『雨』 〜王子と剣士(4)〜 |
寝台は、やや硬いような感じもしたが、シーツの肌触りは悪くなかった。 二人が横になり、存分に手足を伸ばしても、まだ充分にスペースがあまるくらいに広さがあるところも気に入った。 凝った意匠もなく華美な調度品もない、決して贅沢な部屋ではなかったが、とても清潔感があって、温かみもあって、ゆったりとした広い空間があって、ここ でくつろぎ、休む人のために充分な心配りがなされていた。 雨の匂いがする。 昼の間は、おだやかに晴れ上がっていたのに、夜半あたりに、ふいに前触れも無く、激しい雨が降り出した。 雨のしずくが南の窓に面したテラスの金属製の手すりに当たる硬質の音に、ふいに目を覚ましたリオンは、ベッドサイドの置時計に手を伸ばした。 その、デジタル表示の数字の細く黄色い光が、薄闇の中に浮かび上がり、夜明けまでまだ少し時間があることが確かめられた。 リオンはもう一度目を閉じた。 そして、傍らに眠る男を起こさないように気をつかって小さく寝返りをうち、密かなため息をついた。 夕べは、二人の夜をしきりと祝いたがるウッドロウのペースに巻き込まれて祝杯を上げて、遅くまで二人で色々な話をした。 ウッドロウは、思っていたよりもずっと能弁で博識だった。 澄んだ声でよくしゃべり、ときおり、リオンを見つめるようにして語り続けた。 リオンも応じているうちに時のたつのを忘れるようだった。こんなに屈託無く笑う男は新鮮だったし、リオンも偽りでなく楽しんでいる自分が意外でもあり、 心地よかった。 そしてそう自覚すればするほど、互いに引き合い、あたかも目に見えない糸で引き寄せられていくかのようであった。 己の素性やウッドロウに出会った本当の経緯については、隠し通さなければならない以上、こんなふうな付き合いや楽しみも、結局それは、只の知的な戯言の ようなものに過ぎないのかもしれないが、少なくともそこには、常日頃リオンが纏っていなければならない牽制や、必要以上の警戒はなかった。 共に夜を過ごした男は数多くいたけれど、ウッドロウほど一緒にいるのが苦痛にならない男は、ひとりもいなかったと言ってよかった。 外は風が強くなったようだった。 二人分の体温を吸い込んで、わずかに曇りを帯びたガラスの窓には、建物のすぐ側に植えられた庭木の枝が風に煽られる影が常夜灯の光にぼやけて浮かび上が り、時折の強風に雨粒がガラス窓に叩きつけてくる音が夜明け 前の暗い室内に響いた。 リオンは、ふと、外の様子が気になり、寝台から抜け出そうとした。 今の自分は隣に眠る男の護衛なのだ。 自分の素性云々よりも何よりも、今はとにかく、この男の身の安全を守り通さなければならない。 リオンはベッドの横に立掛けてあるシャルティエを目で確かめ、それからそろそろとシーツを身体から退けて身を起こし、ベッドから立ち上がろうとした。 冷たい床に素足を下ろし、そのヒヤリとした感触に一瞬身を竦めたところで、背後から腕を掴まれた。 「…!。」 振り返ると、眠っているとばかり思っていたウッドロウがリオンの腕を掴んでいた。 ウッドロウは、ぐいとリオンの腕を引き、リオンの身体を、もう一度ベッドの中に引き込んだ。そして、そのまま抱き寄せ、耳元で「愛している。」と、そう 囁いた。 やや強引に抱き寄せられたときのウッドロウの胸は、夕べ抱かれたときと同じ汗のにおいがした。清潔な汗の匂い、日なたの匂い、そして甘いコロンの匂いが まざったような、それはまぎれもない、むせかえるような男の肌の匂いだった。 雨の音が一層強くなった。 他の音は雨音にかき消されてしまい、室内にいたのでは、外部の気配を、うかがい知ることができなくなり、それがリオンの不安を煽る。 「…大丈夫だよ。」 そんなリオンの心情を察したのか、ウッドロウはそう囁く。 