口にした途端、それは絶対無比の真実に変わるかのようだった。 その言葉を反芻してみて、「愛」という言葉をウッドロウに向けて言うのは、これが初めてであるということに気付き、やはり少しだけおかしくなった。 この手紙を今夜出しておけば、明日中には、ハイデルベルグに届くだろう。 『行動』を起こすのは今夜であるから、この手紙をウッドロウが読む頃には、全てが終わっている。 今まさに、これから先の数時間。きっと自分はやり遂げてみせる。 そう思ってリオンは、その手紙を上着の内ポケットに入れた。 「…さあ、行くぞ、シャル。」 シャルティエを取り、装備した。もう何も迷うことはない。 リオンは手早く明かりを消して、自室を出た。 ヒューゴはここ数日、オベロン社の事業の視察のため、ダリルシェイドを離れており、少なくとも、明日の昼までは屋敷に戻らないことになっている。 『行動』を起こすのなら、今夜がチャンスだった。 ヒューゴの私室は、リオンの部屋がある棟から離れた、屋敷の東南の棟の最上階である。 リオンがヒューゴの私室に行くのは、ヒューゴに呼ばれたときに限られていることを屋敷の者たちは知っている。 ヒューゴが屋敷を留守にしているにもかかわらず、東南の棟に向かうところを誰かに見られれば、異様に思われるかもしれない。 特に最近執事になったあの男とか、ヒューゴの息のかかっている者には姿を見られるわけにはいかない。 リオンは極力人目につかないルートを選んで、ヒューゴの私室のある棟へと向かった。 階下に下りて、別棟に通じる渡り廊下に行く前に、リオンは書記室に立ち寄り、発送待ちの郵便物の中に、先程書いたウッドロウへの手紙を混ぜ込ませた。 ほとんどがオベロン社の事業関連の取引相手への郵便物であるから、ハイデルベルグ行きの私信は少々目立つ感じがする。 リオンはなるべく目立たないようにするために、これと似た様な形状の封書が折り重なっている間に、小さな白い封筒を挟み込ませた。 早朝には来るであろう事務の者によって機械的に処理されればいい。そう思ってのことだった。 ヒューゴが留守にしているためか、ヒューゴの私室のある東南の棟には、警護の者が見当たらなかった。 長い廊下の明かりも極めて控えめに落とされており、足元を照らす程度の必要最低限のものしか灯いておらず、可能な限り姿を隠したい今のリオンにとっては 返って好都合だった。 リオンは、逸る内心を無理に押さえ込み、不測の事態に備えて周囲の気配に警戒しながら目的の部屋へと向かった。 ヒューゴの私室の重厚な扉の前に立つと、極力音を立てないように細心の注意を払ってそれを開け、隙間から身を滑り込ませるようにして室内に入った。 ヒューゴの私室は広く、今は厚手の暗色の遮光カーテンがテラス側全面に掛けられており、室内はほぼ、真っ暗だった。 カーテンの僅かな隙間から覗く屋敷の外の常夜灯の明かりは、まったく頼りには出来ず、室内を移動するにもかなりの注意が必要だった。 しかし、部屋の明かりをつければ、カーテンの隙間から、外部に明かりが漏れ、ここに人がいることを誰かに気づかれてしまうため、明かりは付けられない。 リオンは持ってきた小さな携帯のペンライトで自分の足元だけを照らすようにして、目的の場所へと向かった。 部屋の隅にある、天蓋のついた大きな寝台の、その奥にある飾り棚。 一度たりとも開けたところを見たこともないそれ。 その前に、リオンは立った。 そしてそれを見上げ、ガラス面を通して、『ソーディアン・ベルセリオス』と対峙したその瞬間、リオンは戦慄した。 ガラス面を通してもはっきりと分かる、その澱んだような禍々しい「気」。 闇色の刀身の鋭い刃先からは、どこか焔にも似た蒼白い燐光が発しており、そしてそれは一定のリズムを刻んでゆらめき、それがまるで目の前に立つものに、 語りかける不吉な言葉のように思えてくる。