『惑』




 ストレイライズ神殿の最上階、大司祭の私室の窓辺に腰掛け、リオンはゆるやかな春の宵の風をその身に受けていた。
 情事のあとの気だるい身体に薄手の白いローブだけを羽織るようにして、物憂げに長い前髪をかき上げた。
 先ほど、若い司祭らしい者が中庭に出てきてこの日最後の祈りを捧げていた。
 祈りが終わってしまうと中庭を照らす明かりを一つ一つ丁寧に落としていき、全部消し終えると、また、神殿の中に入っていった。
 闇が霧のように神殿を覆いつくし、冴えた月の光が窓辺から差し込み、蒼いような薄明かりの中で、少年のその姿は、薄く光の粉を纏ったかのようにぼやけた 輪郭を浮かび上がらせ、それが一層彼の美しさを際立たせていた。
 リオンはふと、部屋の奥の広いベッドで寝入る中年の男をみやった。
「ふん、まったく、ジジイはしつこくて仕方ないな。生臭坊主が。大司祭が聞いてあきれる。」
 さきほどまであれほど悦楽を紡いだ同じ唇で辛辣にこき下ろした。



 ##

 この神殿の主、大司祭グレバムは、ヒューゴの使いで神殿を訪問したリオンと食事を共にした後、急くようにしてリオンを私室に招き入れた。
 神に仕える司祭としては、いささか贅沢が過ぎるのではないかという、豪華なつくりの部屋に、リオンは半ば連れ込まれるようにして招かれた。
 部屋に入るとグレバムは明かりもつけずにいそいそと扉の鍵を掛けてしまい、続いて、後ろからリオンの身体を拘束するように抱きしめてきた。
 その余裕のなさに、おそらくこれも『使い』の内容に入っているのであろう、と見当をつける。
 今回この男からヒューゴの元へは、いったい幾らの金が動いたことやら。
 やれやれ、といった感じでリオンは目を閉じ、身体の力を抜いてしまった。

 若く美しい肌。しなやかな肢体。
 ベッドの中で荒い息を抑えもせずに、グレバムはリオンの身体を貪った。
 何度も何度も体中、いたるところに執拗に舌を這わせ、味わうように吸い上げ、その滑らかな肌の感触に夢中になった。
 敏感な肌をなぶられ、弱いところを責められれば、リオンの口から自然甘い喘ぎが漏れてくる。
 それに一層気を良くしたようにグレバムは、行為を淫らにエスカレートさせた。
 最中、過度に興奮し、全身汗まみれになりながら、貪るようにリオンの身体を弄んだ中年の男は、達したあと糸が切れたように眠り込んでしまった。

 身体中に舌を這わされた不快さに、行為のあとリオンは念入りにシャワーを浴び、備え付けの白いローブを身に纏った。
 水を含んだ黒髪を額からかきあげ、濡れた唇を指でなぞり、長々と湯に当たり、熱った身体を風にさらす。
「…ふん、年寄りには刺激が強すぎたか。」
 水量を全開にしてシャワーを浴びたので、水音は部屋にかなり響いただろうに、相変わらず寝入っているグレバムを窓辺から一瞥した。
 一瞬このまま帰ってしまおうか、とも思ったが、部屋の鍵はベッドの傍の引き出しの中に入れられていた。
 もちろん取ることもできたが、一応において利用価値の高いこの中年男の感情をいたずらに悪い方に刺激するのも得策ではなかった。
 それに今日は別の目的もあった。

 ようやっと目を覚まし、傍らに今まで抱いていたはずの少年の姿がないことに滑稽なほど狼狽してグレバムはリオンを呼んだ。
 数回呼ばせてからリオンは窓辺から音も立てずにするりと降り、ゆっくりと部屋の奥へと歩いていく。
「ここに居ますよ。」
 そう言って微笑む少年の姿は、蒼く冴えた月を逆光に浴び、薄地のローブからその優美な肢体を浮かび上がらせて、微風にゆらめく素直な黒髪も、それら全て は幻想的とも言える効果を作り出していた。
「ああ、リオン殿!。どちらへ行かれたかと思った。」
 ふ、と口元に薄く笑みを湛えて、優雅な仕草で男の方に歩いていく。
 が、両腕を差し出して招き入れようとする男には触れさせず、するりと傍をよぎり、部屋の中央にあるソファーに腰掛けた。
 面白いほど落胆を顔に出した男を視界の隅に捉えながら、むき出しの脚を組んで、それからどこか所在なさげに長い前髪をいじってみせる。
 すい、と視線を流すようにして目をそらせば、妖しいとすら言っていい整った顔立ちが少年の色気をかもしだす。
 素肌にローブという姿なので、それはかなり際どい格好になる。
 だがこんな仕草すらも決して下品にならないのがリオンの美点だった。
「リオン殿、あなたは本当に美しい…。ヒューゴ殿の自慢話は以前から聞かされておりましたが、これほどとは。」
 興奮冷めやらぬ上ずった声でそう言いながら、大司祭の身分にある男はリオンの足元に跪き、そのしなやかに投げ出された足に触れ、両手で包み、愛しそうに 口付けた。
 そんなにさっきのアレが気に入ったかと、そんな意図を含んだ、あからさまに見下す視線ですらも、もはやリオンに堕落した男にとっては、この上なく甘美な もののようだった。
「リ、リオン殿。どうか、あなたに贈り物をする名誉を私めにお与えくださらないか。ですが私は聖職の身にある者、気の利いた世情のものなどわか りませぬ。どうか、なんなりと私めにお申し付け下されば。」
 ああ、またか。一度でも寝ると、何かを贈りたがる輩が多すぎる。
 男の自分を宝石で飾りたがる者もいたし、別荘を贈ると言う者もいた。
 最近では、財産を半分やるから恋人になってくれ、というのもあった。
「『神の眼』を・・・。」
「え?。」
「僕に、『神の眼』を見せてくれませんか?。この神殿に保管されていると、我が主、ヒューゴ様から聞きました。」