ウッドロウの腕はしばらくリオンを抱きしめたままだった。そしてゆっくりと顔を上げ、ウッドロウは改まったようにリオンに向き合った。 リオンの額に、情愛に満ちた優しい口付けが降って来た。リオンはじっとウッドロウの顔を見つめた。薄闇の中のウッドロウは、その彫りの深い端正な顔立ち の陰影が強調されて、一層美しく感じられた。 この自信過剰でお人好しで世間知らずな美しい男は、この瞬間においては、世界中にある全ての汚濁から免れているような気がして、逆にそれが一層リオンを 不安にかきたてる。 けれどこの、まるでぬるい湯につかっているような気分に浸り、溺れるのは信じがたいほど心地よい。 ウッドロウの腕の中に抱かれていれば、そこにあるのは、安堵や静けさだけだった。 これまでリオンを抱いた多くの男たちにあった、せつな的な悦楽、過度の興奮や動物的な欲情は、そこには存在しなかった。ましてヒューゴに抱かれるときの ような一方的な支配も抑圧もなかった。 その温もりに身を委ねていれば、これまでに覚えのないような慈しみを自分のものとして感じることができた。 ウッドロウは、リオンの瞳を見つめ返し、それからリオンに覆いかぶさるような姿勢になり、そのまま、リオンの首筋に唇を這わせた。 ウッドロウは、自分の身体を支えるために左の腕をシーツについて、残ったほうの右手で力強くリオンの顎を持ち上げた。 目が合ったときの一瞬のわずかな緊張感が二人を包み、その後、まるでそうすることがあらかじめ決められていたかのように唇が重なる。昼間、湖のほとりで 交わした触れるだけのキスとは違う、確かな行為としての口付け。 「…ンッ。」 リオンは喉を逸らして精一杯それに応えた。 そして一旦、唇が離れた後、再びどちらからともなく吸い合った。 続いて、充分にうるおったウッドロウの舌がリオンの唇を割って滑らかに口腔内に入り込む。同時にウッドロウの右手がリオンの髪に触れ、首筋をなぞり、す るりと胸 元におちてきて、そこに丁寧な愛撫が加えられる。 敏感な箇所に触れられるときの皮膚が痺れるような感覚に、リオンはわずかに身をよじらせる。すると背中や腰がシーツにこすられるようになり、その布地の さらさらとした感触が新たな官能を煽り、そしてそれと同じくらいに身の内に静やかな優しみを呼び起こした。 ウッドロウの唇がリオンの胸の突起に優しく触れる。そのときの、ふぅ…、という、わずかに興奮の混ざったような吐息はリオンを深く安堵させる。 リオンは愛しさを込めて両腕を伸ばしてウッドロウの背にまわした。 それに応えるようにウッドロウはリオンを見つめ、続いて鎖骨のあたりに唇を寄せ、そこを一瞬強く吸い上げる。 その疼きを伴うような確かな痛みに紅く刻印を残されたことを知る。 自分が今、感じるぬくもりは、その肌の鬱血にある、そう思うとその行為がたまらなく愛しくなる。 リオンの身体を這う掌が、少しずつ移動していき、腰のなだらかな線をよぎり、腿の内側を丁寧になぞりあげる。 その愛撫によって身のうちに沸き起こる官能は色濃くなっていき、次に起こる行為を予感して、リオンは甘い喘ぎを押し殺した。 そうしているうちにも、気づいたときには二人はシーツの上で、はげしく絡み合っていた。 乱れた吐息も、熱くなった互いの身体も、それはまぎれもなく、求め合い、与え合う、確かな愛としての行為だった。 悦楽も情欲も、どこか浄化され、子供のような純なる想いの中にゆるゆると溶けていくような、それでいてどこまでも甘美な感覚が続いていく。 リオンの身体はウッドロウの愛撫を受けて、素直な反応を返した。身体ごとたわめるようにして抱きしめてくるウッドロウの腕は逞しく、その均整のとれた身 体は申し分なく美しいと思った。