リオンは息を呑んだ。 「これか、…シャル。これがソーディアンの精神エネルギーなんだな。」 リオンは、飾り棚の取っ手に手を伸ばし、ゆっくりとそれを開いた。 この棚が開けられたところを見たことは無いのに、扉の開閉は随分と滑らかだった。 おそらく自分の知らないところでヒューゴはこの扉を開いているということなのだろう。 リオンは眼を見開いた。 間近に見るソーディアン・ベルセリオス。それは同じソーディアンでありながら、シャルティエとはまるっきりの別物だった。 こちらを圧倒するようなその禍々しいばかりの気配。 こんなものを本当に人間が扱えるのか。 リオンは思わず、シャルティエの柄を強く握リ締めていた。 「…間違いないですね、こんな精神エネルギーの波動、ぼくには覚えがありません。これは、ぼくの知っているハロルド・ベルセリオスの精神ではありませ ん。」 「…投射された人格とは違うということか?。」 「そうです。つまり1000年の間に、何者かがベルセリオスに投射されたコア・クリスタルの精神を上書きして、その、ベルセリオスの中に新たに宿った人格 が、ヒューゴにソーディアンを通して語りかけ、その精神を操ったいた、ということになります。」 「そんなことが…、じゃあ、シャル、お前にも可能なのか。お前がもし僕以外の者に強烈な精神エネルギーで語りかけ続ければ、その人間の精神を『シャルティ エ』で染めることができるのか?。」 「…不可能ではないと思います。ソーディアンの声はマスターのみが聞くことができますが、それはマスターがソーディアンから発せられる意思、すなわち精神 エネルギーを人間に理解可能な『言葉』に変換する能力をもっているからなんです。そしてそれは、ソーディアンの意思を理解すると同時に、支配に対する抗体 を作っていることなんです。つまり、マスターの資質をもたない人間にソーディアンから意図的に強烈な精神エネルギーを送り続ければ、理解が無いのですか ら、無意識下で一方的に意思を押し付けている形になります。…並みの人間がその強烈な意思を長期間に亘って浴び続ければ、おそらく、知らず知らずのうちに 精神そのものが侵食されていく、ってことになるのでしょうね。」 「…長期間に亘って?。」 「…そうです。ぼくが考えるに、人をそういう状態にするには、かなり時間がかかると思うんですよ。けど、ベルセリオスが日夜ヒューゴに精神エネルギーを送 り続けていたにせよ、ヒューゴの精神を侵食するために要した時間は随分と短期間です。…このケースは、どう考えても異常です。…まだ、何かあるのかもしれ ません。」 「…。」 リオンは、シャルティエの説明を頭の中で組み立てなおした。 1000年前のソーディアン誕生の際に投射されたオリジナルの人格とは異なる人格の宿ったベルセリオス。 マスターの資質を持たないものへの精神支配。 ただ、その支配のスピードがあまりにも速く、ヒューゴに送り続けられた精神エネルギーの強さが並大抵ではないこと。 そして、そこには何か、特定の『目的』めいたものを感じること。 けれど、その、ベルセリオスに宿った人格の目的が、『何』であるかについては、この時点では自分にも、シャルティエにも分かりそうもなかったし、今それ を考えている時間は無さそうだった。 そして、ベルセリオスに宿った人格の正体すらも分からない状態では、今夜中に何としても決着をつけねばならない以上、自分が取り得る手段は限られてい た。 「…よし分った。要するに、このコア・クリスタルを破壊して、その精神エネルギーの源を断ち切ってしまえば、いいんだな。」 簡潔に結論付けたマスターにシャルティエは慌てた。その強行手段が、ひどくリスクの高いものであるということは容易に想像できる。 「ちょっと、坊ちゃん、コア・クリスタルを破壊するって、…そんなに簡単なことではありませんよ。」 