『別れ』 |
スタンは早くも自分の行動を後悔し始めていた。 ここ、ダリルシェイドの一角に広大な敷地をもつヒューゴの屋敷の庭に、裏門の鉄柵を越えて入り込めたまではよかったが、門から肝心の建物まで、かなりの 距離があったのだ。 門から随分来たはずなのに、一向に建物の入り口へと導くポーチが見えてこない。 「…ようするに、ポーチまでは徒歩で来るところじゃない、と。そう言うことなんだよな。」 スタンは今更ながら自分がここに庶民的感覚で来てしまったことを痛感していた。 時間はほぼ深夜に近く、あたりは真っ暗だった。 視界の自由もろくにない上に、生来の方向音痴も手伝って、まるで森のような庭木立の中、おぼつかない足取りで、目的の建物を目指す。 「ここって、庭だよなあ…、森じゃないよな。まあ、建物は一つなんだし、道はどうあれ、辿り着ければそれでいいんだよな。」 前方の視界をふさぐ、きっと昼間だったらさぞかし美しいに違いない落葉樹の庭木立に、泣きそうになりながら、足を前方へと動かした。 しかし屋敷は単に城のような構えを有しているだけではなかった。 ここに住んでいるのは世界の財界のトップに君臨する要人である。 当然ながら、侵入者に対する防犯対策も施されており、先ほどからずっと夜間は庭に放し飼いにされるらしい番犬の気配がしていた。 防犯に犬を使うのは、その嗅覚と移動能力を考えれば、通常のハイテク設備よりも、はるかに効果的と言える。 スタンは、どうやら自分の匂いを嗅ぎ付け、近くに迫ってきたらしい忠実な獣の気配に、額に冷や汗すらにじませ、内心涙を浮かべて、やっとの思いで建物の 外壁まで、たどり着いた。 そしてそこから、すがる思いで明かりのついているテラス目掛けてロープを投げ、手すりに絡ませてよじ登った。 「…ふうぅ、怖かったぁ〜〜〜。」 手すりを乗り越えるや、そこにヘタリとしゃがみ込んだ。 階下では数頭の番犬が咆えている。 あともう数秒でも遅かったら、食いつかれていただろう。 「何だ!、お前は…!。」 一息つく間もなく、部屋の中から聞きなれた声が聞こえ、同時に剣を構えた少年が現れた。 いつもの青い軍服姿ではなく、白い布地の部屋着を身につけていたが、間違いなくそれはリオンだった。 「あ、リオン!、ここリオンの部屋だったんだね。よかったぁ〜〜。」 スタンは恐怖の思いをして飛び込んだ部屋が、目的の人物の部屋であるという、自分の運の良さに心底感謝した。 正直、当てずっぽうに逃げ込んだだけだから、屋敷の人にどうやって言い訳しようか困っていたのだ。 「スタン…?!、…お前、何でここに戻って来たんだ。」 リオンは剣の刃先を下ろしながらも、困惑したような顔でそう言った。 「…リオン。俺、ごめん。お屋敷でちゃんとリオンに会いたい、って頼もうと思ってたんだ。けど庭がこんなに広いと思わなくて…、方向分か んなくなっちゃったんだ。」 「……。」 心底申し訳なさそうな顔をするスタンに、思わずリオンは言葉を失って黙り込んだ。 スタンとリオンは数日前まで、ストレイライズ神殿大司祭グレバムが略奪した『神の眼』の奪還の任務を負って、共に戦っていた。 そしてそれも何とか成し遂げ、ここダリルシェイドに凱旋を果たしたのが今朝のことであった。 それからセインガルド国王への報告を済ませ、スタンは、ルーティやマリーとともに、国賊の汚名を返上して正式に無罪放免となったのだった。 任務成功の褒美として、スタンには近衛軍仕官への道も用意されたが、それを辞退してしまったため、正真正銘の自由の身となった。 