『セフレ』





 ロニは、アイグレッテの宿屋の洗面台で、見るも哀れな顔の治療を施していた。
「痛ててて…、あ〜、ちくしょー…。」
 鏡で顔を覗き込み、一人毒づきながら、頬についた二本にミミズ腫れに、そろそろと傷薬をつける。
 薬は染みて、傷の腫れは当分引きそうになかったが、絆創膏は目立つので、できれば顔には貼りたくない。
 傷は男の勲章である、と言いたいところだが、背中はともかく顔の引っかき傷は自慢にならない。
 目の下にくっきりと、二本。血が滲んだようになっていて、相手が本気で爪を立てたことがはっきりと伺える。
「あー、思いっきりやられたなぁ。」
 言葉でいくらおどけても現実は重い。失恋したのはもちろん初めてではないが、今回のは特にキツかったと思う。
 大げさでなしに、これまで密かに紡いで来た胸の躍る夢が急に遠のいて、重たい喪失感がのしかかってくるような感じだった。



 ロニにはアタモニ騎士団に属していた頃からの恋人がいた。
 騎士団の任務の関係で部隊がアイグレッテに逗留したときに知り合ったのだが、任務が終わった後にも、クレスタで買出しを頼まれたりすると、しばしばアイ グレッテのバザールに来ていたので、その都度、彼女の家を訪れ、会うことができた。
 それほど頻繁に逢瀬を持つことはできなかったが、彼女の存在は、それなりにロニにとって大きな人生の支えだった。
 しかし、カイルと旅を始めて、いざこざを起こして騎士団を抜けて(クビになって)、その後は文字通り世界中を周っていたから、もう長いこと連絡が取れず じまいだった。
 ずっと謝りたいと思っていたところ、つい先日から運良く、旅のメンバーがアイグレッテに留まることとなり、会う機会が出来たのだ。
 ロニは真っ先に彼女の家を訪ねて行った。ずっと連絡しなかったことについては彼女は怒らなかった。そしてロニは彼女との食事の席で、自分が今、何をして いるかをかいつまんで説明し、彼女もよくその話を聞いてくれた。
 さすがに「神」に関するところは話すことはできないが、許される範囲内で、自分の旅がどれほど大切であるかをロニは話して聞かせた。
 しかし、話の途中でロニが、『もしかしたら、もう帰れないかもしれない。』といった類のことを口にした途端、彼女の表情がすうっと冷めたものに変わった のだ。

「…つまり、これは最後の晩餐てわけね。…そんなの私はお断りだわ。」
「えっ、待ってくれよ。」
 ロニは火をつけたばかりの煙草を灰皿に置いた。
「無理しなくていいのよ。」
「ちょっとまて、俺は何も無理なんか…。」
「そうかしら。私だったらこんなのしたくないわ。私があなただったら、さっさと帰りたいだろうと思うわ。」
 灰皿の中で、忘れられたようになっている吸いかけの煙草が灰になっていく。
 重苦しい沈黙の中、彼女は俯いて、きちんと手入れされた爪を噛んだ。
「ごめんなさい。…そうね。私があなたでも言うかもしれないわね。楽しかった。今でも大好きだから、これが最後かもしれないけれど…って。…でも問題なの は、私はあなたじゃないし、あなたの立場にもなれないってこと。」
 そんな感じの会話があって、なんとか取り繕おうとしたロニに彼女はひどく腹を立ててしまい、夜の夜中に美人で気の強い彼女の部屋から叩き出されてしまっ たのだ。