 寝静まった神殿の石畳を二人はほの暗い灯りを頼りに歩いていく。
 大司祭の私室の書棚の裏には隠し扉があり、そこから地下通路に通じていて、らせん状の階段を最深部まで下りて行ったところに『神の眼』は安置されてい た。
 『神の眼』の存在を確認し、その保管場所を報告するのが今回ヒューゴから受けた任務の内容であったが、リオンは今、それとは別の企みに考えをめぐらせて いた。
「ああ、これが…!。」
 そう言ってリオンは『神の眼』を見上げた。
 直径にして10m近い巨大なレンズ。
 レンズは鉱石のように、混ざりこむ不純物によって色が濁るが、これほどの大きさを持ちながら、『神の眼』は見事な透明度を有していた。
 中央にまがまがしい色のコアをもつそれは、人智を超えたエネルギーを内包しているようで、見るものを圧倒させた。
 なるほど、ヒューゴが眼の色を変えて欲しがるはずだと得心がいく。
 この想像もつかないエネルギーをあの男が使いこなせるのか、見ものだと思いながらも、本当にそれを使ってしまうところも想像できて、リオンは唇を噛み締 めた。
「どうですかな。神の御力を感じるでしょう。」
 温和な神父の仮面を被った男はそう言った。
「ええ。グレバム大司祭。この『神の眼』の力を使って地上を支配するのも、力そのものを守護するのも、神次第と言う訳ですね。そしてそれを成す のが神に最も近いところにいる『貴方』という訳だ。」
「リ、リオン殿…?。」
 うろたえるグレバムにリオンは、邪気を消した微笑を返してやり、それから僅かな間を置いて、至近距離で眼を合わせた。
「ふ、グレバム大司祭。…貴方は本当にヒューゴ様がこの世界を支配する者としてふさわしい人間と思っておられるのですか?。」
 この男は民の信仰を集めるストレイライズ神殿の大司祭である。
 しかし経済界の要であり、いわば世俗の象徴のような企業総帥のヒューゴに、最近一方的に利用されているばかりであることを踏まえてカマをかけてみた。
「これはこれはリオン殿。ヒューゴ殿はあなたの後見人であると伺っておりますぞ。あなたの若さを考えてみればヒューゴ殿はあなたの親も同然の方 のはず。 …それをそのように言われるとは、不忠者の誹りを受けますぞ。」
「不忠者?。」
 リオンは薄く目を開き、上目遣いにグレバムをみやった。
 長い睫の下でアメジストの瞳が妖しく光を湛え、チカリと光った。
 その凄みすらあると言っていい美貌を間近に見てグレバムは息を呑んだ。
「心外だな。…僕とヒューゴ様は純粋な契約関係にある間柄。親を亡くしたあと、ソーディアン・シャルティエのマスターの資質があったこの僕を、利用価値有 りと見なしてあの屋敷に置き、以降主従の関係を続けているだけのこと。」
 それからリオンは舌で唇を湿した。
「…何もこの世界を統べる者として認めたからではない。」
 その言葉を聞いたグレバムの顔に、わずかに興奮の色が混ざりこむのをリオンは見逃さなかった。
 相手の表情を確かめると、リオンはまた『神の眼』を見上げ、グレバムに背を向けたまま、追い討ちをかける。
「この『神の眼』の真の所持者こそ、この世を支配する者として神に認められし者なのでしょうね。…大司祭。」
「しかし…っ、リオン殿…、私は…っ。」
 最後まで言わせずに、リオンはその唇を指で触れて言葉をさえぎった。
「そう。確かにヒューゴ様にはオベロン社とセインガルドがある。経済力と世界最強の軍隊、それと自らの事業を利用して集めた膨大な数のレン ズ。これらにおいてヒューゴ様に敵う者はいないだろう。だが貴方は…、ヒューゴ様が持ってないものを持っている。」
「わ、私がヒューゴ殿の持っていないもの、を…?。」
「貴方はこのストレイライズ神殿の大司祭。貴方には民の信仰と人望がおありだ…。たとえ経済と軍隊を掌握して各国の政を牛耳っていても、所詮そ れは人の成しうる程度のこと。『神の眼』の力を文字通り神の代理人として振るうには、人の心、そのものすら変えてしまう必要がある。大司祭…。信仰の力は わかりやすい媒体 だと、そう思いませんか?。」
「そ、それは。」
 上ずった声に、この大司祭がひどく興奮しているのが分かる。
 自分の言葉に面白いように踊らされるこの男に、リオンはトドメを刺しに行った。 
「僕は、真の支配者に仕えたい。この神の眼を手に入れれば、やがて誰もがひれ伏すようになる。この地上は貴方のものだ。そうすれば僕は、…貴 方に仕えます。グレバム大司祭。」
 そう言ってリオンはグレバムをその紫の瞳で薄く見つめた。
 そして、つい、とグレバムの目の前に立ち、無言で法衣の前を掻き分けると、その胸に唇を寄せた。
「…部屋に戻りますか?。」
「リ、リオン殿。」
 たまらなくなったようにその細い体を抱きしめる。
「ああ、ああ。リオン殿…!。私はあなたのために力を手に入れてみせますぞ。」
 子供のようにわめき散らしながらリオンを抱きしめる腕に力を込める。
「必ず、ええ必ず…!」
 そう言ってリオンの項に顔を埋めるグレバムの背にリオンは手を回した。
 しかしリオンは能面のように冷たい笑みを剥いたまま、グレバムの背後に安置されている『神の眼』を見ていた。