けれど、そんな凱旋と自由の喜びに、はしゃぐ彼らの群れから、別れの挨拶もそこそこに、リオンは一人抜け出し、ダリルシェイドの屋敷に戻ってきたのだっ た。 「も〜、真っ暗だし、やったら広いし、それに番犬に追いかけられちゃって、ホント大変だったけど、運良くリオンにちゃんと会うことが出来てよかったよ 〜。」 「……。」 スタンはそう言ってうれしそうに笑ったが、リオンはそんなスタンの姿を見て、わずかに唇を噛み締めて視線を落とした。 「…何でここに来たんだ。…お前たちとの仕事は終わったし、お前は無罪放免になったんだから、もうここに来る必要はないのに…。」 そう、低く呟くように言うリオンに、スタンはあせった。 確かに夜の夜中に断りもなく、突然押しかけてくるのは常識的に考えて家宅侵入罪。 しかも世界の要人の屋敷に正しい入り口以外の場所からロープを使って。 今更ながら自分の行為は非常にまずいことだったと自覚した。 しかし、スタンにはスタンなりに、このような危険を冒してでも、来る理由があったのだ。 「だ、だってさ、リオン。昼のときにはろくにお別れの挨拶もできなかったし、それに…。それになんかリオンの様子が少し、ヘンだったから、ずっと気になっ てたんだ。」 「僕が?。」 少し驚いたようにリオンは顔を上げた。 「そうだよ。昼に、皆で挨拶したとき、さっさと帰っちまったろ。そのときリオン、後姿がなんかすごく…、寂しそうな感じだったから。」 「……。」 リオンはスタンを黙って見つめ、それからまた俯いてしまった。 黙り込んだリオンの様子にスタンは、ある違和感を感じていた。 いつもの彼なら『後ろ姿が寂しそう』などと言おうものなら、即座の否定して、辛辣な皮肉の一言も言われてもおかしくない。 それなのに、今夜のリオンはあの冷たい切れるような感じがしない。何か、重く感情を押さえ込んだような、そしてその表情の奥に何かを必死に隠しているよ うにすら見える。 「あ、そうだ。それでさ、せっかく皆で『神の眼』奪還も果たしたことだし、セインガルドの王様からもたっぷりご褒美もらえたし、皆でお祝いし ようと思ってさ、お別れ会も兼ねて!。」 スタンはわざと明るく振舞った。 こうでもしないと、先ほど感じた重い違和感に押しつぶされそうだ。 「僕は…。」 言いよどんだリオンの顔に複雑な色が浮かぶのをスタンは見た。 彼らしくもない歯切れの悪さが、先ほどの違和感を募らせる。 嫌がっているふうではない。困っているのだ。セインガルドでのリオンの立場もあろう。 もう、本当は自分たちのような者が、おいそれと会える世界の人ではなくなってしまったのかもしれない。 けれど、リオンの今の困惑は、そういう類のものではなく、もっと別のところにあるような気がしてならない。 「…うん…。リオンは仕事とかあって忙しいだろうけど、一日、いや、それが無理なら少しの間だけでも、」 そこまで言いかけたとき、リオンが何かに気付いたふうに身体をびくりと竦ませたのが分かった。 不自然に空気が張り詰め、リオンは身を固くして扉の方を見ていた。 「どうしたんだ?。リオン?。」 「シ、黙ってろ。」 リオンは急いで部屋の扉の方に行くと、即座に内鍵をかけた。 そしてリオンが扉に耳をつけ、外の気配を伺うようにしたとき、そこで初めて、スタンにも、廊下から足音がこちらに近づいてくるのが分かった。 「スタン。」 声に切羽詰った色が混ざりこんでいた。そしていつものリオンらしくなく、その表情は強張っている。 「何?、リオン…。」 「いいか。スタン、よく聞け。これからここに奴が来る。だから、お前は姿を見られないうちに、今すぐこの屋敷から出るんだ。」 リオンはスタンを真っ直ぐに見据えてそう言った。 