 ##
 
 ロニは、ピリピリと痛む頬を指でさすりながら、宿の部屋のドアを開けた。
 皆で決めた就寝時間はとっくに過ぎているから、宿の客室はみな明かりが落とされていたが、ロニとジューダスの部屋だけはまだ明かりがついていた。
 もう深夜と言っていい時間なので、やや音に気をつけてドアを閉めると、部屋の中ではジューダスが、カウチで読み止しの本を持ったまま、寝入っていた。
 ロニは何となく足音を忍ばせてジューダスの傍に腰を下ろした。
 いつもなら人の近づく気配を察してすぐに目を覚ますのだが、めずらしくジューダスは静かな寝息を立てて眠っていた。
 ロニは少しだけ面白くなって、至近距離で観察した。
 間近で見ると、ジューダスの顔は、人並み外れて整っているということがよく分かる。
 小さい顔に細い顎、すうっと通った鼻筋。睫はびっくりするほど長い。日頃の大人びた態度とはうって変わって、眠るジューダスは頬といい、肩の線といい、 どこもかしこも年齢相応の幼さを残している。
 仮面は外されており、素直な黒髪の、長い前髪がこぼれ落ちていて、襟元にのぞく首筋は白くて華奢だった。
 しかしこれほど細身の体躯をしていても、その腕が振るう剣はおそろしく峻烈。
 カイルや自分の使う我流のものとは明らかに種を異にする、おそらくほんの幼いころから時間をかけて叩き込まれたのであろう『剣術』としての剣。カイルが 心酔しているその剣技。
 それに関してはちょっぴり嫉妬のようなものも感じてはいるのだが。
「…ったく、よく出来てやがるぜ。」
 ロニは妙に感心し、引き寄せられるようにしてジューダスの寝顔に唇を寄せた。
 その瞬間、ジューダスの目がぱちりと開き、至近距離で目が合ってしまった。
「なんだ。帰ってたのか。」
 ロニは内心パニック状態だったが、ジューダスの口調は至って冷静だった。
 ジューダスはあわてふためくロニを意に介することもなく、軽く伸びをすると、本を持って立ち上がった。
「さて。僕は寝る。…お前もあまり遅くならないうちに寝ろ。」
 そう言って、ジューダスはベッドの方に歩いていった。
 ジューダスは枕もとに本を軽く投げ、ばさばさと毛布を整え出した。
 どうやらジューダスは待っていてくれたらしい。素っ気無い態度は相変わらずだったが、随分長い時間待ったのだろうに、いつもの無口さからか、それとも何 か気まずさを察したか、詮索するようなことは何一つ言おうとしない。ロニの胸に一瞬苦いものが走った。
 当初、互いに衝突しあい、しょっちゅう激しい口論を繰り返して、悪印象を与えてしまうこともしばしばだった。
 だが、ときおり見せるこんなジューダスの心配りを目の当たりにすると、せめてもう少しだけ、愛想良くしてくれさえすれば、あんなに誤解することもなかっ ただろうにと思う。
「ジューダス。」
「なんだ。」
 背中を向けたままの声は相変わらずそっけないが、律儀に聞いてくれる。
「振られた。」
「……。」
 今の自分は、さぞかし間のぬけた表情をしていることだろう、とロニは思った。
 いっそ開き直って笑えばいいのか、怒ればいいのか。それとも悲しめばいいのか、それすらも分からなかった。
「…またか。それで。」
「つらい。」
 そう言ってしまうと、何か、身体の疲れが一気に出たような感覚にとらわれた。
 次いで膝からくずれていくような幻覚を見たように思った。ロニは慌てて両膝に力を入れて、数歩先にいるジューダスにもたれ掛かるようにしてその身体を抱 きしめた。
 一瞬、ジューダスの身体が強張るのが抱きしめた腕を通して伝わってきたが、肩越しに、ふう、というため息が聞こえ、すぐにジューダスの身体から力が抜け たのが分かった。

