『ゼクト(1)』




 眠りが浅いと、中途半端に身体に疲れが残るためか、夜半しばしば夢を見る。
 内容は、大抵いつも似たり寄ったりで、あの方が俺を試すように、静かに笑っている。

 夢というものは、案外にやっかいなもので、眠さにぼやけた頭の中は、簡単に全部支配されてしまう。
 それは見るまい、振り返るまい、とこれまで必死に眼を逸らし続けた過去だった。
 全てを捨てて逃げてきた。
 それこそ国も、立場も、名前すらも捨てて、自分という人間そのものを消し去ることができるのならと。楽になりたい。
 それだけを願ってこの地の果てまで逃げてきたのだ。
 あのとき絶望的なパニック状態だった自分を少しでも宥め、静めて、すぐに命を絶たないために、せめて生きていくためには、そうせずにはいられなかったのだ。

 けれどあの「事件」は、どこまで逃げても、結局のところ、いつまでも自分のすぐ傍にあって、片時も解放してくれることはない。
 あの光景が頭から離れず、それをどうすることもできず、ただ、重くるしい過去に繋ぎとめられ、あるいは時折の夢で引き戻されて、懸命にもがき続けた2年間だった。
 過去は動かない。
 相応の罰を受けることを望み続けなければ、到底救われなかった。
 哀れな、馬鹿な、愚かな男。それが紛れも無い、自分の正体なのだということ。
 それら全てに対する失望感に似た諦めというものが、この2年間、泥のように己の中に重く居座り続けているのだ。

 それでも時間を置けば、頭の方は冷えてくるらしく、自分や過去の行いを、それなりに客観的に見るようにはなった。
 決して肯定的なものには成り得ないのも、我ながら、情けないことではあるのだが。
 今、自分という人間をあらためて観察してみれば、実際、あれほどのことをした人間が、よくもここまで逃げおおせ、しかものうのうと生きながらえているものだと、思わずにはいられない。

 けれど、自分とて、逃げるという行為そのものに、何らかの希望を託していたわけではない。
 そこまで図太くもなれない。
 逃げ込んだ先の、この辺境の港町で、日々「普通の人間としての生活」を、少なくとも表面上は何もなかったように振舞って過ごそうとしていても、どれほど、即席で作った「新しい生活」を慈しもうとしていても。
 この土地に生きる、人懐こくて無垢な人々を愛そうとしていても。
 こんなふうに、中途半端な浅い眠りに逢えば、あの日がこれほどの生々しさを伴って夢となって現われるということが、本当のところでは、自分はあれから一歩も前に進んでいないことの何よりの証拠だ。

 鎧を脱ぎ、肩書きを捨て、名も変えたところで、実際、何が変わったというのだ。
 どれほど見まいとしようとしたところで、結局のところ、自分の視線は過去の方ばかりを追っているではないか。
 自らがしてしまったことへの、本能的な嫌悪感。人としてあたりまえの良心の呵責。
 自分の中の時計の針は、盤面に張り付いたまま少しも動いていないのだ。

「2年か。」
 ふと言葉にしてみることがある。
 2年という時間は、いったい自分に何をもたらしたのだろう。
 捨てた立場、信じていた未来。
 どれほど輝かしいものと思っていたことだろう。
 自分の周囲にあるもの全てを微塵も疑うことなく、どれほど誇りに思っていたことだろう。

 けれど2年前のあの日、眼前に広がった惨劇の光景は、こんなににも生々しいのに、そのとき自分は一体何を考えたか、とか、どれほどの時間、自分があの光景を前にして、その場に立ち竦んでいたかとか。
 連れていた部下の顔は?、誰か自分に何かを言ったのだろうか。
 そういったことは、何ひとつ思い出すこともできないのだ。
 錆び付いてしまった時間の中に埋もれながら、夢の中に現われる2年前のあの日の光景だけが脳裏に焼き付いた印画紙のように、やけに鮮やかで、リアルで。決して薄れてくれることはない。
 
 鮮やかな原色の花のように生々しい、それでいて音声も温度も感じられない記憶の中の光景。それは紛れもなく己が、この手で犯した大罪。
 どれほどの自己弁護も、己を騙す方便にならない。
 その一瞬たりとも安らぎのない状態に、身を置き続けていたのだということ。
 所詮これが現実なのだ。

 命令されたからやった。
 あのソリドール家の私兵だったんだ。
 その立場にあれば、誰だってやるだろう?、当然だろう?、任務なんだ。
 逆らったら死罪なんだ。
 そんな陳腐な言い訳をどれほど連ねたとて、わずかな慰めにも安らぎにもならないことを思い知ったのは、随分前のことだったと思う。 
 それならば、その思い知った事実と引き換えに、『覚悟』したことについてもそろそろ、具体的な行動にするべきではないのか。

 ホンネのところでは、終わりにしたいだけなのかもしれないが。
 これで償えるとは思っていない。
 ならば、可能な限り、消すのだ。
 自分が為したことが、どういう結末へと通じていたのか。どう仕組まれていたことなのか。
 全てが明らかになった以上、せめて最後の意地として。いや、何よりも、たしかに自分が生きていたことのせめてものの証として。
 可能な限り、消すのだ。
 