「え?、奴、って…?。」 「質問するな!、黙って僕の言う通りにすればいいんだ。」 リオンはスタンの目から厳しい視線を外すことなく、どこか引き攣れたような声で命令した。 「…リオン。」 言葉のきつさとは裏腹に、リオンの瞼は苦しそうに震えていた。 リオンの態度の変貌にスタンはいよいよ不安を強め出した。 それにこの怯えよう。リオンの言った『奴』が原因らしいがそれは誰なのか。 リオンは気を静めようとしているかのように、唇を噛み締め小さく首を振った。 「すまない、スタン。もう時間が無いんだ。僕は、お前たちに会いに行くことはできない。」 リオンの薄い唇が震えているのがわかる。 廊下の足音が近づいてくる。 「…そっか、やっぱ忙しいよな。リオンは…。うん、分かったよ。皆にはそう言っとくから。残念だけどさ。…でも、これだけは忘れないで欲しいな。俺はリオ ンと一緒に旅が出来て、すごくうれしかったし。色々、感謝してる。それに俺 さ。」 「……。」 「リオンのこと、…好きだったよ。」 「好き?、僕を?。」 リオンは目を上げた。 「ああ、大好きだ。」 今度ははっきりと、目をみて満面の笑顔でそう言い切った。 忘れないでほしい。これが一番リオンに伝えたかった言葉だった。 しかし、その途端、リオンはひどいショックを受けたように身体を強張らせた。 瞬間にしてリオンの気配がはりつめる。 「なら。…ならスタン、お前は、僕をッ…。」 そのとき廊下の足音が扉の前で止まった。 「……。」 空気が凍りついた。 そして続いてリオンの身体が小刻みに震え出したのが分かった。 ノックの音がした。 リオンは大きく目を見開いたまま、何も言わず小さく首を振った。 「リオン、居るのか。」 その声に、目の前のリオンの肩がぎくりと揺れた。 (……ヒューゴさん?。) 扉の外の声にスタンが反応すると、リオンが怯えたように目でスタンを見上げながら、まるで縋りつくように腕を掴んで遮った。 「……。」 扉の外で、ヒューゴが扉の取っ手をとり、それを開けようと強く掴んだのが扉越しに伝わった。 鍵が掛かっているため、ガチリという重い音を立てて、それは相手を遮断する。 こんな遅い時間にリオンが部屋にいないはずはなく、鍵をかけ、返事もしなければ、当然、おかしいと思われるだろう。 しかしリオンは動かない。 そしてスタンは、そんなリオンの瞳の必死さに気おされて何も言えなくなった。 (リオン…。) 怯えている。扉の外のヒューゴに。 これまで見たこともない、縋るような眼をして。 そしてリオンの言った『奴』。 スタンは昏い光を湛えた瞳に吸い込まれるようにしてリオンの手首を掴み返し、そのまま腕を引いて、抱きこんだ。 腕の中でびくりと身を竦ませたリオンの身体は驚くほど華奢で頼りない。 (リオン……。) スタンの腕に抱きしめられているリオンの気配に明らかに苦痛のようなものが混ざりこんだ。 そしてそのゆらめく紫の瞳を見た途端、痛いような愛おしさが貫いた。スタンは、唐突に自分が今、何をしたいのかを理解した。 顎を持ち上げると、リオンは眉根を寄せて眼を閉じた。 そのまま唇が重なる。 そしてそれだけでは到底がまんしきれず、スタンは腕の中で震えるリオンを押さえ込むようにして舌を深く絡め、唇の内側もすべてなぞるようにして吸い上げ た。 「リオン、どうした…、開けなさい。」 扉の外のヒューゴの声には、やや怒りのような色が混ざりこみ始めた。 腕の中でリオンが一層身を竦ませたのがわかる。唇を深く重ねれば、リオンの身体がびくリと震え、強くスタンの胸にしがみつくようにしてきた。 