 部屋の明かりを消すと、ロニは余裕なくジューダスの服を剥ぎ取り始めた。
 ボタンを外すのも、もどかしくて、はだけた服の合わせ目から右手を滑り込ませ、掌を這わせた。胸の突起に指が触れたとき、ジューダスの身体がピクリと小 さく跳ねた。
 そのままベッドに押し倒して、露になった肌に唇を寄せた。
 びくん、と身体を竦ませて、ジューダスの両手がロニの髪を掴んでわずかに引きはがそうと抵抗してくる。
 その腕を掴み、身体の両側に縫いとめてみる。それは剣を使う腕であって、思ったほど細くもなく、骨もしっかりしていて、その強靭さはまぎれもなく男のも の。
 日に晒されない肌は白くて、滑らかだったが、少年期特有のしなやかな筋肉をつけていて、抱いてみても、女の身体の柔らかさとは明らかに質が異なる。
 細い身体に圧し掛かって、体重をかけて、わざと動きを封じてみた。薄く開けた瞼の隙間から覗く瞳は、驚くほどに美しいけれど、その湛えた光は強すぎて、 女が自分を見上げた眼とは似ても似つかない。
 膝裏を抱え上げ、大きく開かせて、奥に指をのばす。唾液で濡らした指を二本、差し入れてみる。上がる声は、普段のそれより高いけれど、その少しかすれた ような声は、女の上げた甘い嬌声とはまったく異なる。
 髪を掴んで、強引に身を進める。条件反射的に痛みから逃れようとする腰を掴んで、激しく腰を打ち付ける。
 やがて悲鳴のような声が上がってジューダスは達し、続いて自分も終焉に向けて動きを早め、快楽を追う。
 女だったら、ここで終わる。あとは腕まくらをして、優しく髪を撫でてやって。
 他愛のない会話を楽しんで。
 互いが眠りに落ちるまで、温くて、ゆるやかな時間が流れていく。
 だが、ジューダスとは違う。ロニはくったりと力を失ったジューダスの身体をやや乱暴に引き起こし、自分の身体の中心に顔を導く。
「ほら。」
 そう言って、まだ十分に固さの残るそれを、ジューダスの口に押し込む。
 最初のうちこそジューダスは眉を顰めて、小さく首を振って、その突き入れられた塊から逃れようとするが、ロニがジューダスの身体の下に右手を這わせて、 達したばかりのそれをゆるゆると愛撫してやれば、ジューダスは、くぐもった声をもらし、舌を動かしてくる。
 口内で質量を増したそれに、息苦しさに耐え切れなくなってジューダスがゆるくもがく。
 口を開放してやり、腕を掴み上げて、今度は四つん這いにして後ろから突き入れる。
 そして、何度も何度も打ち付けてやる。
 貪婪で激しいセックス。
 どちらかが与えるのではなく、互いに貪り合って喰らい尽くす。しかし後ろめたさや嫌悪感はなく、それよりも、何かを共有しているという思いの方が強い。 誰よりも相性はいいと思う。情事のあとには、心地よい怠さが身体に残る。ロニは、眠るジューダスの横で、ふうっと大きく紫煙を吐き出した。
「…ん。」
 横でジューダスが身じろいだ。
 緩慢な動作でむくりと起き上がり、ベッドの下に右手を伸ばし、何やら手探っていた。おそらく服を取ろうとしているのであろう。
 ロニは、伸び上がったジューダスの腰を掴んでベッドに引き戻した。
 ジューダスは不満そうな声を漏らしたが、仕方なく、再びロニの横に収まった。
「なあ、俺たちって、…セフレ?。」
 ぼそりと言ったロニに、一瞬、何のことかとジューダスは絶句した。ジューダスはまじまじとロニの顔を覗き込んでいたが、そのうち得心のいった表情にな る。
「そんなところだな。」
 あっさり言って、ジューダスは薄く笑った。
 『セフレ』という言葉が持つ、一般的な意味合いは、相手を突き放しているようで、ひどく寂しい。しかし他に形容しようにも、やっぱり他に言葉が見当たら ない。
 だが、今、何故か無性にジューダスに聞いてみたくなる。
「なあ、ジューダス、俺ってどこがいけないんだろうな。」
 煙草を灰皿でもみ消して、ロニは尋ねた。