 リオンは『神の眼』の台座の元にグレバムを仰向けにした。
 そしてその法衣をはだけて下半身をあらわにさせると、ためらいもなく、それに唇を寄せた。
 ちらりとグレバムの方を見やると期待と興奮に赤らんだ中年男の顔が見える。
 先ほど自分に忠を説いたあの神父の顔は今、欲のために醜悪に歪んで見えた。
 最中、舌を小刻みにつかってやる。歯もかるく当てる感じでゆるゆるとはさんでやった。
 グレバムはひどく汗かきで、臍からリオンが舌をあてているあたりまで生えた硬い毛が、湿り気を帯びて張りのない肌にへばりついていた。
 それが唇を動かすたびに頬にあたる。
 リオンの口からは唾液とそれからそれとは異なる粘ついた液があふれ、それは男の下肢を濡らした。
 男の汗と唾液とが行為を一層淫らにし、舌を動かして咥えこめば湿った音を立てた。
 恥ずかしげも無く快感に呻くグレバムにリオンは薄く笑みを返しながら、今度は左手を使ってやる。
 口での行為ですっかり形を変えたそれの根元の方を掴み、そのまま擦りあげてやる。
 舌を這わせ、ゆるく歯を使い、手でしぼり出すようにする。
 それを繰り返して巧みに追い詰めていく。
 達しそうになる直前で止めるとグレバムは、途端に情けない顔になった。
 どろんと濁った目、だらしなく半開きにした唇。
 リオンは、そんな中年の男を、くす、と哂い、「貴方はそのまま。」と言って、ことさらゆっくりとした動作でグレバムの上に跨ってやった。
 酷薄な笑みを浮かべ、計算された艶なる眼差しをグレバムから少しも逸らすことなく、リオンは自らの指を二本、咥えてみせる。
 見せ付けるようにして赤い舌をちろちろと這わせて指を唾液で絡めて、それを自分の後ろにもっていく。
「…ンッ。」
 差し込んで軽く喘いで見せる。
 慣れた所作でそこをほぐしながらも、その表情だけは、羞恥にわずかに歪めて見せたほうが、聖職者相手には効果的だ。
 リオンに行為の手順を仕込んだのはヒューゴであったが、どんなタイミングでどんな顔をすれば相手の劣情を煽ることができるのか、それくらいならリオンに も分かる。
 散々焦らしたあと、リオンはことさらゆっくりと腰を落とした。
 先ほどの情事で慣らされたそこは、さほど苦痛もなくそれを受け入れた。
 挿れるときの肉の壁を擦る感触に、身の内に湧き上がるような熱をリオンは軽侮してコントロールする。
 身を進めると、内部でそれをはじこうとしている動きが生まれてくるのが分かった。
 自分の身体は嫌がっているのか、悦んでいるのか。
 このあたりか、と思った位置で止め、リオンは一度静かに息を吐いた。
 ここまで用意を整えたあと、腰を上下に揺り動かした。
 繋がったそこは、すでに熱を帯びていて、淫らかな炎を養っているような自分の内部をリオンは想像した。