扉の外で、ヒューゴがこちらの気配をはかるようにして黙り込んだのが分かった。 重く厚い扉を通しても、おそらくこちらの気配は伝わるだろう。 けれど、今は動けなかった。 この出会いがどれほど互いに強烈な印象を残すものであっても、絆は所詮、「任務」であり、それが終わってしまえばまた、互いのそれぞれの日常生活のとめ どない繰り返しに帰っていく。 そうして忘れていくはずなのだ。ただ、時間が過ぎゆくということのみをもって。 けれど今、この瞬間にもリオンの舌がスタンに応えてくる。 縋りつき怯える精一杯の誘いをもって。 哀しい。ふいにそんな言葉が浮かんだが、スタンには哀しいという感情が本当はどういったものなのか分からなかった。 そしてリオンが怯える扉のすぐ向こうにある闇。それが一体、どんな正体をしたものなのかもスタンには分からない。 こんなとき、自分は人の心の哀しみに敏感でないと思い知らされる。ただただ、胸の中で震える少年を抱きしめることしかできない。 長い沈黙のあと、ゆっくりと唇が離れた。 止まっていたような時が動き始め、深く澱んだような苦しみの気配が伝わってきた。 リオンは眉根を寄せて乱れた息を無理に静めていた。そして声を発することなく、唇の動きだけでスタンに意図を伝えた。 …行、け。 スタンは、小さく頷きゆっくりとリオンから離れると、すぐさまテラスに出て、そこから手すりを乗り越え、階下の庭へと飛び降りた。 ザザッと庭木の枝を揺らす音が聞こえ、直後に着地の音が聞こえた。 それに続いて、庭に放たれた番犬の咆える声が響いてきた。 遠ざかるスタンの気配を感じながらリオンは呆然と立ちつくしていた。 そして、少しの間をおいてため息を一つついた。疲れたような深いため息だった。 これが別れだ。リオンは残酷にそう思った。これできっぱりとスタンとは二度と会うこともない。 共に旅をしていた間、自分の視界を覆い尽くしていたあの、明るい光のようなもの。 それはやはり薄い皮膜のようなものであり、今、それが完全に引き剥がされ、やはり自分の目の前には闇色の世界しかない。 ようやくリオンは扉を開けた。 そこにはヒューゴが無表情で立っていた。 「…申し訳ありません。ヒューゴ様。」 ヒューゴはやはり静かな顔で部屋に入ってきた。 「誰か居たようだが?。」 そう言って、開け放たれたテラスのカーテンのはためきを見ていた。 大分遠くはなったが、番犬たちはまだ咆えている。 ヒューゴの様子に、リオンは眉をひそめるようにしたが、やはり慣れたように表情を押し殺す。 「いいえ、誰も…。」 声に動揺を見せることもなく、そう言って、リオンはテラスのガラス窓を閉め、次いで厚手の重いカーテンを閉めてしまい、完全にそこを遮断した。 閉ざされたカーテンを背に無言で立ち尽くすリオンにヒューゴは含み笑う。 「ふん、まあよかろう。…リオン、お前に次の任務を授ける。だが、その前に…。」 「……。」 「…こっちへ来なさい…。」 そこにあるのは、完全なる服従。 リオンは諦めたように視線を落とした。 「…はい、ヒューゴ様…。」 |
2004
0215 RUI TSUKADA
|
次の任務は、「海底洞窟」です。 それにしてもパパは侵入者がいたことも薄々気付いてるんだろうし。今夜はコワイことに…。 『今日はせめて流血じゃありませんよーに…。』とか思うんだろうか(殴。 それにしてもスタン×リオン…。ゲーム中でもさ、ちょっとくらいスタンはリオンが好きだったって イベントあったっていいじゃんかよ。殺して終わりかよ、それでいいのかよ。 てかDリメイクしてほしい。D2でのジューの善玉ぶりといい、あれじゃあ四英雄が(以下略)。 |