「…僕と、シャルの力を合わせても駄目か?。」 「難しいですね。コア・クリスタルが単に物理的に極めて硬度が高いというだけではないんです。」 「どういうことだ。」 「このベルセリオスは、もはや只の『物』ではありません。一個の生命体になってしまっているのだと思って下さい。」 人格が投射され、思考し晶術をあみ出せるとは言え、本来、ソーディアンは『物体』に過ぎない。 けれど今、リオンがまさに対峙している、『何者』かが宿ったベルセリオスは、もはやそれ一個で意志を持ち、目的をもって手段を講じることのできる『生命 体』なのだと。 そう言ってシャルティエはなおも続けた。 「ご存知のように、ソーディアンが発する晶術というのは、埋め込まれた人格の精神エネルギーがマスターの精神エネルギーと合わさり、さらに増幅されて、そ れが物理エネルギーに変換されたものです。こちらが、この、何者かが宿った状態のベルセリオスのコアに向かって直接晶術を発すれば、相手もそのエネルギー に反応して相応のものを送り返してくるでしょう。すなわちこっちが使った精神エネルギーと同程度の大きさの精神エネルギーが物理エネルギーに変換されて、 そのままこっちに返ってくるというわけです。こちらがコアを破壊するほどの強烈な晶術を撃ったら、どんなことになるか。…到底人間の身体が持ちこたえられ るはずがありません。」 脅すようにきっぱりと言うシャルティエの言葉に、けれどリオンは怯まなかった。 「…だが、やるしかないだろう。僕と、…父上のためだ。頼む、力を貸してくれ。シャル。」 シャルティエは揺るぎのない主人の言葉に小さくため息をついた。 リオンが目的をもって行動を決めてしまったら、絶対後へは退かないことは、分かりきっていたことだった。 「…分かりました。ぼくも全力を尽くします。…けど、坊ちゃんの身体が危なくなったら、すぐに晶術を止めますからね。」 リオンは一度頷き、飾り棚の中に両腕を伸ばしてソーディアン・ベルセリオスの柄を握り、それを取り出した。 その両腕にかかるずしりとした重量感だけではない。 その周囲に纏う空気が重く、暗く澱んでいる。 剣に慣れたリオンとて、その柄を握りこむと、使い手がその剣に御されてしまうような感覚があった。 リオンは、限りなく恐怖に近い興奮を無理に押さえ込むようにして、小さく細かい息を継ぎ、ベルセリオスを丁寧に床の上に置いた。 数歩下がって、緊張と隠しきれない興奮のために荒く乱れた呼吸を整え、そしてベルセリオスに向き合い、シャルティエを抜き払った。 リオンは眼を閉じて晶術詠唱のために精神を集中をさせた。 「…いくぞ!。シャル。」 そう言い、リオンはシャルティエを振り上げた。 |
2004 0408 RUI TSUKADA |
文面いっぱいに親愛の気持ちが込められた告白手紙には、 「ごめんね。お前のことは好きだけど、やっぱり僕はヒューゴ様の方がいいんだ。本当にごめんね。」 そう書いてありました。 王子は、その一途さ無謀さ、そして情熱的で分かりやすい愛情表現をもってリオンの心を開かせるのに成功したのかもしれません。 イイ線いきましたが、リオンは所詮、王子の手に届かないところにあったのだと思います。 リオンの重い運命がそうさせるのかもしれないけど、本質的に、互いに背負った宿命のようなものが、どうしてもこの二人を完全には相容れないものにするん だよね。 リオンは壮絶に生きて、短い生涯を駆け足で通り過ぎたわけだけど、ウッドロウは今後、国王となって、孤独で長い生涯を送るのだと思います。 どちらも只普通の人生を送れない人だとは思うけど、決定的に生き様が異なるんだよね。 そしてそこが『異質な孤独の出会い』、ウッドロウ×リオンの魅力だと思います。 次回、最終回。 『王子と剣士(9)』 リオンは自らの運命と対峙し、そこに何を見るのか。 |