 芸術品だと、ヒューゴは言った。
 自分の身体を自分でしげしげと見たこともなく、まして自分で評価を下したこともない。
 ヒューゴの言葉が正しいのかはわからない。しかし今となっては、それが男である自分にとって、いかに不当なものであってもどうでもよかった。
 リオンにとっては、自分の表情一つで何もかも足元に投げ出し、子供のように縋る者が、この世界において要人と呼ばれる男達であるという事実のみにしか興 味がなかった。
「神が…、見ていますよ。」
 ささやく様に耳元から吹き込んでやる。天使の声のようだと言った男もいた。
 呻く中年男の肌にまた、新しい汗がにじみ出た。
 禁忌を孕んだ性行為は、自然と倒錯の色を呈するようで、それは淫靡な衝動を加速させる麻薬だった。
 普段、神を奉り、人としての欲望を抑圧しているからこそ、背徳が快楽への近道となり、より激しく悦楽に溺れる瞬間にすがろうとする。
 淫らに繋がりリオンは腰を揺り動かして悦ばす。
「あ…、あ。あぁぁッ。」
 快感に打ち震える睫、涙に潤んだ瞳、愉悦に上がる嬌声。
 これぐらいのサービスならくれてやる。
 リオンは考える。
 分不相応な力を求めてやがては自滅するであろう哀れな大司祭。
 愚かだと思う。くだらないと思う。
 しかしリオンは行為の中、何故か魂全体でそれを締め付けて離すまいとした。




 ##

 夜半、リオンはストレイライズ神殿を辞して帰路についた。
 ダリルシェイドまでは馬を使っても数時間の距離であるから、着くのはおそらく夜明け頃になるだろう。
 泊まっていくことをしきりと勧められたが、用も済んだことであるし、やんわりと断った。もとより長居する気になれなかった。

「見たか?、シャル。あの男の間抜けなツラを。あいつ僕の誘いに乗ってそのうち『神の眼』を神殿から持ち出すぞ。」
 まるで悪戯の成功を得意げに自慢する子供のような主人に向かって、愛剣は一つため息をついた。
「……坊ちゃん、一つ、聞いていいですか?。」
「何だ。」
「坊ちゃんは、本当にヒューゴを見切ってグレバムに仕える気があるんですか?。」
「まさか…!。あるわけないだろう。」
 そう言ってリオンは声を立てて笑った。
「そうですよね。坊ちゃんがまさか、あんな…、ねえ。」
 愛剣は主人につられて笑った。
 しかしふいにリオンは真顔になり、声を落としていった。
「グレバムでは、ヒューゴに勝てない。」
「坊ちゃん…。」
「たとえあの神殿から『神の眼』を持ち出しても、グレバムには使いこなすことはできまいよ。ヒューゴとセインガルドに討伐されて、…終わりだ。」
「……。」
「ま、二回もサービスしてやったんだ。せいぜい世界を引っ掻き回して、楽しませてもらうさ。」
 ハスッぱな言い方をしてリオンは、また笑った。
「…坊ちゃんは、本当はどうしたいんですか?。」
「…僕か。そうだな…。僕は、お前が居れば何もいらないな。」
 茶化すように言うマスターにシャルティエは憤慨する。
「ぼ、坊ちゃん!、すぐそうやってごまかすんだから!。」
「ごまかしてなんかいないさ。僕は本当にお前と一緒なら、あとはどうでもいいのさ。どこに居ようと、誰に仕えようと、な。」
 そして、コアクリスタルを優しく撫でる。
 その指の細さにシャルティエは何かたまらない悔しさを覚えた。

 それきり会話は途絶えた。
 リオンは無言のまま、馬をダリルシェイドに走らせた。
 前方を見すえるその横顔は、もういつもの冷静な剣士そのもので、さきほど破滅の種子を植えつけた大司祭のことなど、頭の片隅にも残っていないようであっ た。

「ぼくだって、離れませんから。…絶対に。」
 囁くようなシャルティエの言葉は風にかき消され、あまりにも若いマスターに届いたのかは分からない。







                                       



 
 2004 0115 RUI TSUKADA
 
 リオン男娼編その1でした。
 この後、グレ
バムはまじで『神の眼』を持ち出し、身を滅ぼすことに…。
 歴史の影にリオン有り(笑)。
 
 この話は2部作となっていて、続編があります。つづきは順次アップしていきます。
 グレバム×リオンは書いていて非常に楽しかった。