 生贄のようなものだったのかもしれないな。
 ふいにそういう考えが頭をよぎることがある。
 けれどそうなるべく選ばれたのが、何故自分だったのか。
 こんなふうにいとも簡単に、自分のしたことに追い詰められて、日々懸命に逃げ惑い、それでも過去にしばられ続けて苦しみもがく、いわば軍人としては随分と『小心者』の類である自分が、どうして選ばれたのかは未だもってわからない。
 大義の下の、大量殺戮を意にも介さぬ『いわゆる適任者』ならば、他にいくらでもいようものを。
 だが、今更それを考えたとて、所詮、独りよがりの解釈に過ぎず、どんな結論を出そうとも、もう、何の意味のないことだ。








「卿に頼みたい。…とても危険な任務だが、やってくれるな。」
 冷静なあの方が、いつになく瞳の中に、わずかに昂ぶった感情の光を湛えてこう言った。
「これは我らが築く、歴史の幕開けとなる戦いだ。卿がその担い手となる。ゼクト。」
 歴史の幕開け。
 周辺の小国に侵略し、あるいは政治的に、強引な懐柔策をもって、事実上の支配下に置き、その確かな力をもって版図を拡大していくこの大帝国の総司令官はこう言った。
 軍人として生きるのならば、せめてその功績は、人々に対しても誇れるものでありたい。
 それはいかにも単純な「願い」のようなものだ。むしろ祈りに近いかもしれない。
 他国への力による蹂躙の後ろめたさも、歴史上の善行として、それをしたものとして名を残す。その道はまさに目の前に開かれているということの、絶ち難い誘惑だ。
 歴史の担い手。戦いに生きることを、己の存在意義にしているものをこれほど巧みに鼓舞する言葉もあるまい。
 命を賭してソリドール家に仕えることを誓った身として、この若き総司令官から任務を直々におおせつかる名誉に、どこの軍人が抗えようか。
 
「御意にございます。ヴェイン様。」
 皇子は満足したように小さく頷き、続いて、細かな作戦の指示に入る。
 それに相槌をうちながら、その手腕の見事さ鮮やかさに、いつものように、いや、いつも以上に感嘆の溜息をもらしそうになる。
 だが、一通りの説明を終えた後、皇子はふいに言葉を途切らせた。
 続いた言葉を聞いたとき、何か、咄嗟にある違和感のようなもの感じた。
「これ以上、ナブラディアを攻める必然は、我が国との力関係を考えれば、無いのかもしれないな。卿はそう思うことだろう。そうだな、これは明らかに人としての分を超えた行いなのだから。」
 抽象的な言葉から感じられる違和感は、決して良い予感ではなかったはずだった。
 そしてその予感をより一層、裏付けるように、皇子は、作りものの笑みを湛えてこう言った。
「この戦いは、力への反作用とも言うべき必然なのだ。…長くなるかもしれない。」
 ああ、この皇子は何か、自分に隠していることがあるのだな。
 そう悟った。
 けれど自分はそのとき湧いた疑問のようなものを、無理に咀嚼し、飲み込んだ。
 司令官というものは、元々軍や兵を一塊りとして捉え、攻撃の対象を国の一単位として捉えるものなのだ。
 そこに生きる「ヒト」個人へ想像を巡し、「何故そこまでしなければならないのか」の疑問に答えない、そうでなければやってられないものなのだ。
 この皇子とて人であるから、きっと通らなければならない、もしかしたらこれまでも、大きな苦しみとともに通過してきた惑いなのかもしれない。
 そう考えを巡らすと、わずかに眼を逸らした皇子の顔を見るや、ふいに胸が熱くなった。
「この戦いには、大きな代償を払わねばならないだろう。…勝利するのが我らであってもだ。」
 その口調の中に潜む、どこか苦しみと錯覚しそうな何かは、ある種の強烈な誘惑だった。
 皇子の「いつもらしからぬ」様子を目の当たりにして、ふいに現実から遠ざかったような感覚をおぼえた。
 自分がいつも直面している「軍人の無骨さ」から、ふわりと、突然に遠ざかったような気分にすらなった。
 この皇子がもつ独特の雰囲気のせいでもあるかもしれない。
 端正な容貌はどこか憂いを湛えて美しかったが、それ以上に、その日の皇子からは、どこか一筋の危うさのようなものも感じられたのだ。

 天才的戦略家。
 二十歳になる前から既にその呼称を背負って、なおも余りある才能を表出し続けた帝国第三皇子に与えられた輝かしい数々の評価、賛美。
 アルケイディアは、この皇子の天賦の才能に頼って軍事大国の名を確固たるものにしてきた。
 そうだ。
 このお方が、我が国にどれほどの勝利をもたらしたことか。
 それでもこの総司令官が、やはりまだ25歳の一人の青年として相応の惑いを抱えているとでもいうのなら。
 それを支える余裕は、年嵩の自分にこそあるべきであろう。

「ヴェイン様。貴方の軍略に付き従う我らに、一切の惑いはございません。我ら帝国軍人は一丸となって、アルケイディア帝国のために命を捧げます。どうかヴェイン様、我らを導き、新たな歴史を築いて下さい。」

「心強いな。ゼクト。」







to be continude…。
 







2006 0525 RUI TSUKADA

FF12のストーリーの全ての発端であるナブディス侵攻。
これはヴェイン、シド、ヴェーネスの計画の第一歩とも言うべき事件ですが、
そこにどんな目的があれ、普通の軍人、ゼクトには、耐え難い事件であったことと思います。
でも何故、ゼクトなんだろうな。ベルガとかじゃなく。
 そう考えれば考えるほど、萌えですvv。