「…ふん。やけに殊勝じゃないか。いつもの威勢はどうしたんだ。」
「だってよお、いつもいつも、俺ばっかり夢中になって、振り回されて。付き合ってる最中は、俺もう、多分、その子のこと以外、考えてない。」
 旅の間中、彼女とずっと会えなくても、夜になって布団にもぐりこんだりすれば、必ず彼女のことを考えた。
 それなのに、懸命に言い訳する自分を、彼女は本気で引っ叩いて(引っ掻いて)、あっけなくサヨナラを宣告した訳で。
 何がどうしてそこまでされねばならないのかと、不条理さに頭がぐらぐらする。
「教えてやろうか。」
「…教えてくれ。」
 ロニは大マジメな顔をしてうなずいた。
「…お前の悪いところはだな、薄情なところだ。」
「薄情〜?、俺のどこがだよ!、いつもあんなにあんなに優しくしてだな〜。」
 表情も崩さずに言うジューダスに、ロニは少し食ってかかった。
「だから、それがいけないんだ。優しくした奴が、しばらくぶりに訪ねて来たと思ったら、今度は『もう帰れないかも』だと?。しかも今の今まで何も知らされ ていなかったとこにだ。『終わりにしよう』って言うのよりも相手任せである分、もっとタチが悪い。」
「……。」
 返す言葉もなかった。
 何も知らされていなかったということは、それ自体が一種の拒絶であったというのに。
 剣を持って戦うことのできない彼女は結局待つことしかできないというのに、その『待つ』という行為の望みの上にすら、自分はもの優しい顔をして、拒絶を 重ねてしまったのだ。
 ロニの拳からすっと力が抜けた。
「そ、か。…最低だな。」
「最低だ。」
 ぴしりと言うジューダスの言葉は的確だけれどキツイ。
 秀麗な横顔は冷静そのもので、行為の後の会話すら睦言には程遠い。
 けれど最近は傍にいても嫌な思いをすることはないし、日頃おおむねうまくいっている。戦闘能力や判断能力に関する信頼は言わずもがな。
 顔は正直言って好み。身体の相性は最高。ジューダスにしても、自分のことを尊敬はしていないだろうけど、少なくとも煙たがっているようなことはもう無い はずだとロニは思う。
「なあ、いっそのことさぁ、俺、お前の恋人に昇格できない?。」
 場の勢いにまかせて半分本気で言ってみる。
「だめだな。」
 瞬時にきっぱりと言い切り、ジューダスはふっと鼻で軽く笑って枕に肘をついてロニを見上げていた。
 言葉は冷淡なくせして、その瞳はいつもの彼よりぐっと穏やかで、今ならもっと聞けるかもしれない。 
「もしかして、お前も『世の中にたった一人だけ』ってやつじゃないと駄目なクチか?。」
「…どちらかと言えば、そうだな。」
 少しだけ語尾が揺れる。
 ジューダスはロニから顔を逸らして、少し何かを考えている顔になった。
 しかしすぐに唇の端を少し上げて、またいつもの冷静な顔に戻った。
「とにかく。こういうものに昇格は無いんだ。だからセフレはずっとセフレのままだ。」
「けー、つまんねぇの〜。」
 ロニは、ベッドから降りようとしているジューダスの腰に抱きつき、調子にのってキワドイとこまで手を伸ばしたりしてみる。
「こら!。」
 すぐさまジューダスの右手が振り下ろされ、ロニの側頭部のあたりにヒットした。
 ジューダスの平手打ちはスナップが効いていて、力を加減していてもかなり痛い。
「痛ってぇ〜〜!、死ぬ〜!」
 大げさにぶたれた側頭部をかかえてうずくまってみせる。
「…痛ぇ。」
「あたりまえだ。…馬鹿。」
 ロニの目に少しだけ涙が滲んだ。
 だがこれはぶたれた痛さのせいだけではなかった。
 








  2004 0205 RUI TSUKADA

 うちのロニ×ジュはどうも色気に 欠けるような気が…。
 やはり兄さんがノーマルベースでジューが冷めてるからかな。
 でもこの二人には対等であって欲しいんだよ。仲間としてさ。
 そういうとこもロニジュの味だ。