筋肉に覆われた肌の固いなめらかさ。それは上流階級のものが幼いころから、たしなみとして修練する武芸の成果、そのもの だった。 吐息は匂い立つほど官能的で、繰り返す愛撫はすばらしく濃厚だった。 その身体の重み、肌の弾力性、あらゆる意味において完璧だと思った。 けれど抱かれている間であっても、リオンの脳のある一点においては、甘い陶酔から、かけはなれたところの冷静さを失わなかった。 触れる肌の温かさは心地よい、このぬくもりを感じ続けていたい、包まれた腕はたとえようもなく快美。そんな、果てのないような欲が身体中に渦巻いている というのに、リオンは、まるで、そうすることが今まさに、ウッドロウの愛に応える証であるように、精神の奥底に、しんと凪いだ鎮まりを見つめ続けて己を制 御した。 薄く目を開けばウッドロウの、優しく見下ろす瞳と合う。その、リオンのどんな表情も、わずかな反応も見逃さないような視線に晒されて、リオンはまた目を 閉じる。 リオンは薄闇の中、たとえわずかな空気の震えであっても、すぐさま危険に結びつく気配に対応できるように五感を研ぎ澄ませていた。 ウッドロウとの行為を中断させないように、熱が少しも醒めてしまわないように、研ぎ澄まされた神経の束を押し隠し、肉体の興奮状態と精神の冷静さのバラ ンスを保つように、身体を悦楽にゆらしながらもコントロールする。 「君を愛している。…もう、君以外、愛せない。」 耳元で囁かれる言葉はどこまでも甘く、そして真剣だった。 リオンはその真摯な響きに胸の奥の方がチクリとわずかに痛むのを感じた。言葉は返さなかったが、そのかわりにそっとウッドロウの身体に自分の身体をすり 寄せた。 言葉が出なかった。 『愛している。』という言葉こそ、リオンがこれまで夜を共にした男相手に、それこそ道具のように使い古した、手垢に汚れた言葉であり、偽りにしか口にし たことはなく、真実、心からそう思って声に発したことはないものだった。 そしてその言葉には嘘くさい響きしか感じられず、自分が口にしたところで何の重みも持たないものであると思っていた。 ウッドロウはその大きな右手で、リオンの頬を軽く包み込み、そして、額にかかった柔らかな黒髪に指をからめ、それはやがて、あやすような動きになった。 続いて、額に唇がおち、それはやがて、ついばむような口付けに変わり、愛の言葉を催促される。 「…僕は、」 吐息の合間に言葉を告ぐ。互いの視線がかち合い、一瞬、時が止まる。 「…僕は、お前にそれほど多くのものを与えられない。…お前が、こうして僕の身体を抱くだけで満足してくれる男なのだとしたら…、僕はどれほど楽だろう な。」 ウッドロウが少し驚いたように、それでも充分な優しさをもってリオンを見つめた。 「それは、…君が私を愛せないかもしれないということ…?。」 リオンは質問には答えず、わずかに首を左右に振った。 「お前の身体は僕にとって、最高だった。…そう言えば、満足する男しか、僕は知らない。」 過去に多くの男に身体を委ね、心の伴わない行為を繰り返してきたことを、告げる言葉だった。 ウッドロウは何も言わず、ただつらそうに眉を顰めた。 ヒューゴとのことにしても、とっくに自分の身体が汚されたものであるということはウッドロウに知られていたが、それでも未だ、ウッドロウはリオンを美化 し、理想化し、夢のような観念の物語の中のような、恋の相手にしたがっているようなところがある。 本当に、まだ何も知らないくせに。 そんな冷めたふうな気持ちがなかったわけではない。 こんなに何も知らない状態で、相手を美化するのは危険だ、もっと相手をよく見ろ、警戒しろ、と言ってやりたくなる。 だが、勝手に幻を見つけて、それに酔う、という幸福な恋に身を委ねているウッドロウは、何よりも純粋で眩しい。 こんなふうに、相手を傷つけないで、恋ができる男がいるのかと思った。 けれどそもそも恋というものは、本来こういうものではなかったのか、と思い至れば、リオンは、自己に対する嫌悪とそしてわずかな憐憫に唇を噛み締めた。 「怖いんだね…?。」 ヒューゴが、と言外に含ませ、穏やかに囁くウッドロウに、やはりリオンは言葉を返さない。 ウッドロウは、その肯定の意と取れる沈黙に、優しくリオンの額に口付けた。 「恐れないで。私が一緒だから大丈夫。…君はひとりじゃないんだよ。」 そしてまた、首筋に唇が落ちてきて、そこに優しく愛撫が加えられる。 ああそうだ。 ウッドロウは、自分をまるでヒューゴの愛人であるかのように思っているのだ。 そして、対決するのは、ヒューゴの男としての嫉妬だけなのだと思っている。 心の伴わない関係を強要するヒューゴに、己の愛をもって勝利できると思っている。 ちがう。 そうではないんだ。 自分にとってヒューゴの命令は絶対なんだ。 明日にもお前の寝首を掻っ切るかもしれないんだ。 お前はお前を殺すかもしれない人間を抱いているんだ。 そう思いはしたが、それは表情にすら出せない。 今、この瞬間において、ウッドロウの愛を拒絶せず、受け入れた形になっている以上、あくまでもヒューゴ側につきながら、素性をひた隠すことは、ウッドロ ウを裏切っていることにはなる。 けれどそれだけが、この心地の良い愚かさと、そして眼前の優しい男を、悲惨な末路から守るための術だった。 ウッドロウも、ヒューゴも、欺き続けなければならない。 それを続けることに対して生じる精神の痛みには、何があっても耐えていかねばならない。 わずかに掴みかけた惑いにも似た愛の形をしたものを失いたくないのなら、たとえ裏切りであっても、拷問のような精神の負担であっても、不可避的に負わざ る 得なくなった苦しみとして、受け入れねばならない。 リオンは精一杯の努力をもって唇の端に甘く微笑を灯した。 「ウッドロウ、…死ぬなよ。」 小さな囁き。けれどこれが今のリオンにとっては、祈りにも近い本気だった。 その言葉に、ウッドロウは、少し驚いたように目を見開き、リオンを見つめた。 「私は死なないよ。…君のためなら、どんなつらい苦難も乗り越えられるよ。」 言葉は穏やかで抱きしめてくる腕はあくまでも優しい。 リオンは目を閉じた。 そして、その、決して長くは続かぬであろうぬくもりの中で、降り込める雨の音を聞いた。 |
2004 0313 RUI TSUKADA |
ラブシーンでした。ぬるいですか?(笑)。 ちょっち展開強引だけど、何気にラブラブですな。 坊ちゃん、ほだされてます。おまけに朝帰りだw。男娼仕事はフケちゃったし…。 御都合主義とは言え、コイツラ、どう見てもダブルで部屋取ってるぞ。 リオンはこのへんじゃ顔知られてるのに、いいのか?、いいのか??。いいのかよぉ〜!!!。 禁断の恋に走った彼らの親御さんからコメントを一言ずつ。 ヒューゴ様 「ウチのリオンに付着したオス虫が…、潰すぞコラ!。」 イザーク王 「どーでもいいけど、早く結婚してよおぉぉぉ(しくしく)。」 パパはともかく、イザーク王の方が深刻そう…(笑)。政略結婚を台無しにして、散々周囲に迷惑かけまくって、反省した舌の根も乾かぬうちに、放蕩三昧の 上に毒花のような美少年にのめり込んでるんだからな…。結構ロクでもないぞ。 毒花って、見た目儚げで可憐なやつが多いんだよね…、毒をもっていること自体は花のせいじゃないしな。ホント、リオンそのものだわ。 さて、まだまだ続くぞ(大丈夫かしら…。) 次回予告『王子と剣士(5)』 遠距離恋愛に王子キレる。「…君をヒューゴ殿から奪いたい…。」 そろそろ中盤。ストーリーをテーマに近づけます。 |